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<MBTI>INFP・ENFPの特殊な「あざとさ」について

 久しぶりのMBTI記事である。筆者はもともとINFPの下位区分について考察したかったのだが、その前段階として、INFPとENFPの女性に見られる特殊な「あざとさ」について考えてみたいと思う。

 一般に「あざとい」とされる女性について考えていると、これが本質的にはSF型のカルチャーであることが判る。田中みな実を筆頭に、吉岡里帆とか有村架純とか加藤綾子などが挙げられることが多い。さり気なく男性の自尊心をくすぐったり、上目遣いで見つめたりというしぐさである。筆者はこのような「あざとい」女性に出くわしたことは何度もあるのだが、どれもしっくり来なかった。というのも、筆者は99%N型だったので、「あざとい」という特性をきちんと認識できていなかったようなのだ。

 一方、以前の地雷系INFPの記事でも書いたが、NF型にも似たような「あざとい」と言えるような挙動は存在する。地雷系INFPはかなり極端かつ不健全状態なので、多くの「あざとい」NFP型はここまでひどくはない。

 興味深いことに、このようなNFPの「あざとさ」は一般的な意味でのあざとさとは異なるようだ。どうにもNFP型の「あざとさ」は世間で「あざとい」とは認識されていないのである。筆者は仮にこのような「あざとい」を「特殊なあざとさ」と呼ぶことにする。

 ではNFP型に見られる特殊なあざとさの特徴について考えていきたい。筆者はMBTI界隈にしてはかなりNT型に振り切っているので、ややストレートな表現も多いかもしれないが、今更変えても仕方がないので、貫くことにする。

INFP・ENFPの自他境界の曖昧さ

 SF型の多くは自他境界がはっきりしていると思う。少なくとも、一般常識の範囲を超えることが無い。SF型は様々な慣習に従って生きている。その慣習は社会的地位とか、会社の年次とか、、スクールカーストとか、その他の人間関係だったりする。

 一方、INFPやENFPはそういった「空気の境界線」をしばしば踏み越えてしまうことがある。空気が読めないというわけではないのだが、SF型と違って境界線がぼやけていて、波打っているイメージである。したがって、NFP型の人々が平均的な自我を持っている場合、自他境界はところどころではみ出たり、引っ込んだりする。自己開示をしたがらないNFP型も存在するが(多くはINFPである)それは自他境界が波打っていることと矛盾するものではない。単純に低い状態で推移しているだけである。

 したがって、INFPやENFPはしばしばそういった境界を踏み越えてグイグイ来る時がある。これが男女に関する場合、勘違いの元となる。初対面なのに妙にフレンドリーだったり、通常常識的とされる社会慣習を踏み越えて仲良く慣れたりするのである。例えばこんな漫画がある。

「のあ先輩はともだち」という漫画があるのだが、ここで描かれるのあ先輩はまさにNFP型の自他境界の曖昧さを表していると思う。のあ先輩の行動は明らかに職場の先輩後輩や男女に求められる社会規範を踏み越えているだろう。しかし、それがまた魅力なのである。漫画なので極端にデフォルメされているが、方向性としては大きく変わらないと思う。NFP型の特殊なあざとさを感覚的に理解したい場合はこの漫画の序盤を見れば分かるだろう。

ジェンダーを無視するINFP・ENFP

 S型は全般的にそうだが、彼らは色々な社会慣習に沿って生きている。これらの規範の中で、際立って重要なのはジェンダーである。小学校に上がったくらいから、男女の区別は人間関係において大前提になるし、思春期になればなおさらだ。S型の話題を見ていると、男女関係の話はかなり優先度が高い。社会人はともかく、学生においては最重要といっても良いだろう。S型の社会では「男らしさ」や「女らしさ」は重要で、それらの項目で点数が高い人間はモテたり、カーストが高かったりする。ジェンダーロールを無視するような行動は単に違和感を持たれるだけではなく、「ダサい」のだ。それでも日本はマシな方で、アメリカの高校ドラマを見ていると、軟弱な男性は「オカマ野郎」等の言葉でバカにされたりする。一般的な「あざとさ」もこれらのジェンダーロールの延長線上である。

