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<MBTI>P型(知覚型)とJ型(判断型)の違いの根源を徹底考察する

 大好評の16タイプ解説シリーズである。今回はP型とJ型について取り上げたいと思う。S型とN型は独力では気づきにくい反面、一度仕組みを理解してしまえば相互理解は容易い。一方。P型とJ型は経験的に把握しやすい反面、本当の意味で違いを理解するのはかなり難しい性格軸である。筆者はP型とJ型の本質的な違いがどこにあるのかを理解するのに、10年近い年月を要してしまった。それほどP型とJ型の違いは相互理解が難しいのである。

P型とJ型の違い

 P型はしばしば知覚型と言われることが多く、J型は判断型と言われることが多い。正直、「知覚型・判断型」と言われて、その意味するところを理解できる人はいないと思う。MBTIの用語は翻訳であることもあって、日本人にとって感覚的に理解できる用語にはなっていないし、そもそもP型とJ型の違いの理解の難しさを考えれば尚更である。

 他にも経験的な把握を助ける特徴づけはいくつか存在する。

P型:即興型
J型:計画型

P型:柔軟型
J型:規律型

P型:自由を好む
J型:秩序を好む

P型:思考が発散する
J型:思考が収束する

P型:面白いものを好む
J型:役に立つものを好む

P型:〇〇したい
J型:〇〇すべき

 これらの特徴を押さえていれば、まず経験的な判別に困ることは無いと思う。ただし、これらは帰納法的な理解であり、これらの違いを生み出す心理的傾向の違いの核心には迫っていない。今回はかなり抽象的な議論になってしまうが、P型とJ型の違いを生み出す根源に迫ってみよう。ここを理解すればPJ軸の異なる相手を理解するのが容易になるはずである。

プロセスの自己目的化

 P型とJ型の究極的な違いは願望と行動の間のプロセスを規範として自己目的化するか否かである。ここがすべての分かれ道となっている。

 P型の脳内には願望と行動しか存在しない。願望というのは「カップ麺が食いたい」とか「金持ちになりたい」とか「安全に暮らしたい」といった欲求である。フロイトの言うところのエスに近い。そしてそれを実現するために行動が思い浮かべられる。カップ麺が食いたいからコンビニに行こうと言った具合である。P型の行動原理はシンプルで、ある意味動物的だ。自分のやりたいことが制約されるので、規則の類に関しては薄っすらと嫌悪していることが多い。

 一方、J型にとって願望と行動の間にもう一つの要素が入ってくる。J型にとっては願望と行動の間に「規律化」というべき心理機構が挟まれる。目的を想定する⇒規律を定立する⇒規律の通りに行動する、といった具合である。J型の価値観では行動は全て一定のプロセスによって処理されねばならず、行動を変更するには一度規律を書き換えてからでないといけないのだ。そして一度規律を決めたら、ひたすらにその規律を守るのみである。フロイトの言う超自我に近いが、若干ニュアンスはズレている気もする。

 例えば朝早くに予定がある場合を考えよう。P型は「二度寝したい」という願望と「遅れたら怒られる」という二項対立の下で葛藤する。そして怒られたくないというある種の損得勘定で二度寝しないで家を出ることになる。一方、J型の場合は加えて「遅れてはいけない」という規範的要素が入る。「遅れたら怒られる」という損得勘定もあるのだが、これに加えて規範的要素が入るので、P型よりも行動を律する要素が多く、遅刻は少ない傾向にある。

 抽象的な説明になってしまったが、とにかくP型はやりたいと思ったことをやるのに対し、J型はやりたいと思ったことを一度規律に落とし込んで実行するのである。カントの言う仮言命法はP型に近く、定言命法はJ型に近いだろう。海外サイトでカントはINTPとされているが、どう見てもあれはINTJだと思う。

法の支配

 P型の脳内を国家で例えるなら、君主がやりたい放題の専制国家や、その時の民意によって政策がコロコロ変わるポピュリズム国家のような状態である。要するに、人治国家だ。実際にこんな国があったらうまく行かないだろうが、一応はダイレクトに君主や民衆の意思を反映させられるとも言える。大統領の権限がやたら強い国とか、軍事政権とか、そういった感じである。法律上のごちゃごちゃした話は無視して即断即決が原則となる。戦時内閣のような脳内構成と言えるかもしれない。

