太陽が眩しかったから

秀治朗が再発した歳は23歳、つまり18-23歳までの5年間が「黄金の5年」と思っていたし、現実にそうであった。
 とにかく怖かった。電車に乗る度に吐き気がした。実際に戻した事もあるが、コンビニのビニール袋があった事で、撒き散らす事は無かったが…眼から流れる塩水が、吐く時の衝動か、恥で死んでしまいたいのか…分からなかった。
 元々、物理的に寝ないで作業して、いつの間にか寝落ちしていた毎日が、3日間寝ずとも眠気が一切無くなった。
 
 主治医は症状を一つ一つ聞きながら、抗うつ薬、頓服薬、導眠剤を処方した。この医師は森田療法の流派であった。
 うつだからと言って、一切休むのでは無く、薬を飲みながらでも、やれる事をやる。出て来る恐怖や苦しみは、生きたいと言う人間の本能であり、それを肯定して、受け入れていく。と言う仏教からの発想らしい。
 
 特に禅の影響を受けていると言う事で、白隠禅師と言う坊さんが、禅病(よく分からないが似た病気か?)を治すために、編み出した丹念と言う腹の底から呼吸が広がって行く呼吸法がある。やってみた…良く分からず、金の無駄だった。
 この頃は、抗うつ剤の撲滅キャンペーンか!と、突っ込みたいほど、デパスを始め多くの薬へのネガティブな情報で溢れていた。
 また、東洋医学こそが、自律神経を整える!うつを消す栄養術…全て試してみたが、結果は最悪だった。
 
 今度こそダメだ…手すりにタオルを巻いて首を括ってみた。
 コントみたいに、手すりが外れて秀治朗は尻餅をついた。
 「痛ってぇええ!!…ェエハハ!!」

丑三つ時に、秀治朗は独り自虐の限り笑った。

 「もう少し、生きてみるか、どうせ煙草吸ってるし、長生きしないだろう」 

暗い部屋の中、ライターでマルボロメンソールライトに火をつけて、深く吸い込んだ。

「生きてて良かった…死んだらマルボロの味も分かりゃあしねぇ」

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