 一方、INFP・ENFPの振る舞いはこのようなジェンダー規範から逸脱していることが多い。というか、N型は全般的にジェンダーロールとの相性が悪い。INFPやENFPはそういった垣根を乗り越えてダイレクトに男性に接触するので、先程の漫画のようなラッキースケベ的な方向に行きかねない。例えるなら、漫画やラノベにありがちな、「逃走中のヒロインを家に匿ったら眼の前でいきなり衣服を脱いで風呂に入ろうとした」、といったシーンはNFP型のジェンダー規範の緩さに性質的に近い。NFP型の特殊にあざとい女性ははその無節操さから思春期においてはぶりっ子とか自意識過剰と思われることもある。同調圧力の強い中高時代は押し殺していた人も多いだろう。

 筆者の個人的な妄想に過ぎないが、ジェンダー規範が極端に強い中東ではSF型の女は決して男性の前ではヘッドスカーフを取らないのだろうと思う。一方、NFP型は「暑い」といった理由で取ったり取らなかったりしそうである。だからといって信仰心が薄いとか、常識を知らないというわけではないのだ。

具体例

もっと具体的に考えてみよう。両者の最大の違いは「情報発信の積極性」である。

 合コン等に参加してもSF型のあざとい女性は面白いことを積極的に言うことはないし、聞き役に回ることが多い。趣味の話もそんなしないし、あったとしてもピラティス等の一般的な範疇である。コミュニケーションの多くは相槌や笑顔のような非言語的な要素が重きを占めている。

  逸脱形態ではあるが、SF型の結婚詐欺師を見ていると、相手の気持ちを察する能力や「気立ての良さ」が強みになっている。料理を作ったり、なにかと世話を焼いたりする行動が男性に対するアピールになるようである。

 一方、NFP型の特殊なあざとさの場合、むしろ積極的に個性を発信することが肝心要である。自分の生い立ちを語ったり、趣味について語ったり、風変わりな個性をアピールしたりもする。そしてその合間に妙に純朴な自我が見え隠れするため、時にそれが魅力になったりもする。また、ところどころで自分の「弱さ」を見せるのも特徴である。これが女性要素との相性が良く、魅力を際立たせている。

 筆者の個人的な経験になるが、大学時代の出会い系サークル(有名大の男子と近所の女子大で構成されているようなやつ)の美女はSF型の一般的なあざとさが強かったのに対し、オタサーの姫は明確に特殊なあざとさが強かった。やはりジェンダーロールが存在する環境は一般的なあざとさとの相性が良く、ジェンダーを無視するような場所は特殊なあざとさとの相性が良かった気がする。

 有名人の中でも一般的な意味でのあざとい人物が多く見られるのは女子アナである。田中みな実とか加藤綾子は有名だが、最近だと森香澄とかだろうか。これらの人物はジェンダーの境界線を踏み越えることはない。例えば女子アナのテレビでのふるまいを見ていると、議論に積極的に参加したり、持論を発信することは求められていないことは明らかだ。「あざとい」女子アナにとって、そういった振る舞いは三浦瑠麗や山崎玲奈のようなある意味で「ダサい」人物の行うことなのかもしれない。女子アナはメディア関係の中でも特にS型の要素が強く求められる印象である。欧米メディアの女性アナウンサーとはずいぶんと雰囲気が異なっている。なお、弘中綾香は例外的な存在であり、それが受けたのだろう。有働由美子が良い例だが、NHKは全く違う原理で動いているので除く。

 乃木坂46で例えると、一般的な意味であざといメンバーは衛藤美彩や星野みなみを考えると理解しやいと思う。最近のメンバーだと遠藤さくらや菅原咲月が挙げられるだろう。いずれのメンバーも積極的な情報発信をしたり、人前で芸をやったりするタイプではない。一方、特殊なあざとさの典型例は松村沙友理や一ノ瀬美空である。彼女らは人前で進んで芸をやりたがるし、個性のアピールも大好きである。これらのあざとさは一般的なあざとさとは著しく乖離しているし、単なる変人にしか見えない時もあるだろう。(秋元真夏や中西アルノは例として使いにくいので省く)日向坂46の加藤史帆もまた典型的なENFPだが、齊藤京子のお尻を触って当てる遊びを考えついて実践するなど、やはりSF型の「あざとい」には絶対に含まれていない行為をしがちである。ただ加藤史帆まで行ってしまうとNFP型のあざといからも乖離してしまうかもしれない。

