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期待通りにならなくて「がっかり」する人に、成長のチャンスがあります

「期待してる」「信じてる」
という言葉からは、
「強い絆」や「信頼関係」がイメージされます。

では、
・期待通りにならなかった時
・信じていたのに裏切られた時

あなたは、
どのような気持ちになりますか?


・期待通りにならなくてがっかりする
・信じていたのに裏切られて腹を立てる

こうなってしまう方は、
これらの言葉の使い方を
間違えているかもしれません。

どういうことなのか、
①「期待する」と
②「信じる」の
2パターンに分けて考えてみましょう。


①まずは「期待する」からです。

私も、今まで
こういった言葉を使ったり、
使われたりしてきました。

「次は100点を取ってくるのを期待してるよ!」
「君なら、売り上げ目標達成できる!期待してるよ」
「今日の晩御飯、期待してるよ!」

これは、間違った「期待してる」です。

「期待してる」が間違って使われている時、
本来の「期待してる」と意味が違っています。

応援のつもりで使っているのかもしれませんが、
この場合の「期待してる」は、
一方的に「言う側の願望」を伝えているだけです。

本当は、

「次は100点を取ってほしい」
「売り上げ目標を達成してほしい」
「今日の晩御飯を豪華にしてほしい」

ということが言いたいのです。

本当の感情を
よさそうな雰囲気の言葉で
ごまかしているだけです。


言う側の気持ちには、
「こうして欲しい」が隠れています。

だから、
希望通りにならなければ、
「期待を裏切られた」とか、
「期待して損した」と言って
相手を責めたり、がっかりします。

これは、
「自分の願望を叶えてもらえなくて
がっかりし、
それをしてくれなかった相手を責めている」
という図です。

かなり「上」から目線で、わがままです。


本来、それをやるかやらないかは、
本人が決めることです。

そうならなかったからと言って
相手を責めるのは間違っています。

本人には、本人なりの考えがあり、
あなたの願望を叶えるために
頑張るわけではありません。

そしてまた、
「その通りになった」からと言って
「期待通り」と思うのも「上」から目線です。

頑張ったのはその人です。
その人の気持ちで頑張ったのです。


これを言ってしまう人は、
自分は相手を「応援」しているのではなく
自分勝手な「願望」を相手に押し付けようとしている
と、まずは自覚していきましょう。

そうでないと、言う側も言われた側も
モヤモヤを抱えることになり、
もちろん信頼関係は築けません。




②「信じる」はどうでしょう?

「浮気ばかりする彼」を
・次こそは!と「信じている」
・根はいい人だ!と「信じている」

その「信じる」も間違っています。
それも、あなたの「願望」です。

あなたが言っているのはこういうことです。

・「次こそは、浮気をしないでほしい」
・「根はいい人であってほしい」

まずひとつ言えるのは
「あなたの願望」を
彼が叶えなければいけないという義務はありません。

浮気をするかしないかも、彼が決めます。

「あなた」が信じていても、いなくても、
「彼」がどう生きるかは「彼」が決めます。

そんな、「彼が決める人生」に
あなたの幸せを委ねてはいけません。

「あなたにはどうすることもできないこと」を
どうにかしようとしていることに、気付く必要があります。


そして、もう一つ、

ずっと信じて時間をかけてきた結果、
それでも
「何度も浮気をする」のであれば

彼は「根はいい人」

なのではなく、

彼は「浮気をする人」です。

「信じてる」と言っている間は、
この良さそうな言葉で
「本当の彼」の姿をごまかしていられます。

自分が描いた「理想の彼」であると「信じる」ことで
「本当の彼」を見ないですむから
「そういうことにしてる」だけです。

現実から目を背けず、
キレイな言葉でごまかさず、
そのままの彼を
「浮気をする彼」を
まずはきちんと認めましょう。

その「浮気をする彼」を
信じるか信じないかは、
あなたが選択していいんです。

自分の人生の幸せは
自分で選んでいきましょう。



私はこれを、娘にしていました。

・本当は「もっとできる」と信じてる

本当はもっとできるけど、
「今回はやり方が合っていなかっただけ」とか
「体調が悪かっただけ」
と、ごまかしながら娘を見ていました。

「信じてる」ということにしている間は
現実から目を背けることが出来るので、
希望があります。

でも、それは「ごまかしの希望」なので
現実はどんどん苦しくなっていきます。

現実を見ていないので、
そこから一歩も前に進むことが出来ません。

毎日、
「どうしたらもっとできるようになるのか?」
「なんでできないのか?」と考えて
すごく苦しかったです。

でも、ある時、
本当は「もっとできる」のではなく、
「できる娘でいてほしい」という
私の「願望」だったということに気付きました。

「本来の娘」を認めたら
出来ても出来なくても、
そういう娘を応援できるようになりました。

「スマホ時間を減らして勉強を頑張りたい」と
娘が言うなら、
やれると信じて応援します。

次の日に早速「だらだらスマホ生活」に戻っていたとしても、
もうイライラしません。

これはもう、何度もトライして、
何度も失敗してきたことです。

これが「本来の娘の姿」だと知っています。

だから「できなくてもいい」と
諦めているわけではありません。

本人が一番
「本当は頑張りたい」と思っていることを
知っているからです。

そういう娘だと分かったうえで、
「信じて」応援しています。



「私の理想とする娘の姿」が
「娘にとっての理想の姿」ではないし、
私の願望を叶えてもらわなくても
私は私を幸せにすることが出来ます。

「信じる」がちゃんと出来ている時は、
信じた通りになってもならなくても
相手を責めずにいられるものです。




最後に、お手本のような「信じる」を紹介します。

サッカーW杯カタール大会で話題になった
三苫選手と田中選手の「奇跡のシュート」は、
「あの場所からでもパスを出してくるはずだ」
と田中選手が三苫選手を「信じて」走り込んだことで
成し得た結果だと言えます。

三苫選手と田中選手は小学生からの付き合いです。
長い時間をかけて築き上げた関係性があります。

パスが出される直前、田中選手は
いつも通り
三苫選手のパスを「期待していた」し、
「信じて」もいました。

パスを予想していたとも言えます。

もちろんパスが「こなくても」想定内です。

どちらもあり得るけど、
「パスが来ることを信じて」走り込み、

その結果、「奇跡のシュート」が生まれた
ということです。

これはスポーツの話ですが、
スポーツに限った話ではありません。

こういう信頼関係を築いていきたいものです。

きちんとした信頼関係を築かずに
信じても、期待しても
それは一方通行でしかありません。

どちらが上でも下でもない関係を作りましょう。

自分を尊重し、相手も尊重する

そういう人間関係でありたいですね。




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