「東大卒はレールを外れたがらない」の真実

 最近、ネット上でレールから外れた人生を肯定するような言説が目立っている。筆者はそのような人生プランには全面的に反対である。レールに乗っている状態の方が明らかに生涯年収や家庭形成において有利であることが多いからだ。その理由は一言では語り尽くせないほどあるが、その要因を論じることは今回はしない。

 このような言説を好む時にしばしば挙げられるのは東大出身者を中心とするいわゆる高学歴エリートである。ただし、高学歴といってもどの段階を持って高学歴と指すかは明確でない。今回は高学歴の中でも特に上位に位置する東大出身者あるいはそれに準ずる学歴の人間を念頭に置くことにする。

「東大卒はレールから外れるのを異様に恐れる」という話ある。エリート意識が強く、頭が凝り固まっているからとのことだ。これは本当なのだろうか。筆者は多数の東大卒と交流してきたし、彼らの進路や悩みについても結構把握しているつもりである。それらの経験から見えてきたことは、東大卒は別にレールにそこまで固執しているわけではないという点である。というか、むしろ堅苦しい進路を嫌がっている人間も多い。東大卒がレールの上の人生に固執しているように見えるのは日本の労働市場の根深い問題が関係しており、結果としてそうなってしまうのだ。

日本型雇用の功罪

 別の国のシステムは知らないが、日本社会においては雇用の流動性が低く、新卒を逃すとその後の人生が厳しくなってしまうことが多い。いわゆる大手企業に入るのが最も簡単なのは新卒の時だ。そこを逃すと加速度的に就職市場での価値は下がってしまう。そもそも人気企業や安定企業の場合は新卒を逃すとほぼ入社のチャンスが無いことも多い。

 最近は中途採用が増えているのでこの限りではないかもしれないが、それでも大手企業で出世した人間を見ると、恐ろしいくらいにプロパーばかりである。中途で入社した人間は専門職採用なので、日本企業の感覚でいうと便利屋に近い。だからといって社内で冷遇されるということは全く無いが、プロパーのように同期や先輩後輩の密接なつながりがあるわけではないので、随分と感覚は違うだろう。

 最近は変わりつつあるとは言え、未だに日本の経済界には新卒主義のカルチャーは残っていると思う。20代前半の内にレールに乗ってそのまま定年まで頑張った人間と、そうでない人間の間には越えがたい差が付いてしまう。
 
 更に恐ろしいのはこのような大企業型のキャリアはドロップアウト耐性が低いということだ。途中で辞めてしまった場合、もはや元のルートに復帰するのは厳しいと言わざるを得ない。特に40代以上の社員にとっては破滅を意味する。社内で役職が付いて年収1000万とか1500万をもらっているシニア社員でも、一度会社の外に出てしまえば地獄のような扱いが待っている。

東大卒は本当にレールから外れたくないのか?

 これらの日本型雇用慣行は東大卒のカルチャーによるものではない。どちらかと言うと、日本の大手企業は早慶やMARCHが中心である。正直、筆者からするとむしろこれらの大学の優秀層の方がレールの上の人生に乗る重要性は高いようにも思える。正直、筆者の率直な感想として、レールの上を重視して、それ以外の逸脱を許さないような文化は、東大卒とは違った界隈によって作り出されているような気がしているのである。

 東大卒にとってのレールが何を意味するかは釈然としない。東大法学部であれば法曹や官僚だろうか。しかし、これらの業界に進まない人間も半分程度存在するし、彼らがドロップアウト扱いかというと、全くそんなことはない。頭の固そうな学部にも関わらず、進路選択は驚くほど多様である。さらに、ベンチャーや外資系といった転職前提のキャリアへの人気も高い。学者を目指して博士課程に進む猛者もいるだろう。東大卒の多くは色々と才能を持っている人が多いし、一つに決めきれないということも多い。そもそも思考能力の高い人にとって脳死でコースに乗り続けるような人生は魅力的でないかもしれない。

 確かに東大卒には頭の固い人も多いし、真面目な優等生で来た人も多い。それでもレールの上からの逸脱を許さない文化かというと、あまりそんな感じはしないのである。中央省庁で出世ルートに乗るかと思いきや、数年でドロップアウトして大学院に通っている者も複数知っている。就活しないでYouTuberとなった者も知っている。東大卒は思われているほどレールに固執しているタイプは少ないと思う。

じゃあなぜレールから外れたがらない?