 NFP型にしばしば見られるが、SF型の一般的なあざとい女子に決して見られない系統の言動がある。それは「女体の話」である。言語化するのははばかられるが、「胸が重いと肩が凝るわー」とか「子宮の機嫌が云々」系の話と思ってもらえば良い。NFP型はジェンダー規範に無頓着なので、男性の前でも平気でこの手の話をして、相手を刺激することが珍しくない。筆者はINFPの女性が「生理辛いアピール」で男性の気を引いているのを目撃したことがある。SF型の感覚ではこの手の話はタブーであり、男性の前であけっぴろげにすることはない。というか、言語化自体がまずい。

 おそらくN型は心身二元論的なところがあり、自分の身体に関して客観的に捉えるところがあるのだろう。これがNT型の場合は「女体持ちは罰ゲーム」といった方向へ行くかもしれないが、NF型の場合はそういう方向には向かいにくい。フェミニズム的なことを主張していたはずなのに、いつの間にか「理解のある彼くん」が現れて論調は明後日の方向へと飛んでいく。特にINFPに顕著だが、新世紀エヴァンゲリオンと同様に世界の変革や真理の発見は前座でしかなく、最終的には承認と自他境界の話に着地するのである。

グイグイ来るSF型もいるのでは?

 しかし、「SF型だって男性にグイグイ近づいてくる人もいるのではないか?」ということが思い浮かぶ人もいるかも知れない。確かにそういった人もいるだろう。ただ、SF型が意図して男性に思わせぶりな行動を取る時は明確な目的があることが多い。特定の男性を落とすとか、カーストを上げたいとか、キャバクラのようにそれを職業にしている場合などである。場合によっては詐欺師であるケースもあると思う。要するにSF型は手段として割り切っている。こういう時のSF型の潔さと合理性は本当に目を見張るものがある。

 SF型はこの手の境界線には敏感なので、夜の世界で働いているSF型はメルヘンどころかむしろシビアな価値観を持っていることが多い。キャバ嬢はSF型の能力が最も高度に要求される業界であることは間違いないが、あくまで仕事として割り切っているのであって、男性に近寄って承認欲求を得たい訳では無い。しばしば「年収1億円銀座NO1ホステス」のような夜職の女性が本を出して同性からの支持を得ることがあるのも、社会の下層でたくましく生きていく女性の強さを表しているからだと思う。
(最近はNF承認系が増えているのでやや古い価値観かもしれない)

 一方、NFP型の場合は恐ろしいくらいにそういった行為には無自覚である。NFP型のあざとさは「無節操さ」に起因しているからだ。NFP型は男性を落とそうとしてあざとい行為をしているわけではなく、むしろ何も考えていないが故にあざといのである。もちろん男性に囲われることを快感にしているNFP型も多いと思うが、それらも結局のところ他者承認の問題に行き着く。SF型のような強烈なジェンダー意識とは根本的に違うものだ。その承認のパターンが親とか社会ではなく、男性に向かったものだろう。

 SF型の詐欺師、例えばドンファン妻のような人物は人間には対して興味がなく、目的は金である。一方、りりちゃんのような詐欺師は金というよりも承認を求めていたような印象を受ける。前者はSF型の線引きの厳しさが出ているのに対し、後者はNF型の線引きの曖昧さを感じさせる。

文字媒体との相性

「あざとさ」に限ったことではないが、N型は文字媒体との相性が良い。したがって、NFPのあざとさはインターネット上でも遺憾なく発揮される。以前のZ世代の記事でも書いたのだが、最近はインターネットが普及しているので、NFP型にとって情報発信し易い状態になっている。

 これはSF型の一般的なあざとさには見られない傾向だ。SF型のコミュニケーションは非言語的な要素が強いため、基本的に対面でないと威力を発揮しにくい。一般的なあざとさについて記事中でうまく言語化できないのも、SF型の間合いがなかなか言語的に記述しにくいからである。

 一般的なあざとさの場合、「動作」がかなり重要だ。あざといシチュエーションを考えてみると、言語的な要素はそこまで重きを占めておらず、タイミングや場の空気にきわめて強く依存しているということだ。上目遣いとか、ちょっとしたボディタッチとか、そういった要素は明らかに非言語的な要素が大きい。というか、もはやスポーツに近いような気分すらしてくる。