 これに対し、J型は法治国家のようである。政策上の目的や民意の要求があったとしても、一旦法律という形に落とし込まなければ統治はできない。途中で変更しようと思っても、それは法律を改正するという形になる。したがってJ型は即応的な対応や柔軟な対応は苦手とするだろう。法令の朝令暮改が許されないように、その時の欲求や感情がダイレクトに規律に反映されるわけではないので、他人から見るとJ型は感情を押し殺して規律に従っているように見えるだろう。

 もう一つ、J型の思考様式に近いと思ったのはソ連共産党が導入した「民主集中制」である。民主集中制では政策議論は活発に行うものとされるが、一度方針が決議されたら、党員はそれに徹底して従わなければならない。決議の時に反対したものや、心変わりしたものであっても、決まったことには無条件で従わなければならない。J型と議論をしていると、確かにアイデアや可能性に興味は示すものの、一旦物事が決まった後は、それらを検討することは回避される。検討段階の思索は行うが、実行段階では規律化されているので、柔軟性は失われているのである。

 P型の友人から「J型って何が楽しくて生きてるんだ?」ということを聞かれたことがある。J型にもP型と同様に欲求や願望は存在するのだが、それを一度規律に落とし込み、現実の行動は規律に従って実行されるため、P型から見るとルールに縛られて嫌々生きている人に見える時がある。一方のP型はというと、刻一刻と変化する欲望や願望に忠実に動くことを欲するため、自分の行動を縛るような余計な規律は邪魔だし、物事を確定させるのも嫌がる傾向が見られる。

予定変更への耐性

 民主集中制は極端な例かもしれないが、J型の心理とそう遠くはないだろう。J型は一度脳内の国会で決議を取り、そこからは法規に従って自動的に動作が行われる感じなので、予定変更には当然弱いだろう。J型あれこれと考えるのは最初だけであり、一度実行すると決めたらそれは規律化され、有無を言わさず実行されるのである。

 P型にはこのようなプロセスは存在しないので、思うままに行動を動かす事ができる。したがって予定変更に関する心理的コストが遥かに小さい。ワンマン経営の会社のようである。しばしば誤解されるが、P型は状況によっては予定変更を嫌がるだろうし、J型であっても思いつきで予定を変更したがる人間はいるだろう。ただ、J型の方はいちいち規律化というプロセスを挟むため、変更コストが大きいのである。

 P型もJ型も願望の有無という点では殆ど変わらないと思う。ただ、人間の願望は刻一刻と揺れ動くものであり、P型は願望と行動がダイレクトで結びついているので、一貫性が無かったり、気まぐれのように見えてしまう。一方でJ型は決断したら最後それを規律化・固定化するので、予定通りに行動する傾向が強い。J型は揺れ動く願望を無視し、規律通りに進むのである。

 J型が計画型と言われるのも、この規範性が原因だろう。脳内ルール化を規律と呼ぶか計画と呼ぶかは状況次第であるが、本質的には同じものである。旅行を考えてみよう。P型は良くも悪くも「どこどこに行きたい」という願望を重視するので、その時の気持ちによって行き先はコロコロ変えたがる。J型は願望こそ存在するのだが、途中でその願望が計画化・規律化されるので、実際に旅行に行くと「どこに行きたいか」という気分よりも既に定まったプランを実行することを優先しがちである。

 しばしばP型は変化を好むと言われる。これは間違いではないが、やや派生的な特徴ではないかと思う。P型であっても慣れ親しんだ家を追い出されたり、給料がくじ引きで決められたら困るだろう。どちらかと言うと、P型はJ型ほど変化がストレスにならないという感じではないか。人間の願望や欲望はコロコロ変わるものであり、P型はそれに忠実だが、J型は別の要因によってコロコロ変わる気分を抑え込んでいるのである。

