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なぜZ世代はINFP化したのか?

 Z世代という言葉が定着して久しい。この言葉は現在10代後半から20代までを指すようだ。「ゆとり世代」の1個下に当たるが、ある程度はオーバーラップしているようである。

 さて、このZ世代の価値観だが、INFP化しているのが大きな特徴ではないかと考えている。Z世代の価値観、すなわち個性重視・上昇志向の無さ・個人主義・自己実現志向・ジェンダーレス化・繊細さ・妙な現実主義とリスク回避志向といった物事である。これらの特徴は驚くほどINFPのそれと良く似ている。更に言うとMBTIのブーム自体がINFP的である。

 しかし、Z世代はなぜここまでINFP化しているのだろうか。単純に歴史的偶然でそうなっただけで、大して理由がないという考え方もあるだろう。しかし、筆者はZ世代がINFP化したのは必然性があると考えている。Z世代の価値観は日本社会の変容を象徴しており、MBTIの観点からも非常に興味深い考察が引き出せるからだ。

 今回はZ世代がINFP化している理由について考えてみたい。

①Fi化する日本社会

 Z世代の特徴を決定付ける上で重要なのは日本社会全体がFi化しているという点である。これは日本社会の動向を踏まえると、実に必然性が高く、今後も強まっていく可能性が高い。

 TF軸に関する4つの心理機能、Ti・Te・Fi・Feを題材に社会を考えてみよう。まず昭和の日本人論を参照すれば良く分かることだが、以前の日本社会の価値観は今よりも遥かにFe的だった。困ったら助け合ったり、人の迷惑にならないように自粛したり、といった振る舞いは日本人が好むところである。伝統的な日本企業の献身的な価値観もまた、Feの要素に近い。集団に貢献することを是とし、真面目に勤勉に働き続けるのが日本人の特徴だったのである。そこに愛社精神や家族への絆も絡んでくるだろう。

 一方、Tiの価値観も以前の日本では強かった。戦後の日本では物質的に豊かになりつつあったこともあり、もっと儲けたいとかもっと豊かになりたいといった価値観も強烈に存在していた。20世紀後半の日本において価値観の対立はTiとFeの間で起きることが多かった。周囲を思いやり、公平無私の精神で頑張るFeと、私利私欲のために調和を乱してでも豊かさを求めるTiである。戦後の日本人論は大体がこの2つの相克を描いていた。

 ところが、1991年のバブル崩壊と30年間続いた平成不況が日本人のマインドを根本的に変えてしまった。日本のデフレの要因は諸説あるが、有力な説としてデフレ予想の定着が挙げられる。デフレマインドが日本人の脳内に染み付いてしまったため、もはや経済を動かすことはできないということだ。平成の30年間は安定と停滞の30年である。1990年代はまだこの情勢は一時的なものであるという認識があったが、2000年代の小泉改革を経ても状況が一向に変わらなかったため、もはや日本社会は動くことも変えることもできないという認識が定着してしまった。そこに追い打ちをかけるのがマスコミを通して散々宣伝された少子高齢化問題である。Z世代の多くはこの時代しか知らずに育っているため、昭和の経済成長などフィクションの話でしかなかった。

 この情勢で真っ先に衰退したのはTi的な価値観である。人生の春夏秋冬で例えるなら、Tiは青春期の心理機能だ。若者特有の向こう見ずな挑戦心こそがTiの特徴である。以前の若者は高価なスポーツカーを買い、競ってナンパに明け暮れていた。日本社会が停滞してからはこのようTi的な価値観は衰退してしまった。これは若者の犯罪離れなど、良い影響ももたらしたが、一方で挑戦しても仕方がないという諦めにも繋がった。Tiは物質的な成功や革新的なアイデアを重んじるが、平成の日本社会はこのようなタイプがあまり報われることはなかった。時代の寵児と言われた堀江貴文が2005年に逮捕されたことはその一例である。

 2008年のリーマンショック辺りから企業のコンプラが重視され始めたのもTiにとっては向かい風になった。Tiは遵法意識が低く、ルールを破っても大きな獲物を取ってこようとする真理だからである。このような特質は大企業に見られなくなってしまった。特に向上心は無くても、低リスクで遵法意識の高い役人タイプが主導権を握るようになったのだ。

