反省8/25

反省
今回は意識的に人の話を聞こうと努力できた。
トルク強め、回転遅めで考える術を身につけようとできたと考える。ちょい成長。

ただ、カラオケで先に曲入れたところはしくじった!そこの配慮ができていればなおグッドであった。

またこれは別の話だが、今回友達と飲みにいきその人たちの恋愛観に触れる機会があった。前回付き合った人のおかげで今まで見えてこなかったいろんな視点に気づけるようになったと思う。本当に感謝したい。次、出会える人を本気で内省も含めて愛し抜けますように。


デリカシーについて考えてみたい。
私は、最近デリカシーがないことがわかった。
それは最近の彼女との別れの時の会話や思い当たる節にしてもそうだし、友達の中での会話でもそうだと思う。

私のデリカシーのなさは、共感力の低さからくるものだと感じる。(これは皆一緒なのだろうか)それではそもそも共感力とはなんなのだろうか。私は共感力の根本的なところは忍耐力と想像力だと解釈する。

そもそも、相手に共感するプロセスを言語化してみる。


例え話としてAとBという2人が話し合いをしているとする。その中でAがBに最近あった悲しかった話をするとする。そこでBがAに共感するとしてどのような作業が行われるだろうか。
Aの立場でその事象が起こった時にどのように感じたのかをその人になりきり想像する必要がある。ここで、前述の想像力が必要になってくる。いかに相手に同化するか、いかに相手の感性に自分を引き寄せられるか。ここのプロセスに想像力を必要とする。

そしてここからが忍耐力の出番である。自身がどれだけ相手の気持ちになって、「感情を共有したい!、一言この子の気持ちを代弁してあげたい!」と考えそこで一言言ってしまうのは時期尚早である。いくら想像力を働かせてもその人自身にはなりきれない。つまりその後の会話でもっと情報を集め、Aに成り切る努力をしなければならない。また、Bがその会話を区切り、そこで不用意な発言をしてしまうことはAにとっても望ましくないだろう。

こう言った理由から共感には忍耐力と想像力が必要不可欠であると考える。

つまりこの仮説に基づくと共感力を高めるには忍耐力と想像力を身につけなければならない。
しかし、これらは生得的に得ているものもあるだろうがそこからどう伸ばすかは自分の手にかかっている。

明日はそのことについてフォーカスした反省を書きたい。

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