
突厥からトルコへ
世界史気になるシリーズ57
オヤジブログ怪気炎 vol.269
オスマントルコ軍の音楽「ジエッディン・デデン」がTVから流れてくる。モーツァルトもベートーヴェンもウィーン近くまで攻め寄せてきた軍楽のリズムを聴きながら、名曲「トルコ行進曲」が生まれたのだなぁ・・などと妄想に耽っている。
そもそもこの音楽はどこからやってきたのか。もっと言えばトルコ人とはもともとどこに住んでいたのか。
中国が隋や唐であった時代、その北部に中央アジア全体を版図とする巨大な突厥(テュルク)王国があった。テュルク→トルコ、トルキスタン、発音が似通っているところが関連を想像させる。
この地域の一貫した歴史はウイグル王国の歴史を辿ることで把握できるが、突厥(テュルク)の領土があまりにも広大であったため、世界史にありがちな話として、たくさんの国に分裂してしまう。その中でカラハン朝という国が起こりイスラム化するのですが、注目ポイントは、分裂した国の一つオグズ国にセルジュークという一族がいたことです。
トゥグリル・ベグがセルジューク家から現れ、スルタンとなると国が拡大して、セルジューク・トルコとなるわけです。テュルク人はマムルークとして戦闘能力が高い奴隷としてイスラム世界の中で活躍し、セルジューク・トルコから独立して、今のイラン付近まで広がるホラズム・シャー朝やエジプト付近にマムルーク朝が成立します。
その後モンゴル民族からチンギス・ハンが現れ、世界帝国を築きますが、その官僚機構はテュルク人によって支えられていたので、テュルク人がモンゴル化してしまうことはなかったのです。続いてティムールが登場しますが、彼自身がテュルク系のムスリムでした。
世界史上、東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国こそが、本稿冒頭のウイーン付近まで攻め寄せていたテュルク人です。伝説の域を出ないのですが、オズク国にセルジューク家とは別にオスマン家がいたようなのです。遥か始祖の国から離れたアナトリア半島(今のトルコ国の場所)まで移ると、キリスト教徒と戦闘を繰り広げながら、ローマ帝国に匹敵する大帝国を築き上げるのです。
国の名前にセルジュークやオスマンなどの家名が使われることがありますが、現在は共和政となったトルコ。もはや皇帝ではありませんが、第46代当主ハルーン・オスマンさんがいらっしゃる。
アジアを東から西へ。テュルクの長い歴史とその周辺をたどれば、そのまま中央アジア・西アジアの歴史を学ぶことに通じるのです。