 興味深いのはTiが衰退したと同時に、Feもまた衰退したということである。実のところ、Feはもっと前に衰退していたのかもしれない。発展途上国だった時代の日本人は行きていくのが精一杯だった。親族や近所の人同士で助け合わなければならない時代である。日本に限らず、発展途上国はどこもそうだ。一方に犯罪や不正行為に代表されるTi的な価値観があり、もう一方に驚くほど親切なFe的価値観がある。このようなマインドは高度経済成長期を経て愛社精神へと繋がった。日本人にとって会社は戦前の国家と天皇に変わる存在だったのだ。

 しかし、豊かになった日本はあまりに平和で快適になってしまったため、Fe的な価値観は特に必要とされなくなっていった。今はコンビニに行けば安くて美味い飯が食べられる時代である。特に近所と助け合わなくても、飢え死にすることはない。社会保証が充実したことで、親族同士で助け合う必要性も乏しくなり、むしろ無縁社会へと繋がっているようである。

 こうした社会の変化を受け、TiとFeは衰退した。平成の日本社会はあまりにも安定していて、既存のレールに我慢して乗っていればそれなりの安寧が保証される。代わって二項対立となったのはTeとFiの相克である。一方に社会的な正論があり、もう一方に社会的な肩書にとらわれない自己実現や幸福感がある。

 Te的な価値観は今のところ日本社会にしっかり残っている。TJ型は保守的であるため、停滞した社会でも存分に存在感を発揮できるだろう。現状の日本社会では保守に回ったほうが社会的達成に近いので、Teが優位を保つのは当然のことである。しかし、Teの弱みは人口の少数派しかこの心理機能を使いこなせないことにある。日本人の大多数はTJ型についていけないのだ。創作物を見ても、TJ型あるいはTJ型の価値観は悪役であることが多い。

 一方、Fi的な価値観はどんどん主流になっていった。まずFP型の人口は非常に多いため、Fi的な価値観は収まりが良かった。もう一つ重要な要素として、少子高齢化に伴う売り手市場が挙げられる。昭和の日本人は若者が多かったため、相対的に価値は低かった。Tiのように人を押しのけて上に行くような気概がなければ生き残ることができなかった。一方、令和の若者は遥かに希少価値が高いので社会から大事にされて育っている。そこまで争わなくても生きていけるようになったのだ。

 日本の人口動態はキノコ型になりつつある。これが意味するのは若者の生活水準は下がる一方、仕事はいくらでも見つかるということである。こうなると令和の若者にとっては物資的な豊かさを我慢し、平和に慎ましく生きるというのが最適解になる。これ以上の上昇は見込めないが、自分の居場所は確保されていて、社会的に保護される立場になるということだ。

 これはまるで老人の生き方に近い。実際、Fiは人生の春夏秋冬で例えるならば玄冬時代の生き方である。Fiが有効なのはもはや問題の解決ができなくなったときだ。日本社会の閉塞感と裏腹のぬるま湯のような環境は若者が老人化するという奇妙な結果をもたらした。実際、人口ピラミッドが反転したことにより、若者と老人は入れ替わっているのだ。現在の日本は「敬若社会」であり、これは企業の初任給や転職市場にも現れている。

 こうして若者の価値観はFiがメインとなった。「幸福感」という言葉が人生の目的とされているのがその象徴である。成長期の日本であれば考えられない概念だろう。物質的な豊かさや、社会への貢献の方が重要視されていたからだ。以前の日本人は幸福感を犠牲にしてでも昇給や出世を望んでいたが、現代の若者はほどほどの位置で安寧を求める。マイルドヤンキー最強論が取り上げられるようになったのもわかり易い例である。日本が成熟社会になったことで、物質的な豊かさから精神的な豊かさへと目標がシフトしたわけだ。これは平成不況と少子化が招いた当然の結果である。日本の若者は社会が良くなることはないと諦めており、ただただ自分の生を安寧で満たすことに勤しんでいるのだ。

②インターネットの普及

 こうしてZ世代の価値観がFi化したことは論じたが、これだけでは不十分である。Fiといっても、ESFP・ISFP・ENFP・INFPと4種類が考えられる。例えばマイルドヤンキーの生き方はESFP的な価値観に近いだろう。しかし、彼らがZ世代の象徴になることはない。

