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『15歳のコーヒー屋さん』
あの時、こういう本を読んで勉強していれば、と心底思った。
人を大きく傷つけるのは「悪意」ではなく、「無知」だと実感した。
色々なことを知れば知るほど、人の傷の場所と中身が見えるようになってくる。
見えたからといって、優しくできるかどうかは個人の感性による。それでも、見えてさえいれば、傷に触れることも、えぐることも少なくなる。生きやすくなる人も多くなる。
以下、感想文とはちょっと違うけれど、経験も交えて書きます。
この本は、自分が発達障害であることを小学生の時に知った少年の話。
知ったきっかけは、他の子と同じ様に学校生活を送れなくなったことから。
自分の子が発達障害だと知ったとき、誰もが思い、行動する。
「ちょっと他の子と違うだけでしょ?頑張ればできる!」
と。
これがそもそもの大きな分岐点の一つ。
大抵の親は、「頑張る」方向に向かう。そして、知識と経験を得た親は、たぶん稀に、この分岐点にもう一度たどり着く。
そして、さらに稀に、「出来ないことは頑張らない方法」を模索する方向に向かう。
そう感じた本だった。
この本は、少年本人の話があり、そのあと、父、母、それぞれの話もある。
そこが良かった。3者の感じたこと、対処がよくわかる。人は、誰もがお互いに想像できるような行動と思考をしていないと理解できる。
この子の文章だけを見れば、普通の文章。というよりも、深く考え、苦悩していることがよくわかる文章。
しかし、実際に発達障害の人と対すると、言葉が出ない、パニックで頭がまっしろ、なにかにおびえている、というような印象を受ける。
そして、私が見てきた発達障害と思われる人のほとんどに共通するのが、「掛け値なしの、透明の優しさ」
苦心惨憺して、這いずり回って、それでも生きて、立ち直った人はとてつもなく優しい人が多い。しかし、そういう優しさではないと、すぐにわかるほどの透明さがある。
その優しさがあるからこそ、傷つけられても、「自分のせいだ」と思い、相手を憎むことをしない。コミュニケーションの最たるものとして、笑顔を見せる。
だから、相手から見ると、苦悩しているようには見えず、考えているようにも見えず、見下してしまう。
そして、嫌がらせからいじめに発展する。
悪循環が誕生する。
私が出会った発達障害の子は、その子が4歳の頃だった。
私には違いがわからなかった。今思い返しても、違いは、前述したような優しさと、音楽性の高さだけだった。
ただ、そうだと聞いていた。しかし、前述したような分岐点で私も、同じように「頑張る」方向に向かった。
ましてや私は、激しい昭和生まれで、厳しく育てられた。私も、そうしてしまった。大きな後悔の一つ。
だから、パニックになることも、言葉が出ないことも、「慣れ」ればどうにかできる、と考えていた。
毎日続ければ、出来ないことはない、と思っていた。
しかし、途中から考え方と行動を変えた。「こうすれば、どうなるか」ということを蓄積していった。そして、「こう言われたら、こうされたら、どう感じるのか、そう感じる思考の順路」も考えるようになった。
「頑張れば出来ないことはない」という考えは変わらなかったが、「頑張る」工夫はかなり考えた。
とてつもなく不器用だったので、まずはゲームをさせてみた。ゲームと言っても、ファミコンの「スーパーマリオ」等のシンプルなもの。マリオの動きに合わせて、体が跳ねてたりしたのはかわいかった(笑)
次にプラモデルを教えた。作ることは理系脳を育てやすいと思う。少なくとも私はそうだった。
そして、総じて、キレイな字を書く人は侮られにくいので、字も教えた。
すると、少しずつ色々なことができるようになっていった。ここから始まり、15歳の頃には、ロードバイクのパンク修理を出来たと聞いたときは、とてつもなく嬉しかった。
そして、今はパソコンを自分で組み立てていると聞いたときは、感無量だった。
