教育における正解は不正解
教育熱心な親が掲げる教育の押し付けはほとんど間違ってる。
そもそも教育や子育てに正解がないことを、親は理解する必要があります。
もちろん上手くいくこともあるが、そこは100人100色。
偏った教育の価値観が巻き起こした悲惨な事件を題材にした本を読んでみて、深く考えさせられました。
「母という呪縛 娘という牢獄」
著者 斉藤 綾香
母親を実の娘が殺害し、浴槽でバラバラにして遺棄してしまうという、実際の事件をモチーフにした内容となっています。
あらすじをざっくり。
娘を医大に合格させることに固執した母が、娘に対して小さい頃から、厳しすぎる教育を強要します。
体罰、人格否定の類いを20年以上。
最終的に娘は9浪した後、医大には合格できず母との折り合いの中で、国立医科大の看護学科へ進学することとなり、そこでも激しい叱責は続き、殺害に至ります。
改めて、親のもつ影響力や、愛情の伝え方について、深く考えさせられます。
▶︎親のもつ影響の大きさ
書籍内では加害者の幼少期から、殺害にいたるまで、親子の会話などのやりとりが、詳細に描かれています。
改めて子どもにとっての環境は人生を良くも悪くも、大きな影響を及ぼすことを痛感します。
親が何気なく発する言動を、子供はよく見ています。
書籍内でもヘルメットを被って投稿する公立学校の生徒を見て母親は「ダサい」「終わってる」など、子どもの前で発言します。
そうすると子どもの選択肢に、ヘルメットを被って登校するということが、間違っていると思わせてしまう。
もちろんそんなことはある訳ないのに、子どもの選択肢からヘルメットを被って通学する友達が消えてしまう。
そんな言動が多い母親の元で育った娘は、友達と上手く付き合えず大人になって、周りとの人間関係にも苦労をすることとなります。
親の何気ない言動は、子どもの一生に大きな影響を与える価値観を植え付けてしまう可能性がある。
▶︎愛情の方向性
大人と子供ではこれまでの経験値が違うため、間違っていると思ったら指摘をしたくなります。
親の愛情として、子供に対して何か正解っぽいものを伝えたくなってしまう。
親の持つ共通する目的は、子供の幸せである事は大きくずれないものの、目的における手段は十人十色それぞれ違うことが多い。
たとえ親子であっても、子どもが何に向いてるかなんて分からない。
あくまで、色々な経験の中で本人がどう気がつくか。
何かに間違えて遠回りすることも、貴重な経験だったりする。
親はそのきっかけを与える存在程度に、寄り添っていくことが良いはず。
自分自身も小学生の子供をもつ親として、何かの正解を押し付けていた可能性があります。
公立学校の教育を皮肉ってみたり、多様性における価値観の重要性を今の正解みたいに、思っている節があります。
そんなことは、この書籍内の母親の価値観程度の可能性があります。
とにかく、子供のためと一方通行な価値観を押し付けることだけは避けていきたい。
良かれと思っていたことも、20年後に振り返ってみたときにまったく別の価値観になっている。
そしてそのサイクルは、どんどん早くなっていくはず。
5年先だって、誰にも予測できない時代です。
可能性しかない子ども達には、機会を与え続ける環境の設計をおススメします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
何かのきっかけになれば幸いです。