 実のところ、令和の若者文化は以前では考えられないくらいにN型化している。トー横キッズなんかは良い例だろう。以前の感覚ではアウトローと言えばS型というのが相場だった。しかし、令和のアウトローはN型も見られるようになっている。例えばトー横の王である「ハウル・カラシニコフ」という人物が逮捕されたことがあるが、このネーミングはどう考えてもN型である。平成のヤクザや暴走族がアニメからニックネームを取ることはありえないからだ。他にも精神世界への興味や、地縁の希薄化など、トー横キッズはかなりN型に偏っている。令和の若者のアウトローはヤクザやキャバ嬢よりも、赤軍やオウム真理教に近いのかもしれない。

 なぜZ世代の価値観がここまでN型に寄っていったかというと、おそらく原因はインターネットである。生まれながらのデジタルネイティブと言われるZ世代にとって最大の情報源はネットだ。もはやこの世代はテレビよりもネットの方がメインとなっている。家にテレビを持っていない者も多い。

 以前の日本社会で情報源と言えばテレビだった。テレビはチャンネル数が少ないので、ある程度「みんなが同じものを見る」という状況が必須である。この場合、内容はS型にフォーカスした方が有効になる。同調圧力や流行といったものはS型の方が親和性が高いのである。

 一方、ネットはかなりN型と親和性が高い。草創期からネットはN型との相性が良かった。2000年代のネットは今よりもアウトローでオタク的なコンテンツとされていて、「電車男」のようなイメージで語られることが多かった。一方、Z世代にとってはネットは自然なコミュニケーションツールであり、電車男の時代のようなアングラ的なイメージは持ったことがない。今ではS型も普通にネットを楽しむ時代である。

 それでもネットの世界では未だにN型が強いと思われる。まずコンテンツが細分化されるので、個性を重んじるN型との相性が良い。テレビに比べるとコンテンツの分量が多いので、その分N型の表現したい物事を十分に収められる。ネットを通したコミュニケーションは離れたところの不特定多数の誰かを相手にするため、想像力に長けたN型の方が得意である。

 現実世界で圧倒的なコミュ力を誇るESFPであっても、ネットの世界では十分に影響を発揮できない。彼らのコミュニケーションは非言語的な要素が多いし、実際に行動して示すということもネットの世界では難しいからだ。そもそも匿名性の高いコミュニケーションすら気味が悪いと感じるかもしれない。

 N型同士においてはそこまでの優劣はない。EN型はどうなんだという話になるだろう。確かにネット社会においてENTPやENFPといった人たちの影響力は強い。インフルエンサーやYouTuberの多くは彼らである。しかし、インターネットの場合は現実社会ほどE型の気質が要求されない。発信している人間はEN型が目立つしれないが、参加する側に関してはI型の方が圧倒的に多いだろう。

 単純に数の問題もある。日本人の多くがI型なので、必然的に強い価値観もI型になるということである。実際、INFPはN型の中では最も数が多いタイプだ。一般に社会不適合のように語られるINFPだが、実はそこまで外れた存在というわけでもない。絶対数で考えても全タイプのうち4番目か5番目くらいには多いのではないかと思う。

 また、Z世代は売り手市場なので、社会に積極的に働きかける必要が薄いという事情も考えられる。現在の若者は価値が高騰しているため、黙ってても社会の側から話しかけてくれるのだ。これは内向的な人間にとっては途方もない追い風である。

INFP化するZ世代

 というわけで、Z世代の価値観がINFP化するのにはかなり強力な必然性があるのではないかと思われる。おそらくZ世代を特徴付けているのはINFPとINFPに影響されているISFPの集団である。この2つを合わせると日本人の3分の1に相当する。発信力という観点ではENTPやENFPが筆頭だが、彼らはなかなか主流派の価値観にはならない。あくまで発信者であり、視聴者ではないのである。日本人はかなり内向的な人種であり、これは今後も変わりにくいだろう。

 世代の価値観がN型化するのは珍しい。おそらく1960年代の学生運動以来ではないかと思われる。この要因はネット以外には考えられない。2000年代のネットはN型ばかりがハマっていたが、2010年代のネットはS型にとっても当たり前のコンテンツであり、最重要のコミュニケーションツールとなっている。この世界で優位に立つのはN型である。これは草創期から変わらない。インスタやtiktokなど、S型が優位なコンテンツも存在するが、やはり鋭いウィットや長期的な持続性という観点ではN型に軍配が上がるだろう。

