謝罪について
『Artiste』
ネットサーフィンしていた時に広告で見つけた漫画。一話を読んだだけで、なにか引き込まれた。絵ではない。登場人物か。
この漫画は、珍しいくらいの量を、行間に詰め込んでいる漫画。理屈のわからない高揚感と涙が出てくるからそう思った。
今、2周目をよんでいるところだ。1周目を読んだときに、絶対に2周目も読まないと、と自然と思った漫画。以下、ネタバレが少しあるので、この記事を読むかどうかはここで決めてください。
まずは、見ていただきたい。
今日も読んでいて、タイトル通りのシーンが出てきたので、書くことにした。
「謝ることは卑怯だ」
と言われたことがある。
ある女性に言われた言葉だった。
その人は強い。女性に対して「強い」と言えば、精神的な強さを思うかもしれないが、ステゴロも強い。
某有名格闘家のジムで戦士にジョブチェンジしていたことがある。
ダイエットのためにジムに行けば、たぶん、いや十中八九騙されて、プロウェイトリフターになるトレーニングを、本人の許可を得ずに、秘密でやらされるほどの才能の持ち主。
一時期のやつの体格が物語っていた。
「ステゴロも強い」というわけで、もちろん口も強い。弁護士の知り合いに技術を学んでいるようだ。そうでなくても、アメフト部の元主将の男いわく、
「俺は目の前で見た。やつは殺気を出した。割り込みおばさんに、口論の末、
「●すぞ」
と言い、殺気を放った。その瞬間、おばさんも、ニヤニヤ見ていた列の人間も全員がやつから目を逸らした。やつが歩けば、モーゼのように人波が割れた。
俺は生まれて初めて殺気を経験した。」
だそうだ。
気迫が違う。のまれてしまう。
ただ、やつは弱い人に優しい。誰も関わってこない都会の中で、助けを求めている人、困っている人を助ける。
絡まれていれば、絡んでいる人間を壁ドンするそうだ。
「やるんかコラ?」
と。
一時期、カバンの中にはスタンガンが入っていたし、誕生日にはメリケンサックが欲しいと言われたこともある。
私はそんな彼女を大きく尊敬している。
そんな人と、ドキドキしながらも口論になった。やつとの口論はたまらない。裏打ちされた、心技体の実力と自信から醸し出される圧迫感に、戦う前から負けを認めたい。
ただ、その時は後日落ち着いて考えると、自分が悪いと思い謝った。
悪いと思えば、すぐに謝る。良かれと思っていた。
そんな私にその人は言った。
「謝るのは卑怯」
謝られると、こちらはなにも言えなくなる。
謝るのは、自分の気持ちの悪い感情を除くのが優先の行為で、相手の気持ちを考えた行為ではない。
その通りだと思った。恥じた。
それ以降、たまに思い出す程度だが、強烈に残っている言葉だった。
その後、ある人に本物の憎悪を向けた。
この記事に書いてあるが、これでも100%の表現ではない。50%も表現できていれば良い方だろう。
そんな状態の時に、やつの言葉をやつ以上に理解した。
私が憎悪にまみれていた時に怖かったのは、対象者が謝ってきた時だ。
私がどんな状況で、どんな状態で、どのように死にたく、どのようにお前を潰したいか、そして、そんな感情に染まっている自分をどれほど許せないか、それがどれくらい地獄の葛藤なのか、それを最低でも100%理解していると思えるような謝罪であれば、許すだろう。
しかし、そんな人間は稀だ。
これを、うわべだけ理解して、理解した気分になって謝ってきたとき、私は呪いの言葉を吐くだろう。対象者が、一生幸せにならないように計算しつくして、言葉を繊細に選択していくだろう。
たしかに、謝るのは卑怯だ。己の快楽のためだけに謝るのだろう。謝罪に恐怖しながら、あの時のやつの気持ちを理解した。
本当の謝罪は、相手の不快感を除くためだけを考え、行動にうつさなければならない。
それができないのであれば、自分が子どもでない限りは謝るべきではないのかもしれない。
理不尽な憎悪でない限り、しっかりと相手に憎まれないといけない。相手のサンドバッグにならないといけない。
なぜなら、憎悪を抱いた人間がすがるべき柱は、己の憎悪なのだから。謝罪されると、すがるべきものが消えていくかもしれない。生きていけない。それか、心が再度壊れてしまう。
謝るなら、己も同じレベル以上の地獄を経験し、心が壊され、文字通り床をのたうち回るほどの葛藤と毎日戦った末に、謝るべきだ。
しかし、場合によっては一生謝るべきではない、と思ってもいる。
そう、死んでも許されないことを受け入れるべきだ。
生まれ変わった人間には、過去の傷が残っている場合もあるそうだ。これは、アジアのある少年の事件の話であった。殺されたときの傷が、生まれ変わったあとも残っていて、その記憶をもとに前世の国に現両親に連れて行ってもらい、犯人の逮捕に至った実話。
このように、文字通りに、相手は死んでも消えない傷をかかえるかもしれない。傷をつけた本人も、一生苛まれるべきである。
私の中で、この問いはまだ解決に至ってはいない。上記のような、負の感情に身を焦がすような自分でなくなった今は、憎悪がほとんどなくなったのだから、また違った回答を見つけ出さないといけない。
少なくとも、こうならないように、慎重に言葉と行動は選択しないといけないし、こうなったときにも相手を極力傷つけないようなふるまいができるように、勉強をやめてはいけない、と思った。