見捨ててしまったあの子のこと。
つまらない話だけれど、私には昔から「理想」があった。
いじめられた10歳の頃の私は、同い年のあの子が理想だった。
お人よしで、優しくって、でもその優しさが、ただくるもの拒まずの広い器であるだけのことを、私は悟っていた。
いじめを受けた10歳の弱い私は、父親が理想だった。
何を言われたって笑っている、本当に楽しそうに。
見ているだけで愉快なピエロのように。
そんな憧れになりたいがために、私はいじめっ子に加担して、私自身をいじめた。
自分を叩いて、殴って、傷つけて、嫌いだと叫んだ。
「お前なんか」という言葉を何度も使った。
「死んで仕舞えばいいのに。」を多用した。
「生まれてくるべきじゃなかった」と書いた。云った。
それでも浅ましかったのは、死にたいくせ、消えてしまいたいくせ、記憶は無くしたくなくて、夢を捨てきれなくて、でも自分が嫌いで。
矛盾しまくった幼い自分は、矛盾しまくった自分のことを嫌った。
それから何年後かして、現在高校一年生の私がいる。
ハッピーエンドにしては今も、自分を傷つけていることを否めないけれど。
嘘でも、自分のことが好きだと言えるようになった。
同時に、ピエロの苦しさを知った。
今まで、常に自分に向き合って、自分の矯正をしてきたから、
だからこそ言えることがある。
きっと、どの立場でも、どんな性格でも、どんなに成功した優しい自分で生きてこうと心に決めても、実際全てを受け入れる器で生きても、苦しさからは解放されない。それが苦しくて、それだけ頑張ってもまだなお上手く生きれない自分が嫌で、納得できなくて、やっぱり苦しい。
頑張って生きてるよ、本当に頑張ってるんだよ。
自分が必要ないと分かった上で、逃げられないことが1番苦しい。