赤ひげ(ドクター)つれづれ草⑥ ~ どう生きて、どう死ぬのか 意思決定支援のあり方 (4)~
ACP(人生会議)の必要性はなぜ強調されるようになったのか
意思決定支援の新たな形として国が進めようとしているACP(アドバンス・ケア・プランニング)とは「将来の変化に備え、将来の医療およびケアについて、患者さんを主体に、その家族や近しい人、医療・ケアチームが繰り返し話し合いを行い、患者さんの意思決定を支援するプロセス。患者さんの人生観、希望に沿った将来の医療およびケアを具体化することが目標」と定義されています。
2006年3月富山県射水市民病院で人工呼吸で生命を維持していた末期の入院患者の人工呼吸器を、家族の同意のもと当時の外科部長が取り外して死亡させていたことが明るみになり、延命処置の中止なのか安楽死なのかと大きな社会問題となりました。
この事件が一つのきっかけとなり、厚生労働省は人生の最終段階における意思決定支援のあり方の検討、ガイドラインの策定、改訂を重ね、2018年度には「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(以下「ガイドライン」と略す)を策定しました。
ポイントは、ACPの考え方による意思決定支援の重要性を強調し、医療者のみならず介護スタッフ、家族等も含め、本人の意思を尊重した話し合いを病状や気持ちの変化に合わせて繰り返し行うことで最善の意思決定につなげるというものです。
ACP(人生会議)は「シネシネ会議」ではない
このような考え方自体は正しいと思いますが、医療・介護現場の実際の運用では、「どのように死を迎えるのか」という議論になりがちです。看護師で作家の宮子あずさ氏(評論家・作家故吉武輝子氏の長女)は、2021年に刊行された「まとめないACP」という本の中で、人生会議は「シネシネ会議」にしてはいけないと警告されています。
医療・介護の世界では、2018年度に改訂「ガイドライン」が策定されて以降、様々な報酬算定の要件に「ガイドラインに基づいて適切に協議が行われ、そのことが記録されていること」ということが義務化されるようになりました。高齢者の急増という事態を前に、政府は高騰する医療や介護の費用をいかに抑制するかということに躍起になっており、美辞麗句をちりばめながら「シネシネ会議」を浸透させて、「高齢者や余命の限られたがん末期患者などは医療や介護の費用をなるべく使わずに早く死んで欲しい」という政府の本音が垣間見えると私は思っています。
「人生会議はどのように死を迎えるのかという話し合いではなく、残された人生を最期までよりよく生き抜くためにはどうしたらよいかということを話し合う場である」ということを忘れずに、政府の巧妙な誘導に惑わされることなく、正しい意思決定支援が行われなければならないと考えます。
人生会議で親子のきずなを取り戻し、穏やかに在宅で亡くなられたケース
70歳代の食道がん末期の男性。自宅で小さな町工場を経営し、重度認知症の妻と二人暮らし。二人の娘さんがいますが、父子間の長年の確執、それぞれの家庭の事情、長女のメンタル不調などで関係は良好とは言えず、特に長女は両親の様子を気にかけながらも積極的に関与しようとはしませんでした。
病状がいよいよ悪化し、医療ソーシャルワーカーが同席して、自宅で父親と長女が向き合い、人生の最期をどこでどのように迎えるのか、どこまでの医療処置を望むのかについて「人生会議」を行いました。
話し合いの過程で、長年の父子間の確執、行き違い、長女の家庭の事情やメンタル不調などのために両親の介護に関われなかったことへの後悔など様々な思いが噴き出し、時には言い争い、時には涙を流して謝罪しあうという長時間の話し合いとなりましたが、このことをきっかけに父子の関係が修復され、長女は父親の最期を看取りたいという思いから、夜は実家に泊まり込みで両親の介護に協力するようになりました。話し合いの過程でご本人は、車で一時間半ほどの故郷に行って、親族や友人たちに会いたいという強い願いを抱き、「ねがいの車」というサービス(ある民間企業の社会貢献事業。無料で運転員、看護師が付き添い、車で希望の場所へ送迎してくれる)を利用して故郷に日帰りで帰郷しました。30名ほどの親族・友人が集まってくれてお別れを言うことができ、大変満足されて無事戻ってこられました。その間認知症の母親の介護は長女が引き受けてくれました。それから約一か月後に、妻、長女、次女に見守られて、ご自宅で穏やかに息を引き取られました。
人生会議が有効に行われ、ご本人の最後の希望も実現でき、家族のきずなの再構築にもつながったケースでした。
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