 これに加え、日本社会がFi化しているという背景がある。平成不況と少子高齢化はもはや日本社会から上昇志向を失わせており、明るい展望が描きにくくなっている。まるで老人の余生のようだ。このような状況で優勢になるのはFiである。Z世代の人生の目標は「幸福感」になっているし、メンタルの問題への関心は強い。物質的に豊かになることよりも自己実現を重んじるし、出世への関心は恐ろしいまでに低くなった。

 こうして見えてきたのがZ世代の概略だ。この世代で最も文化的影響力のあるタイプはENFPとENFPである可能性が高い。Z世代を代表する有名人はこの2つのタイプが多いはずだ。ES型は実社会でもちろん大きな影響を誇るが、以前のように支配的な価値観にはならず、文化的には受け手の側に回るだろう。日本人で最も多いISFPはN型の影響を受け、INFP的な価値観に染まる。これがINFP化の最大の波となるだろう。

 Z世代のINFP化が招く最大の懸念事項とは何か。上昇志向の無さは経済的な衰退に繋がるという可能性もあるが、経済の原理は非常に強力で、文化的な事情で動くことは少ない。むしろ経済的インセンティブが文化を規定していることのほうが多い。Z世代のINFP化がもたらす最大の問題は未婚化・少子化である

 Z世代の半分は結婚に魅力を感じていないという。実際、日本人の婚姻数や出生数は加速度的に現象している。最近は1年に6%の割合で出生数が現象している。小学校1年生の人数が6年生の人数の7割になるペースである。ここに来て日本の少子化は異次元の領域に突入したと言えるだろう。もはや結婚という概念は日本社会の必修科目から外れており、自由選択の行事になってしまった。下手するとN型の方が結婚率は高くなるかもしれない。

 INFPの価値観ではあまり結婚というものに重きが置かれない。社会のレールに従うことを良しとしないし、ジェンダーレス的な傾向もあるからだ。INFPは結婚に伴う社会的負担や個性の抑制を恐れて結婚には魅力を感じないかもしれない。それでもまだINFPは良い。ライフステージにそこまで依存しないからだ。40近くなって突如として理解のある彼くんが現れ、それまでの自分探しはどこへやら、いつの間にか子供が生まれたなんてこともあるだろう。問題はINFPに影響されたISFPである。N型がS型に合わせようとすると生きづらさを感じることが多いが、S型がN型に合わせようとすると大やけどをする。この集団はおそらく婚期を逃す可能性が高い。

 裏を返すと、令和の社会が家庭形成にとことん不向きだからこそ、INFP化が進んでいるのかもしれない。INFPは未婚社会に比較的耐性があるからだ。INFPはライフステージに依存しない生き方を探すのがうまいし、孤独への耐性も強い。今後の日本社会で上昇することは見込めないが、競争もそれほど激しくないので、ゆったりと余生を過ごすにはうってつけの性格タイプである。

まとめ

 今回はZ世代がINFP化している理由について考察した。主な理由として考えられるのは、日本が安定した成熟社会になったことにより、Fi的な価値観がメインになっていることと、ネットの普及によってN型の情報発信が優勢になっていることである。

 Z世代の特徴を誇張すると「インターネットが生きがいの老人」ということになるだろう。将来を悟りきった老人が趣味の絵画をネットにあげて相互に褒め合っているような状態である。昔のインターネットはNT型の特徴が色濃く出ていたが、最近は随分とNF化した印象だ。一方、SFの影響力はそこまで拡大していない。ユーザーとしては存在しているが、発信がそこまで得意では無いのだろう。

 日本社会は高齢化が問題と言われているが、精神的には若者の方が老人臭いのが皮肉である。解決策はここに見出すことができる。若者と高齢者が逆転しているのなら、高齢者が頑張れば良い。しかし、S型の文化は年齢主義が強く、高齢化にあまり強くないと思われる。旧態依然とした年功序列システムは良い例で、働かない若者の争奪戦をしながら、シニア社員を腐らせておくという倒錯した事態になっている。

 しかし、Z世代は全般的にN型の性質が強いため、人生の後半戦になっても強みを発揮できるかもしれない。少子高齢化という人口トレンドを反転させることは現実的ではないが、少子高齢化を前提として社会を構築することは十分に可能である。というか、そうなることは確実だろう。なにかと社会不適合扱いされるN型だが、これからの社会では必ず価値を発揮できると思うし、なにより従来型のライフステージが崩壊する超高齢化社会において求められる資質を十分に備えているのである。というわけで、Z世代は反出生主義といった世迷い言ではなく、未来を見据えていこう。


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