自信を持つとは

自分に自信を持ちなさい。

人にこれを聞かれた時、答えられるようになったのは
数週間前のことです。
転職を強く意識し、行動に移したことがきっかけでした。
きっかけが無ければずっとうまく答えられるようにはならなかった
でしょう。最低でも次のきっかけが無い限りは、日頃から
無意識の中で生きているので無いです。

今までは冒頭の質問をされることが非常に辛く感じていました。
なぜなら、自分は特別な才能も優秀な学歴もあるわけでもなく、
有名人でも、何かを成し遂げた人物でもない普通よりも出来ない方
の一般人だと思っていたからです。

今でも覚えていますが、大学生の時にコンビニでアルバイトをしておりまして、そこは接客に力を入れている熱心なお店でした。
数か月の間隔で本部の社員さんが来て、レジ打ちや接客対応を評価され、
良い接客と評価されれば星が与えられ、最高で3つ星が付きます。
店員同士の仲が良く、そういった課題に対して一丸となって取り組む
雰囲気もあり,私も積極的に取り組みました。

髪が長いから2つ星だと判定され、次の回までに坊主にしてまで挑みました。しかし、何回受けても一向に3つ星が付かない。正直、理由もわからず
どうしたら良いか分らなくなりました。毎回、判定が終わった後、お店のマネージャーと反省会をするのですが、「もっと堂々と自信を持ちなさい!」
と言われました。マネージャーは叱咤激励で言ってくれた事は十分理解しています。同時に「自分に自信を持つって言われても何も無いよ。」と言う
くやしさと、頂いた言葉の優しさに涙をこらえるのに必死でした。結局、いじけたように「自分の良さがわからないです。」とだけ言うことしかできませんでした。

もう一つは、社会人になり仕事に関わる資格の学校に約1年間通っていた時です。その学校で、1日だけ転職セミナーが開催され参加しました。履歴書の書き方から面接時の受け答え等、専門の講師が丁寧に教えてくれました。
講義の中で、講師から私への質問で「あなたの良いところは何ですか?皆さんに紹介してください!」と言われました。
やはり答えられず、数十秒の沈黙の後にこれまた泣きそうになるのをこらえながら、「自分に良さはないです。」とだけ言うことしかできませんでした。周りの参加者は数秒の沈黙と自傷行為的な私の姿にドン引きしたと同時に、大変気を遣わせてしまったのだろうなと、今思い出しても申し訳なさと恥ずかしさが蘇ります。
講師の方は、「休日の時間を使って自己研鑽のために頑張っている。意欲をを持って努力が出来るところがあるじゃないですか!」と優しい言葉でその場をまとめてくれました。

毎回答えられない口惜しさを覚えるので、そういう機会があることがただただ辛かったのです。

それが転職をきっかけに人に答えられるようになったわけです。
自分は特別な才能も優秀な学歴もあるわけでもなく、有名人でも、何かを成し遂げた人物でもない普通よりも出来ない方の一般人だと今でも思っています。
妻監修で面接対策と自分の棚卸を行ったのですが、そこで私の「長所」
についてぼんやりとしていたものが、はっきりと「言語化」されたのです。
これまでの仕事経験で自分が意識してきたこと、人間関係での私の特徴
といったものがはっきりと言語化されることで、一気に自分のものとなったのです。
長所を具体的に言語化することが自信に繋がることに気付きました。

自信とは非言語の中で表せる部分もあります。周りが感じ取るオーラというやつでしょうか。これも長所が具体的に言語化されるている事で現れるの
ではないでしょうか。実際、長所が言語化されたことで、背筋が伸びて、気分も高揚し、歩くリズムも以前より穏やかで地に足をつけている感覚になりました。泰然自若というとかっこつけすぎでしょうか。それくらい気持ちが大きくなります。
それでも、未熟さはまだまだあるので、いつもそうでいられないです。
しかし、今までは常に猫背でそわそわと自信なさげで挙動不審でしたから周りからの見栄えは大きく違うはずです。

やっと一つ言語化できる経験値を積めてきたということでもありますので、今よりももっと多くを語れるよう油断せず精進しなければいけませんね。



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