崔済愚(サイセイ・グ)の教え
オヤジブログ怪気炎 vol.234
世界史気になるシリーズ 44
日本軍が朝鮮半島へ兵を進めるきっかけとして、東学党の乱という言葉を覚えている方も多いでしょう。最近の教科書では甲午農民戦争と教えられている。しかしながら、歴史の授業はとんでもない速さで進むため、東学党の教えとはなんぞや? まで言及されることが少ないでしょう。
その東学を始めたのが、崔済愚です。
長い期間、学問と修養に励まなければならない儒学に対して、極めて東学はシンプルでした。
東学において、その真理に達するための修養方法は、日常的に「侍天主 造化定 永世不忘 万事知」の13文字を唱えることであった。
東学教徒たちは天主(ハヌニム、「天の神」、朝鮮における古代からのシャーマニズムに由来する概念)を仰ぎ、天主はすべての人間の内に住むと述べて、人間の尊厳と平等とを説いた。
キリスト教を西学とし、儒教ともキリスト教とも違う新たな教えが東学(天道教)と呼ばれました。人の平等を説く教えを政府が監視しないはずはなく、弾圧を受け、崔済愚は1864年に処刑され、経典も燃やされてしまいます。宗教は始祖が亡くなっても、それを受け継ぐ人々がいるわけで、甲午農民戦争では、朝鮮半島にやって来た日本軍とも戦います。
この後、朝鮮半島は日本によって占領されます。甲午農民戦争を民族独立運動の出発点と位置付ける考えがあるのも頷ける話です。