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反省と反省と反省

記事を二つ消した。
戒めとして残しておこうかと思ったが、見るに堪えない。
「スキ」してくれた方には申し訳なかったです。

その二つは、投稿するときから違和感はあったが、やってみて、自分がどう感じるかを知りたかったので投稿してみた。

人間は、意識を向けているものについては、小さな情報や、一見関係のないものからヒントを得ることができる。
文明の利器の構造に、人間以外の生物の構造がよくつかわれているのは、「なにか」を探している人が、その動物を見たときにヒントを得たからだろう。
そのヒントは、誰もが思いつくわけではなく、心の底から求めている人にしか見えない。

この二つの記事も、違和感の正体はわからないままだったが、ある文を見たときにわかった。
なので削除した。

具体的な正体は言わないが、原因は、自己防衛のための気分高揚と、痛覚麻痺かな、と思う。

あの時は、落ち込みもせず、いつもと変わらない状態だったけど、そんなわけがない。その証拠に、今日ジワジワ効いている。
堕ちてしまったときは、運動が良いとは思うけど、それ以外の行動としては、静かにしていた方がいいと学べた。正常に感じるけれど、異常だった。

今回の失敗で思ったことは、性格と逆の行動をするのが良いと思った。
ポジティブなら、ネガティブに。
雄弁なら、寡黙に。

自分をかなりの前向き思考と思っているが、そんな人間がポジティブについて語ったところで、軽薄な言葉しか出てこない。短所が分かっていないのだから。
自分の向いている方向だけを見て進むと、根本的な苦労は体験できない。
苦労のない人生なんて、サルサのないタコスと同じだ。

今回も自然と前へ前へと考えていったが、結果はどうか。
前向きなんて言葉通りで、足元と後方180度はまったく見えていない。
だから、自分の行動が誰を傷つけているかをわからない。
そんな人間が多弁であれば、時と場合によっては目も当てられない。

そもそも、言葉の魔力にとらわれて、自然と評価をつけてしまうのが罠だと思う。
例えば、

ポジティブ +5 ネガティブ -5
雄弁 +3    寡黙 -3

というようなイメージが一般的だと思う。
数字で来るものだから、+は良好、-は不良
という風にとってしまい、+が大きいほどに良いと思ってしまう。

しかし、本当は「±0」に近い方が、賢く、強く、優しい人なのでは、と今回の失敗で考えた。
私ならば、100を上限とした場合、

ポジティブ+90
多弁   +70
積極的  +60
気性の荒さ+90
素直   +90

こうなるかと思う。
それと対になるのは、

ネガティブー70
寡黙   -10
消極的   0(一部のみー50)
繊細さ  ー70
頑固   -80

こうだろうか。
「+」の項目だけの性格だけで考えた場合、
感情的で正直な、おしゃべりのただのバカ、という風に思う。
そこに反対の性格が加わることで、深みになる。
「清濁併せ呑む」
という言葉で表されている、と思った。

ネガティブは、もともとほとんどなかったが、それは考えない、省みない性格の証拠。しかし、憎しみを体験することによってこの要素が後天的に増えた。

繊細さも、もともとあわせ持っていない。職人的なことでの繊細さはもともとの性質としてはあるが、対人、精神的な繊細さはほぼなかった。だから空気を読めず、ネガティブが無いので指摘されても気にせず。
20歳頃から、少しずつ治すようにしてきた結果。
両方とも後天的な性質。

ただ、大事なのは最初から「0」ではなく足し引きした結果の「±0」に近づくことだと思う。

あくまで、今回得た、私だけの考えです。
自分を俯瞰的に見れず、冷静に行動できないのは、私の場合はやはり読書が足りない。言葉にできていないことが多すぎる。

最近は文を書くのが楽しすぎて、仕事の昼休みも考えていたりする。
いきすぎだろう。その時間で2,3冊は読めた。
ここも反省。

しかし、私の文章は重さがない。
できるだけ偉そうに書かないようにしているけど、そのせいではなく、重みがない。
他の人の文章を読んで、考えてみよう。

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