 一方、NFP型は自分の考えていることを離れた人間に発信するのが得意である。やはり逸脱例で申し訳ないが、詐欺師でいうと頂き女子りりちゃんが有名だろう。彼女が世間の注目を集める理由はその発信力が木嶋佳苗のような従来型の詐欺師とは大きく異なる点である。木嶋佳苗の天性の魅力は面会に来た記者との獄中結婚を成就させるくらいには強力だったが、世間はこの太った悪女の何が魅力なのかさっぱり理解できなかった。しかしルポルタージュを読む限り、木嶋佳苗の男性に対する籠絡力は極めて高いようだ。一方、りりちゃんはネット上で大人気だ。獄中にいながら、かなりの数のフォロワーを集めている。

 ちなみにアニメやラノベに登場する魅力的な女性キャラの振る舞いはすべて特殊なあざとさの方である。SF型の一般的なあざとさは漫画等で表現するのが難しいし、仮に表現したところで読者の心に響くのかもわからない。

ジェンダーと性

 筆者はあまりこの手の話には言及しなかったのだが、MBTI考察の大前提として三大欲求は性格分類よりも更に強力な概念であるというものがある。要するに、性的指向は性格分類とは全く関係がない。F型は女性的であると言われることもあるが、F型の男性が女性に興味ないとかオカマっぽいかといえば、全くそんなことはないと思う。

 NFP型はその自由奔放な性格からジェンダー的な規範に沿わないことが多いのだが、まさにその理由で男性の興味を引き付けているのは大変皮肉だ。N型の集団はジェンダーロールに無縁であることもあるが、その手の集団はむしろドロドロした恋愛話が蔓延していることもある。ジェンダーレスになっても性や恋愛への関心は弱まることはないし、むしろ強まってしまうケースも多いのである。

 勝手な独自考察になってしまうが、S型の性的魅力はジェンダー意識の強さに立脚しているのに対し、N型の性的魅力はむしろジェンダー意識の弱さによって掻き立てられている。ある意味で後者の方が本能的と言えるかもしれない。N型の恋愛観は社会的な男女関係の段階がすっ飛ばされていて、ジェンダーレスな他者承認と本能的な性的欲求が組み合わさっているような印象を受けるからだ。この辺りについては別の機会に掘り下げてみたい。

NFJやNTPについて

 このような特殊なあざとさを見せるNFP型であるが、興味深いことにNFJ型やNTP型に同様の特徴は殆ど見られない。

 まずNFJ型に関してだが、ジェンダー意識の弱さや他者承認の重要性に関してはNFP型とそこまで大きくは変わらないと思う。ただNFJ型は自他境界がNFP型よりも遥かに厳格で、男性に思わせぶりな態度を取っていると思われることはほとんど無い。勘違いさせるような要素がNFJ型の振る舞いには含まれていないのだ。これは無節操さがNFP型の特殊なあざとさに不可欠であることを示しているかもしれない。

 NTP型に関しても特殊なあざとさを持っているタイプはほとんど見かけない。自他境界の曖昧さやジェンダー規範を踏み越えるという点ではNTP型も共通するし、情報発信への積極性という点ではNFP型を上回るだろう。しかし、NTP型の話題や振る舞いはどうにも「かわいい」といった方向に繋がりにくいのである。令和の時代にこういう話はどうかとも思うが、NTP好む議論や物質的興味は男性的な要素と相性が良いのだと思う。ぶっちゃけて言えばNTP型は女体を持ったオッサンであることがあり、その性的魅力は「女だから」という一点にのみ立脚している。NTP型と思われるアイドル、例えば乃木坂の池田テレサや日向坂の齊藤京子を考えてみても、「あざとい」要素は感じられない。

 NFP型がしばしばあざとく見えるのは、NFP型の特性と女性の魅力が偶然一致しただけなのだろう。これはINFP男性の生きづらさにも繋がってくる。

まとめ

 今回は簡潔に留めるつもりだったのだが、また長くなってしまった。ジャンダーについての考察を始めると無限に論点が出てくるが、筆者がしたいのはINFPの分類であるため、このあたりにとどめておく。

 SF型のあざとさはジェンダーロールと切っても切れないものであり、かなり社会的である。また一般的なあざとさは積極的に主張や個性を発信しないことが重要な点となっている。これに対し、NFP型のあざとさは非常に特殊で、あざといと言われないことの方が多い。むしろぶりっ子とか自意識過剰といった単語の方が近いだろう。NFP型のあざとさの根源はジェンダー規範への関心の弱さにより、異性との距離感を過剰に詰めてしまうことにある。その原動力となるのは承認である。本来他人を魅惑するNFP型の性質は男女を問わないものなのだが、どうにも男性的要素との相性が悪いため、女性に限定されがちである。


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