 ではなぜレールの上から外れたがらないかというと、その原因はおそらく「サンクコスト」である。東大自体の文化はそこまでレールの上と言った感じはしないが、東大卒の多くが進むサラリーマンの世界はそうではない。日本型雇用慣行から脱落した場合、その先のキャリアは東大卒であっても厳しくなってしまう。生涯賃金・社会的威厳・安定性の全てが失われてしまうだろう。

 重要なことは、東大卒のサンクコストが他の大学出身者と比べて遥かに大きいということである。東大卒の多くは莫大な教育投資を受けているし、努力だってしている。中高時代は常に周囲から一目を置かれていたはずだし、受かった時の達成感は大きいはずだ。間接費用の問題もある。東大の同級生は順調に出世していくし、医学部に言った同級生は遥かに高い年収を稼いでいたりする。これらのサンクコストが存在するために、同じ進路に進んだ場合でも、レールから脱落した場合の損失が他の大学出身者と比べてあまりにも大きいのである。

 元から対して成功体験の無い人間であれば、大手企業をドロップアウトしてもそこまでショックは大きくないかもしれない。元々いた世界に戻るだけである。しかし、東大卒の場合はそれまでに受けた投資も努力も尋常ではないし、自分の才能が認められたという確かな達成感がアイデンティティになっているはずだ。このような状態でレールを外れた場合、落差が非常に大きい。医師免許のような保証の無い東大卒にとって、このリスクは深刻だ。一度落ちてしまえばもはや東大卒の肩書は嘲笑の対象にしかならないだろう。世間一般で言うところの「転職先で使い物にならない50代元JTC部長」と同じである。

ソフトランディングの重要性

 東大卒でもエリート意識が原因でレールに固執する人間はいる。しかし、それは例えるならば「開成に入ったのだから東大に行かないといけない」といったレベルの話に過ぎない。実際は東大に落ちても後期で一橋に入るとか、併願校の早慶に進学すると言った形でソフトランディングが可能である。大学院で東大に行くこともできるし、就職で逆転したり難関資格の取得で裏塗りするということも可能だ。就活も同様で、マッキンゼーに行けなくてもアクセンチュアや野村総研に入ることは可能だし、待遇が大幅に違うということは無いと思う。

 一方、社会人の場合はレールを外れた時の損害が遥かに大きい。業界一番手の企業をドロップアウトしたからといって2番手の会社でやり直せるかというと、そんなことはなく、もっと下がってしまうケースが多い。しかも、そこからの逆転は極めて難しい。構造上、どうしてもハードランディングになってしまうのである。

 しばしば東大卒は頭が良すぎてリスクが取れないという話があるが、事の本質は違ったところにあるのではないか。繰り返すが、医師免許等を持っていない普通の東大卒にとって、レールから外れることはあまりにもリスクが大きい。うまく行かなかった場合は今までの努力が水の泡となってしまうからだ。医師や弁護士といった国家資格はストックとしての性質が強いので、生涯優位性は消えることがない。しかし、学歴はキャリアという観点ではフローとしての性質が強いので、年齢とともに急速に価値が下がってしまう。サラリーマンの世界はソフトランディングが難しく、年齢とともにその傾向は激しくなる。しばしば年寄りは保守的と言われるが、これは脳の劣化よりも経済的なインセンティブの方が大きいのではないかと思う。

 高学歴はリスクを取れないと言えるが、それを招いているのは東大云々というよりも、日本型雇用慣行が原因である。医師や弁護士は平均的なサラリーマンより高学歴だが、サラリーマンほどレールが硬直的ではなく、ドロップアウトで全てを失うわけでもない。東大卒は何の保証もないので、アカデミアや起業等にチャレンジしても、失敗したらフリーターになってしまう。東大の同級生はもちろん、早慶やMARCHの出身者が大手企業で高い年収を得ているのを見て正気でいられるだろうか。こうした不安が払拭できないため、東大卒の多くは市場価値の高い新卒のうちに利確するのである。

まとめ

 東大卒はレールから外れた人生を嫌うとか、リスクを取れないといった言説がしばしば囁かれている。これはある意味では事実だが、その理由に関しては理解されていないことが多い。東大卒はあまりにも多くの投資を受け、あまりにも多くの成功体験を積み重ねているため、日本型雇用慣行のレールから外れることの損失が大きすぎるのである。

 やや乱暴な例だが、50歳年収400万中小企業社員を考えてみよう。一方はマイルドヤンキーで大学に行かないで楽しく地元で生きてきた人、もう一方は開成東大三菱商事だったがドロップアウトした人。両者の待遇は同じだが、精神的な損失はどう考えても同じではないだろう。極端な例かもしれないが、思考実験としてはこういうことである。

 30年続いたデフレ経済が原因なのかは分からないが、現代の日本社会は基本的にリスクを取らない人間が有利なようにできている。だから、頭の良い人ほど市場価値の高い内に参入障壁の内側に入って守りに入ることになる。だから本当は頭のいい人は東大に行くよりも医学部に行って利確するほうが良いのだ。日本社会の東大信仰は強いが、意外にキャリアでは活かす場所が少なく、30歳もすぎれば学歴の話をしようものなら物笑いの種になってしまう。そうならないためにはなんとしてでも優位性のある内に学歴をキャリアに両替し、守りに入らないといけないのだ。

 東大卒はむしろリスク愛好的な集団かもしれない。医学部に入れば利確できたのに、あえてしなかった人たちであり、就職先も安定が取り柄の老舗企業ではなく、外銀や博士課程を選んだりする。強烈な成功体験で自分に自信のある人が多いので、不思議ではないだろう。ただし、日本のサラリーマン社会はリスク回避的なキャリアの方が実入りが良いので、結局はサンクコストから守りに入る人の方が多い。そうして東大卒はレールに固執するといった信仰が出来上がるのかもしれない。

 

 

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