功徳と陰徳
スポーツの秋!
読書の秋!
食欲の秋!
心地よい涼しい風になったので、久しぶりにゴルフ練習🏌️
最初は、ドライバーもアイアンも初心者🔰クラスの打球が飛んでいたが、しばらく打っていると、ナイスショット連発!
やはりセンス🏌️がある🤭
さて、練習場でもゴルフラウンド中⛳でも、ちょぅと上手くなると「誰かに教えたくなる」もの。
相手が初心者🔰なら、『素直』に聞いてくれるが、同年代やスコアが同じくらいの者は、全く言うことを聞かない(笑)
「へー」「なるほど」「そうなんや」と肯定的なことを口にしても、心の中では完全にスルー。
まぁ、これは自分も相手も同じことだ。
これまで自分がやってきたことの
信念?
意地?
プライド?
どれかはわからないが、とにかく素直に従う(従われる)ことはない。
先日、友人(元同僚)と酒を飲んでいる時に、『功徳』の話になった。
功徳とは
1.神仏からよい報いをあたえられるような、よい行い。世のため、人のためになるよい行い。
2.神仏の恵み。御利益(ごりやく)。
また、よい行いの報い。
友人:
「被災者に何かできないかな?」
私:
「寄付したら」
友人:
「きちんと被災者に届くのかな?」
私:
「さあ~、その辺はわからない」
そこから話題はコロコロ変わり、再び似たような話になる。
友人:
「この前、同級生と飲んだ時の話なんやけど、『○○やれよ!』と言ったんや」
(〇〇は、優しい行いのこと)
※その事について、私にも『○○やってるか?』と尋ねる。
私:
「う~ん、どうかな~?」
友人:
「やらないかんで!」
私:
「少しはやってるかな」
友人:
「もっと、やらなあかん!」
さて、ここで余計な一言を…。
私:
「でも、それって『自分が良く見られたいという気持ち』があるやろ」
友人:
「・・・・・」
「確かに、それはあるな…」
ここから興奮気味に、
友人:
「それでもやらんよりはマシやろ!やってないやつが言うな!」
私:
「いやいや。そういう意味じゃなくて。自然とできればいいという話や。最初に言ってた『功徳』の話や。もっと言えば『陰徳』かな」
陰徳とは
人に知られることなく、良い行いを重ねて行うことを意味する語。 陰徳とは、人知れず行う功徳を意味する。
陰徳を積むとは、誰も見ていないところで人様に喜んでもらえる行為をすることを意味する。
人は、痛いところを突かれてるとムキになる。
友人:
「納得できん!」
私:
「・・・・・」
(心の叫び~論点が違う)
友人:
「否定されたみたいや」
私:
「だから、誰かに『○○やれ』と言うのなら、その前提となる自分の心が大切という話や」
友人:
「それは違う。やってから言え!」
(※すったもんだの論争がしばらく続く)
友人の酒のペースが上がってヒートアップしているが、そこは長年の付き合い。
話題を変える(笑)
(何度も蒸し返されたが…😁)
さてさて、この飲み会でもラッキーなことに収穫があった。
『気づきがあった』というものか!
その一つは、
友人が言って(やって)いることは、無意識に自分もやっている。
友人がそれを見せて(気づかせて)くれたのだ。
もう一つは、
仕事でもなんでも、よかれと思ってやった(言った)ことは仇となる。
頼まれていないのに、自分の考えを押し付ける必要はない。
相手が本当に困っていたり、苦しんだりしていない限り、それは『大きなお世話』になるのだ。
反対に、本当に困っているなら、言われたことは『素直にやる』ことだ。
相談しておいて、
『いや』『でも』『無理』
等と言ってやらないのでは、何も変わらない。
誰にも相手にされなくなる。
約6時間にも及ぶ飲み会での『功徳』と『陰徳』の話。
最終的には、
友人:
「皆それぞれ、価値観や経歴、環境が違うからな」
私:
「確かに!」
それでも!
下心、邪心、野心などがあろうと、友人が言うように、まずはやることだな。