MSXでプログラミングの限界を知る③
親がファミコンを与えずにMSXを買ったというのにはゲームばっかりしてないでパソコンを覚えて将来に備えるという期待が皆さん少なからずあると思う。とても良いことだ。
子供がプログラムをただ入力しているのかプログラムを作っているのかは傍から見たら区別が付かない。プログラマーに成長するかと思いきややってた事はひたすらキーパンチャーなんて期待外れは嫌だね。
MSXはファミコンと比べると少数派だ。ファミコンやりたかったら友達の家に行けばいいから不自由は無い。自分の家以外には必ずファミコンがあったから。友達がプレイしてるのを見るのも楽しい。この動きはMSXじゃ出来ないなぁなんて思う。
RPGが大ヒットすると事情が変わってきた。ドラクエシリーズね。友達の家に行ってもちょっと遊ばせてもらうという感じでは無くなった。
学校ではみんなでどこまで進んだとかどの呪文がなんたらという話をしてるが全くついていけない。
未だに芸人がドラクエの呪文をたとえで使ったりするけど笑えない。ラリホーてよく聞くけど何?子供は喋りたいこと喋るから遠慮がない。しばらく無口になる。
こんな事はさすがに小学生までだろうと思ったらそうじゃなかった。
前に「非常識な新人」で書いた新入社員時代だ(是非読んでね)。踊り場で説教してくれた踊場先輩と私が一緒に秋葉原へ行くのをすっぽかした秋葉先輩。
この2人と一緒に社外に健康診断へ行ったのだが、ちょうどドラクエ7が出た頃。
もうずっとドラクエの話してる。どこに行くと何があるとか小学生時代と一緒。分からないから黙ってる。なんか楽しそうだしね。あげく踊場先輩たらお前全然喋んないな!だって。
後に秋葉先輩が家のパソコンでプレステが出来る謎のファイルを持ってて借りたりした後にプレステ2買った。
話を戻すとRPGは見せてもらっても何をしているのかがよく分からない。パラメータがどんな意味かちんぷんかんぷん。
幼少期にイジメられてるわけでも無いのに孤立するというのはダメージが結構デカい。
みんなクリアして終息したと思ったら続編が出る。もう嫌だ。
ドラクエがファミコンで3が出た頃にMSXで2が出ても遅い。もうRPGに嫌悪感持ってる。
数年後、ファミコンを買った。AVファミコンが出たタイミングだ。既にプレステサターンの時代。家族には言わずに部屋の6インチテレビでプレイしてた。
スーパーマリオ、グラディウス、ファミスタ、スターソルジャー等々、友達の家でやらしてもらってたいかにもファミコンなタイトル。
売れてたソフトは希少価値が無いからタダみたいな値段で入手できた。
MSXユーザーからしたら羨望だったファミコンを手にした。それがなんかね、虚しかった。
スムーズにスクロールするとかキャラが単色じゃないとかいいんだけどファミコンの魅力はみんなでワイワイ遊べたことだったんだ。
それってのは小学生だったあの頃だからこそ価値がある。そんな日は戻ってこない。
ファミコンソフト大量に集めている人いるじゃん?なんかうわーて気持ちになるんだな。
テレビにつなげてカセット挿せばゲームが出来るもの、ファミコンとMSXは共通点があれどその背景は全く違うものだった。どちらが家に来たかで人生が左右する、面白いね。
そういえば金持ちの友達はファミリーベーシック持ってたな。あれいいよね。機能的にそんなに深くプログラムにのめりこまないだろうし勉強にはなる、当然ファミコンもプレイ出来る。
私はMSXを操作出来たことに特別な思いを持っている。
仕事やプライベートでミスしてそのリカバーに時間を費やしてしまったとしても、少年時代に無機質な数字の羅列をキーパンチャーしてたのに比べれば何でも無いと思えるね。
FS-A1をくれた親に感謝します