「地球は丸い」と「人を騙すべきでない」に含まれる真実の意味の違い

哲学通論一回リアクション課題(修正前220426修正予定):0419a 学籍番号 名前 

Q.


「地球は丸い」と「人を騙すべきではない」という2つのタイプの言明について,どちらも広い意味で「真実」と呼ばれることがあるが,ギリシャ哲学以来,区別されてきた.
この2つの違いについてズバッと定式化してみてください.その上でそれらはそれぞれアリストテレスが考えた意味で真実であると本当に言えるかどうか.他の参加者納得してもらえるように(ここにはいないが中学生などにもわかるように)自分の見解を800字以内で説明せよ,

注釈とヒント


私達の認識とは独立に事実が存在しているように思える事柄については,アリストテレスが言うように,認識が事実と合致していることが認識を事実にするとひとまず考えて良い(かもしれない)
具体的には「地球は丸い」などがそれにあたる.
そして,そうは思えない言明が真実であると言うことを,アリストテレスが言うのと同じ意味で言えるかどうかが.
そういう言明はなぜ真実ではないか
また,その共通する意味とはなんなのか.

A.

授業では真実を正しい事柄,という意味で置き換えているように感じたが,自分自身で真実の意味が曖昧なので辞書で調べてみる
1 うそ偽りのないこと。本当のこと。また、そのさま。まこと。「真実を述べる」「真実な気持ち」
2 仏語。絶対の真理。真如。   (以上デジタル大辞泉より)
今回真実の意味を扱う上で2番目の意味はそこまで関係ないように思える.

また事実の意味も調べた.
1 実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。「意外な事実が判明する」「供述を事実に照らす」「事実に反する」「事実を曲げて話す」「歴史的事実」
2 哲学で、ある時、ある所に経験的所与として見いだされる存在または出来事。論理的必然性をもたず、他のあり方にもなりうるものとして規定される。
この2番目の意味も法律などで使われるもので今回の説明にはあまり関係ないと思われる.
次に「地球は丸い」と同じ意味で真実という言葉が使われるであろう言明を列挙する.
火は赤い,水は蒸発する,光合成の過程で酸素が出る,などが挙げられ,
逆に「人を騙すべきではない」と同じようなものは,老人には席を譲るべき,目上の人には敬意を払うべき,ゴミは分別するべき,悪いことをしてはいけない,などが挙げらあれる.

こういったことを一般化してみると,前者は人間がいなくても成り立ち,後者は人間(多分2者以上)がいないと成り立たないのではないかと考えられる.
前者は条件を揃えれば再現や観測が可能である.また人が誤って観測しなければ覆らない.実際に燃えるものや温度が同じであれば火の色は変わらない.よって前者は,認識が事実と合致するのでアリストテレスがいった真実の意味と同じである.

後者は人間関係を円滑にする前提の上で嘘りではないのである意味,辞書上の意味において真実であるが,他の2者間であったり他文化圏では異なる.これより事実(現実に存在する事柄)と認識が一致しないのでアリストテレスがいった真実の意味とは異なる.例えば,「茶碗を持たずにご飯を食べるべき」ということは日本では後者の意味で真実だが,韓国では真実ではない.
また天動説が前者の意味で真実だったと捉えられた時代があったと思うが,天動説は事実ではないので,後者の意味で真実であった.


メモ


イデアと感覚物における二重の意味言ったことを真実にするものは何か? アリストテレス
多くの人が真実だと思えば,それは真実か?

「地球は丸い」
アリストテレス『カテゴリー論』第五章
ある命題が真実であるとか言われるのは,そうした事実があるか否かによってである,何を表現しようとしているのか
→真理の対応説(認識と事実の一致,対応していれば真)

事実とされている認識,事実とされているものの確認手法はあるのか?(どんな科学的であろうと,観測しただけにすぎない,結局多数決に戻る?)
→整合説:我々の中で整合的に収めっていれば真実

「地球は丸くても平らくてもいい」のか?(直感的にはない)

「人を騙すべきではない」と言った言明は真実ではありえないか?

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