実際の裁判はドラマと違うのをそろそろ理解しよう

 ダウンタウン松本が裁判を取り下げた。先日取材に応えるという建前で好き勝手な意見をぶちまけていた。なんでこういうことするかね?

 冒頭で「裁判が思ってた感じと違った」という事を裁判をやめた理由として語っている。これは松本がアホな上にこの緊急事態に適切なアドバイスを与える人が居なかったというのが分かる。
 松本に限らず日本人は裁判がどんなものか経験者以外はわかっていない。これが今日のテーマ。

 アメリカの映画やテレビで見る裁判
 殆どの人がイメージしている裁判がこれ。異議あり!とか言うやつね。弁の立つ有能弁護士が口八丁手八丁、真実そっちのけで皆を煙に巻いて裁判をかき回す。陪審員の心理を味方につけて大勝利というパターンのお話。

 アメリカでの実際の裁判もこんな感じなのかね?分からんけど。報道される裁判もドラマチックだったりするからね。OJシンプソンの裁判とか。

 原告、被告、裁判官、陪審員、マスコミ、世間の反応と皆の立場がはっきりしていてグイグイお話が進んで行くから面白い。2時間の映画でもテレビのシリーズものでも。

 さて、私が嘆かわしく思っているのは日本の映画、ドラマでの裁判の表現だ。舞台が日本で日本人が演じている日本の裁判がアメリカのスタイルなのだ。これはお話を面白くするのには当然とも言えるのだが、弁護士がベラベラしゃべって力技で勝つのが裁判みたいに普通の人はテレビを見て思ってしまっている。

 実際の裁判は地味だ。1回目なんて陳述しますと言うだけ。だから当人は参加しないのが普通。でも欠席と報道されると弁護士がスタートダッシュでこれでもかと喋りまくる場に本人行かなかったの?と思われる。うーん。

 事前に書面で出してある事なので、その場で主張し合う訳では無い。その通りです…では次回の期日いつにしましょうかでお互い手帳だしてその日はいけるとか都合悪いとかがメインのやりとり。

 映画やドラマとは大違い。エンタメだからという私が大嫌いな言葉ガあるが、娯楽なら嘘でもいいの?と疑問に思わないか?
 あまりにもアメリカンスタイルの裁判が浸透し過ぎている。これこそ異議あり!だね。

 よく喋る人が弁護士やったら最強じゃないの?という観点で究極の作品が古畑任三郎で明石家さんまが弁護士を演じた回。こういう話を作ってしまう三谷幸喜はすごい。あの人を食ったような態度が大嫌いだけど。

 そこで我らが松ちゃんだ。裁判をするために本業のテレビ出演を休んだと言っている。実際はこんな
人テレビに出せないからあれ以降需要がないからだけどまあいいとして。
 で裁判に注力との考えが裁判所で答弁するのを想像していたんだろうなというのが見える。テレビでしゃべらない分裁判所で喋る。

 だけど喋る機会というのが無かった。なんか違うと今更気付く。まわりの人もそんなにバカだと思ってなかったから言わない。不利な証拠が次出るぞ。やーめた。情けないねホント。

 ガキの使いでは何度も裁判ごっこな企画を放送している。テレビだから当然アメリカンスタイル裁判。あー絶対勘違いしてたよ。

 自分が喋ったら皆言う事を聞く、説き伏せる事が出来るという勘違い、奢りがある。そもそも吉本興業という後ろ盾があるテレビ局で人気者だということにしようねという中に居た人なので本気で才能があると自負してたら幸せな方ね…としか言えない。

 あとエンタに出てた傍聴したのを面白おかしくネタにしてたヤツもいけないね。誇張が酷い。嘘ついて面白いならまだしもつまらない。もしもこんな裁判があったらというネタだ。

 裁判は経験しないと分からない。
 私?訴える方も訴えられる方も経験してますよ。

 

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