医者VS三菱商事について考える
私が熱心にフォローしている学歴研究科の1人に「じゅそうけん」氏がいる。最近彼の出した記事に、医者と三菱商事を比較する記事があった。
他人の記事をダシにして恐縮だが、学歴マニアの立場から今回は医者と三菱商事のどちらが強いのかを考えてみたいと思う。
三菱商事という会社の性質
こうした論争でしばしば登場するのが民間企業の王・三菱商事である。実際はここで表現されている「三菱商事」とは一流企業の文系総合職と考えた方が適切だ。したがって三菱地所とか、伊藤忠商事とか、日本生命といった給料の高いブランド企業は軒並み同じカテゴリに入れることができる。
ここには理系からメーカーなど、文系総合職といえないものは除かれる。文系でも新聞社やテレビ局など、強いこだわりがあって入るような会社は除かれる。外資系のように終身雇用でない会社は入社=プラチナカードではないので医師との比較はやはり困難だ。
三菱商事とは、特にやりたいことのない文系就職の学生がブランドと給料に惹かれて入る会社の象徴と考えればよいだろう。医師と三菱商事の比較とは、医師と文系総合職のトップ層の比較ということだ。
比較困難な私大医学部
しばしば医学部を巡る議論の一つに「私大医学部はバカでも入れる」という言説がある。昔は本当にそうだったらしい。現在は私大医学部も難化が進んでいるが、それでも早慶未満の偏差値の大学も多いようだ。不正入試の噂も絶えない。 しかし、学歴考察の上で私大医学部を持ち出すのは悪手である。というのも、実は私大医学部に入るのは国立医学部に入るよりも難しいからだ。
大学の難易度は需要と供給で決まる。問題の難易度でも科目数でもない。入りたい人が多く、定員の少ない大学が難易度が高くなるのである。
医学部は医師免許の取得が目的だ。したがって一部のブランド校を除いて基本的にどこに入っても良い。そうなると、私大医学部の需要は地方国立医学部と同等か、地理的事情から更に大きいだろう。私大医学部に入るのは地方国立医学部に入るよりも難しいことになる。
ただし、入る難しさと偏差値はイコールではない。私大医学部の入試を特殊にしているのが高額な学費だ。基本的に親が医者でもない限り私大医学部に入るのは無理である。私大医学部は「学費を払う」という「難しさ」のお陰で偏差値が低くなっているだけなのだ。したがって医師に関する議論は原則として国立医学部の出身者を想定することにする。
両者の待遇は大して変わらない
給料に関しては実のところ、大して変わらないと考えてよいだろう。勤務医は都心で暮らしていればそこまで給料が高くない。田舎に行けば跳ね上がるが、その代わり田舎暮らしというデメリットがつきまとう。三菱商事で海外勤務をすれば更に給料は高いが、これも同様に海外生活の負担を考慮しているからだ。一流企業は福利厚生も手厚い。全体的な給与テーブルは似たようなものなのだ。細かい比較に大して意味はないだろう。
仕事のキツさも同様だ。これに関しては主観的な意味合いが大きく、比較は難しい。ただし、医者も選ぼうと思えば楽な路線には向かえるので、三菱商事より一概にきついとは言えないだろう。バイト医と三菱商事の窓際族のどちらが強いかは諸説ある。
それでも三菱商事のデメリットは多い
医者と三菱商事、両者の待遇は大して変わらない。しかし、実は一流企業というのは見かけ以上にデメリットが多い。というのも、会社員という職業は本質的にかなり不安定だからだ。
よく、東大を出ても一流企業に入れるとは限らないという言説がある。確かにそうだろう。東大を出てもそれは職業の資格にはならないので、もう一度早慶の学生と闘って一流に上り詰めなければならない。そして、その不安定さは内定と同時に消えたようで、その後も実はつきまとっているのだ。
一流企業に入るとレールから絶対に降りられない
この点は医者と三菱商事の最大の違いである。三菱商事は沢山の就活生の中からライバルを蹴落として得られる「特権」だ。したがって何らかの理由でその特権を手放せば「その他大勢」に転落してしまう。単なる文系総合職というだけなら無名の中小企業にも沢山存在するからだ。医者は病院を変わっても医者だが、文系総合職は一流企業のご好意で高収入を得ているに過ぎない。一度辞めてしまうと振り出しに戻ってしまうのだ。
こうした違いは両者のキャリアにも影響をもたらしている。医者も医局で出世しようとすれば大変だが、そうした目的が無ければある程度自由に生きることも可能である。専攻もじっくり選ぶことができる
一方で一流企業は遥かに会社組織への依存度が高い。そのため、三菱商事の社員は全員が医局に入っているような生き方になる。会社の命令で配属と勤務地が選ばれ、ある年齢になったら定年でサヨウナラだ。定年後に医者との格差を実感する一流企業社員は多い。キャリア形成の自由度が全くないことは一流企業の最大のデメリットだろう。
