東ゴート王国 テオドリック
世界史の「この人、気になる!」12
オヤジブログ怪気炎 vol.171
「ローマは一日にしてならず」と言いますが、では滅亡の過程はどうだったのか?
今回はテオドリックの巻です。テオドリックは元々東ローマ帝国の軍人・司令官でした。当時の皇帝ゼノンの対立勢力であった西ローマのオドアケル討伐を命じられ、代わりに西ローマ帝国の統治を委ねられます。この時、テオドリックと共にローマに向かった人々が東ゴート人と呼ばれているのですが、実態はさまざまな民族の混成部隊で、おまけに従ってきた者は僅かでした。
和解と称した酒宴の席でオドアケルを殺害し、テオドリックはイタリア王・東ゴート告白王となります。けれどこれは東ゴート国という独立国ができたわけではなく、あくまでも東ローマ帝国に属する国が誕生したという意味でした。
彼の政策はオドアケルの経済政策を引き継ぎ、ローマは更なる繁栄期を迎える。また周辺国の王と婚姻縁戚関係を深めました。しかし、版図を拡大したのも束の間、東ローマ帝国の皇帝ユスティヌアヌス1世の時代に将軍ベリサリウスの活躍によって、東ゴート国、ガイセリックの建てたヴァンダル王国共に滅ぼされます。西ローマ帝国が滅びた後も、地中海世界はしばらく東ローマ帝国の時代が続くのです。