どことなく感じる恐怖
他を見てもこわい。
バイトをしていてもこわい。
きみとはなしをしていてもこわい。
日記を書いても、ノートを書いているときも。
ぼくの生活はこわいで溢れている。こわいを感じない時の方がすくない。
どうしてかと問われたら、
落ちている枯葉のなんとなくの風景に、ぼくが溶け込んでしまっていることを感じるのがこわいから。
世界は自分を中心に回る。
それに異論があるなら、ぼくの住んでいる小さなワンルームの、中途半端な大きさのドアの隙間に、怒った内容の手紙をぶちこんでくれてもいい。
どんなときも自分が中心だ。
ボランティアをする街の小さな老人も、乗客を銀メダルのように扱うバスの運転手も。
そう思うとさ、絶対に平和なんてみつかることがないと思うんだ。
こんなことをいいたくて、ノートを書いた訳じゃないから話をもどす。
ぼくのこわいの正体はなに。
刃物をむけられることでも、5万人みてるステージの上に立つことでもない。
なんともない、すらーっとすすむ日常に。
ぶわっとするノイズを聞きたくないことなのかもしれない。
とりとめなく書かれたこの文字を、少しばかり可哀想に思う。
だって僕以外が見れば、頭を曲げて、1人歩きしないといけない、不気味な代物だと思うから。
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