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50年前、国分寺駅にあったお菓子屋にまつわるアレコレ。ハーバーの数奇な運命。

昭和50年代、
東京の郊外にあった我が家を訪れる客人は
駅前に一軒だけあった
ありあけのハーバーを買ってきてくださる。

病人がいれば、
隣の八百屋の独特な柄の包装紙をかぶせた果物カゴになるが、
それ以外は
ハーバー1択なのである。

とにかく駅前にはそれらしき
お菓子屋が
ありあけしかないのだから、
驚きと焦りをない混ぜにした混乱の中で客人が予想以上に
大きめの箱をセレクトしてしまうのも
うなずけるわけである。

我が家のおやつは
病弱なわたしのために
自家製なものが主流で、

堂々と既製品のお菓子をいただける唯一の機会は
無自覚なまま郊外の駅に降りたった
この客人の手土産なのである。

子供の頃、
わたしにとってハーバーは
とにかく格別に美味しい特別な物だった。

もちろん今だって美味しいお菓子だが、
当時の物珍しさからすると、
失礼ながら今ではそこまでランクが高いわけではない。

というのも、30年前に一度だけ
本牧に住んでいる知人に買ってきてもらったことがあるのだが、
その時の印象が
失礼ながら
あまりパッとしなかった記憶がある。


東京に住んでいると
ありあけのハーバーは
すっかり横浜のものだ。

デパートに行けば
多くの洋菓子、
和菓子が山のようにあり
地元のありあけが
なくなってからは、
久しくバーバーとは縁がなかった。


後年、横浜に住むようになり
そこらじゅうに
ありあけのハーバーがある。

そして久しく買っていないわたしに、
ハーバーは目配せをしているように
思える。

昔よりも美味しいよ!と。


なぜ、その昔、
あの片田舎の国分寺に
ありあけのハーバーは店を構えたのか?

当時を知る出店関係者に
話を聞きたいとすら思う。

記憶が間違っていなければ、
確かにあの当時の国分寺の子供たちは、
ハーバーを、特別なものとして頂き、
思い出のひとつにしていた。

わたしはハーバーを見ながらふと
ひどく懐かしくあの頃のことを思い出す。
口の中で溶けてゆくあの白餡と香ばしい皮の絶妙さを
いまだ確かめないのは
ありあけのハーバーが纏ったあの頃の記憶までもが消えてしまいそうだからなのかもしれない。

美味しく改良された今のハーバーに
昔の記憶を上書きされそうで
ハーバーの味を確かめないわたしの無駄な抵抗は続くのである。

追記
ありあけのハーバーの製造元の有明製菓さんは1999年に一度倒産なさったそうです。
2001年になり、当時の社員さんたちが
今のハーバーを復活させ
今に至っているそうな。(意外と早い復活だな)

なんとなく昔あって、
途中、あまり見かけなくなって、
最近、よく見かける理由がわかります。

こうしてボーッと昔のお菓子の事を考えていたら、知らなかった事実を知れるのはたいへん興味深い。
そうすると、
やはり昔のハーバーといまのハーバーでは幾分味が違うのではないかと、
どうしてもより一層懐疑的になってしまうのである。

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