要するに医者に相当する待遇を文系総合職で得ようとすると会社に雁字搦めになってしまうのだ。
東大法学部を出て長銀に就職した林修氏も、辞めたらただのフリーターに転落してしまった。いくらいい大学・会社に入っても、レールを外れたら全てが灰燼に帰してしまう。林修のキャリアは全くの無駄になってしまったと言えるだろう。
もちろん彼は塾講師・タレントとして大成功するのだが、これらの職業は文系総合職ではないので別の話である。
独立ができない
医者も出世しようとしたら大変だ。民間企業の文系総合職と同じか、もっと過酷な競争を勝ち抜かねばならない。ただし、医者には強力な逃げ道がある。それは開業である。
開業医の年収は勤務医よりも遥かに高い。三菱商事など目ではないだろう。うまく当てれば日本有数の金持ちになることもできる。これは個人事業主の特権である。
一方で、文系総合職にこんな芸当は不可能だ。もちろん起業に成功する人はたくさんいるが、それはたくさんいるライバルの中から勝ち抜いた一握りの勝者である。とても出世競争に破れた40代50代のサラリーマンが次々と独立できるとは思えない。この点で開業医というもう一つのコースが明確に存在する医者は有利である。
一方で、三菱商事にいると出世競争に破れたら最後、窓際族になって定年を待つのみだ。退職したら職歴も無意味になってしまう。開業医が町の名士をやっているそばで一流企業の元部長は駐車場の管理人をやりながら昔の肩書を自慢し、嫌われるのだ。
名誉が得られない
これはやや個人の価値観に依存する項目である。
拝金主義の医者は多いが、それでも医者は金以外の理由で目指す人間がたくさんいる。例えば研究がしたいという純粋な思いで医学部を目指すのは、社会的にも歓迎されることだ。医学部で出世すれば教授になれるし、教授の社会的地位は高い。名誉という観点では一番の職業かもしれない。例えば山中伸弥教授は多くの若者の憧れの的であり、社会的にも大変尊敬される人物である。
一方で、文系総合職にはこうしたルートはない。会社の仕事を頑張っても、せいぜい有価証券報告書に名前が乗るだけで、ノーベル賞を取ったり講演会に呼んでもらえることはないだろう。三菱商事に入る人間の目的は金と安定であって、学術的な探求をしたいとか、難病を直したいという動機に匹敵するものを持っている者は皆無だろう。偉人として歴史に名が残っている医者は多いが、歴史に名が残っている一流企業の総合職社員は皆無なのではないだろうか。
同様に医師の中には国境なき医師団で頑張ったり、被災地の医療に携わったりして社会的尊敬を得る人がいるが、一流企業にそんな機会はない。辞めてNPOに転職すれば別だろうが、その時点で一流企業の社員を辞めているし、医師ほどのバリューがあるわけでもない。せいぜい内部調整が得意な優秀な人という扱いである。
東大に行く時点で既にレールを外れている
医者と比べた際の三菱商事のメリットが一つある。それは「偏差値が高くなくても入るチャンスがある」ということだ。早慶文系の人間は医者にはなれないが、一流企業に入ることはできる。したがって逆転のチャンスがあることになる。東大レベルで偏差値の高い生徒の場合、特に目的がなければ医学部に入ったほうが無難である。
しばしば東大を卒業して起業したり俳優になったりする人間のことを「レールを外れる」と表現することがある。しかし、早慶よりも偏差値の高い生徒は医者になったほうが無難と考えれば、東大に進学すること自体がレールを外れていると考えることもできる。
東大は医者という安泰なレールを外れ、やりたいことを追求したい人間の行くところだ。志高い人間が学者・官僚・起業家などになるのであれば東大に行く価値は大きいだろう。しかし、単に楽に就職したいという価値観であれば医学部に行ったほうが良い(ただし勉強がハードであるが)。
ドラゴン桜に「東大は社会でのプラチナチケットだ」という有名な一節がある。しかし実際のプラチナチケットは医学部である。ドラゴン桜の編集者の佐渡島庸平氏は灘から東大に進んでいるが、彼はやりたいことを追求したタイプだろう。単にチケット目的であれば東大には行かない方がいい。東大に行っても、ただのサラリーマンになってしまえば医者の下位互換に過ぎないからである。
なお、東大卒であれば民間企業で高確率で出世するという見方もあるが、勝手な期待は危険である。一流企業は入ってから一斉スタートが原則だし、こうした特権意識はしばしば周囲の反感を買いかねない。そもそも出世は就活以上に水物だ。
多くの東大生は夢破れた時や、会社を辞めざるを得なくなる時に始めて「医学部に行っておけば」と後悔するのである。