そこにいる。

あ、幽霊の話ではないです(笑)

以下、勘違い、妄想して書きます。
なんでも使い方次第ですよね。
勘違いも妄想も、自覚してわざと使えば、強く生きるための武器になります。

先日、とある人からアクションをいただきました。先日知り、尊敬できる人です。
とても、とても嬉しかった。
下心でもない。
承認欲求でもない。
これはうまく表現できないのですが、たぶん、たとえば浅田次郎先生に手紙を書いて、返事をいただけた時、同じような感情になると思う。

今までは、心の中にいる人物は、歴史上の偉人か、創作上の登場人物でした。その生き方や言葉に押されて、踏ん張ってきた。

そこに、今まさに同時代で生きている人が入った。
勘違い、妄想と前提しているので書きますが、
「あの人は今日も学び、苦悩し、苦痛を乗り越えている。」
と思えば、まるでそこに同じ志の人がいるようで、一歩多く足が出ようものです。

そこにいるのは、妄想の産物で、実在の人ではないけれど、そこにそうしていることで、実在する自分は成長していく。そういうこと、ありますよね?
まるで虚数のようです。
虚数とは、二乗した時に、マイナス数値になる、想像上だけの数です。数学には虚数があることで、実在するものが多くあります。
すごく不思議で、魅力的な考えですよね!

しかし、今回は実在する人。
顔つきを見て、声と言葉を聞く限り、地獄を生きた経験のある人。だから、本当の優しさを持っている。

僭越ですが、考え方が似てると思いました。選択する言葉も似てます。そして、私の持ってない経験がある分、同じ言葉でも深みがあります。まるで、未来で私が導き出す答えをすでに得た人、のようです。

あなたにすがることはないけれど、その経験から出てくる、重みのある温かい生きた言葉と知識は、吸収します。
そして、私の内に取り込んで、咀嚼して、新しく私の言葉にできて、それが誰かを救えれば嬉しいですね。

話がそれましたね。

そこにいてくれるだけで、張り合いが出ますし、負けてられない、と踏ん張れます。

私はとにかく運が良い。
特に、人との出会いの運だけは、誰にも負けない。

でも、運に負けたくはない。実力で得たい。精進しなければ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?