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学問とは「そういうもの」があった時代。
タケさんの教育論5
オヤジブログ怪気炎 vol.253
おえコラで岡山に出かけ、演奏会の翌日は国宝閑谷学校の見学に行ってきました。
吉永駅からタクシーの乗ったのですが、運転手さんの話によると建築を勉強している学生さんがよく訪れるそうです。
ところでボクの関心は、300年前の人々が何を学ぼうとしていたのか? であります。
当時の学習とは、まず字の読み書きを覚え、孔子様の教えを学ぶこと。300年前はそれでよかったのです。何を学ぶかは決まっているので、あとは学問の道を志す若者、子どもたちをより広く受け入れること。また学びが継続できる環境を整えることです。
当時の学校は武士階級の子弟が学ぶ場所でしたから、庶民を受け入れるという方針は画期的でした。さらに閑谷学校のために田畑とそこで収穫される年貢米が確保されていたので、生徒たちは無償で学ぶことができたのです。閑谷学校は山里(現在でもトンネルを一つくぐる)にあります。文字通り閑静な谷に学校を建てたわけで、静かな環境こそが勉学に打ち込むためによいとされていたのでしょう。
昨今、テスト等で数値化できない非認知能力の育成が話題になっていますが、何度も繰り返し読むことで暗誦する教育。その孔子様の教えをどのように自分の生き方に反映するか、江戸時代なりに非認知能力が育てられていたのかもしれません。