理系の頭ではないのはわかっている。ということは、図面を描けるわけでもない。こういうことは苦手な分野だ。それを。。。本当に嬉しかった。
いじめられることもわかっていたので、殴り方と蹴り方を教えた。練習しているときは楽しそうだったが、実際にいじめられたとき、優しすぎて反撃できなかった。
なので、暴力を説いた。「力でないと、わからない人間はいる。」と。私は気性の荒い人間だが、それでも年端もいかない子どもに、暴力を説くのは気が引けた。しかし、そうしないとこの子が壊される、と思った。少し反撃したようだ。そして、解決した。しかし、やはり気分良くはなさそうだった。やはり極めて優しい。
宮城谷昌光さんの小説に書いてあった一文がある。
「徳のあるものだけが寛大なやりかたで民を服従させることができる。次善のやりかたは、猛しくすることである。火は烈しいので、民は遠くから眺めて畏れる。それゆえ、焼死するものはすくない。ところが水は懦弱であるから、民はそれになれてあそぶ。すると水死者が多く出る。であるから、寛大な政治は難しいのだ」
この子たちは、前述したように優しい。ただ、それだけでは寛大な方法を成し遂げる条件にはならない。地獄の中に身を投じ、人の優しさ、残酷さを知り、それでも自分の立ち位置に戻ってこないと、水の政治は成せない。
成長するためには簡単な方法は選択してはいけないものだが、人によることがわかった。何気ない簡単な方法を選択しても、成長するような苦境に立つ人がいる。
あとは、この本にも書いてあるが、学校と教師が一番の敵。
実際に、上級生数人にいやがらせをされ、首をしめられたこともあった。が、教師はそのことを隠した。教頭も校長も隠した。
以降、「教師も学校も信用するな。」と言った。私はもともと教師を軽蔑している。よく知っているから。とはいえ、そんな私でも、この言葉を吐いたときはさすがに堪えた。小学生にこう言わないといけない現実の悲しさと厳しさ。
ここまで色々書いたが、私の印象が良く見えたならば、それは錯覚。私が書いている文章なので、私が良いように見えるかもしれないけれど、まったくそうではない。
あの子を大きく傷つけたこともある。おびえさせたこともある。パニックにさせたこともある。
私の経験と、この本の感想も合わせて大事なことを抜き出すと、
●相手の思考の順路、考え方を細かく聞き出す。尋問にならないように。
●できないものはできない。人が空を飛べないように。短所を克服するより、長所を伸ばす方が大事。発達障害の子には特に大事。
●できないことを一つ見つけたら、できることを一つ見つける。
●発達障害に相対する人は、無知であってはいけない。偏見なく、よく学ぶ必要がある。
●パニックはどうにもできないと知る。ただ、パニックまでの許容量は大きく出来るのでは?と思っている。もしくは、パニックになったときに、できるだけ冷静になる「おまじない」「ルーティン」を考えてみるのも良いかも、と考えている。
●とにかく、まず、話を聞く。安心して話をできる環境を作る。たとえば、会話の時にキーアイテムを用意して、それを持っている人だけが話すようにする。そのアイテムを持っていない人は絶対にしゃべらない、話終わったら、そのアイテムを相手に渡す、等の。
反論せず、最後まで聞く工夫と、聞く側の成長。
まずは、相手を理解することが大事で、それは私たち聞く側の成長と勉強が最も肝要であり、ここが一番の難所だと私は思っている。それが簡単であれば、この世の不幸は半分くらい減っているのでは無いかな、と思う。
この本の最後に、良い言葉があるので、それを紹介して終わります。
これは、マンガ「リエゾン」でも表現されていることですが、
「私は、発達障害とは言わない。発達凸凹症候群と言う。自分には出来ないけれど他の人には出来ることが多く、大きく凹んでいるところがあっても、他の人には出来ないけれど自分には出来ることがあって、大きく突出している凸の部分がある人達。凸凹が大きなだけ、そう考えています。」
と。
あの子にも、教えたかった。いつかまた、色々伝えるために、少しずつ勉強する。