「いけないから、いけない」の是非

 P型にとって規律は願望を達成するための手段でしかない。願望が揺らいだり、別の手段で願望が達成できそうだと思えば規律は途端に消え失せるだろう。P型が規律に従う時は、そうしなければならない理由があることが多い。例えば「ルールを破ると怒られる」とか、「ルールを破ると相手に迷惑になって良心が痛む」といった具合である。P型が法規範を押し付けてくる時は何らかの形で実利が絡むか、正義感に燃えているケースがほとんどである。

 一方、J型に特有の感情として、「ルールだから駄目」というものがある。目的や願望と一切切り離した形で「ルールを守らなければならない」という感情が存在するのである。先程の規律化の一環だ。これはP型にとっては理解が難しいはずだ。「〇〇だからいけない」はあっても、「いけないから、いけない」というのは奇妙極まりないのである。

 こうしたギャップは集団生活の時に露見することが多い。中学校では必ず掃除をサボる不真面目な者が現れるものだ。この時、P型の場合は自分まで先生に怒られるとか、サボっている人のせいで自分の負担が大きくなるといった利害や欲求と結びついた形で相手に反感を持つことが多い。一方、J型の場合は「掃除をサボってはいけない」という規律が既に完成されているので、サボっている人間を見ると腹が立ってしまう。それは自分の心の中で既に定立されている規範に反するからだ。

 更に言うと、J型の場合「戸締まりをちゃんとしていない人を見ると腹が立つ」という感情を抱く時がある。P型の感性では単なる自己責任で、相手が泥棒に入られようとどうでも良い話なのだが、J型の場合は「戸締まりをきちんとするべきだ」という規範が内在化しているので、戸締まりをしていない人を見ると認知的不協和が発生して腹が立つのである。

 このような例はいくらでも見つける事ができる。J型は誤字脱字の類を見ると、腹を立てる人がいる。P型は文字は伝われば良いと思っているし、ぶっちゃけ自分が読む時に障害にならなければどうでも良い。P型のスタンスは「害の無い限りは放っておく」が徹底しているのに対し、J型の場合は良くも悪くも干渉的である。

 P型は相手に規範を押し付ける際に、その意図するところを完全に説明できることがほとんどである。勉強をサボっている子供に関しては「一日でもサボると学力が下がるぞ」といった具合である。口には出せないが「子供を御三家に受からせて近所に自慢したい」といった要素もあるかもしれない。いずれにしても、実際に口に出せるかは別としてP型は明確な願望や合理性を心の中に持っていることが多い。規範の願望や合理性が理解できていない場合は「俺だってこんなルールは馬鹿らしいと思ってるけどさ、破ると上がうるさいからさ、ここは守っとこうぜ!」という雰囲気になるだろう。P型が「ルールだから守れ」という時は「仕方なく」という感情が見え隠れする。

 一方、J型が規範を相手に押し付ける時は規範の意図するところを他人に説明できないことがある。J型が規範を押し付ける時は不機嫌な顔をしながら「ルールだろ!」と怒っている印象で、理由を聞いても「ルールだから」以外にうまく説明できないことがある。「真面目にルールを守っている人が損をする」といった論法はJ型が好むだろう。中にはただイライラしている人もいる。これらは全て規範が内面化されていることに起因している。もちろんルールの意図するところを確信している時も多いのだが、「ルールだから守れ」という論法をP型が積極的に取ることはないので、かなり特徴的である。

P型だって規律・計画は大事

 16タイプの診断を見ていると、P型がJ型として判断されることが結構多いように思える。特に社会で責任ある立場にあるとそうだろう。ただ、筆者はこれを計画や規律に関する価値判断の成長が影響していると考えており、本質はあまり変わっていないのではないかと思う。

 しばしばP型とJ型の違いとして物事を計画的に進めるかという点があるのだが、P型であっても計画が有用と思えば十分に計画を重視することはある。J型に比べると随分と意志の力を要するが、P型も明確に有用と思えば計画を立ててそれを実行することは多いのである。J型と計画的なP型の違いを挙げるとすると、計画をどこまで手段として割り切っているかという点だと思う。J型は計画自体を自己目的化してしまうので、しばしば強迫観念的になったり、頭が固くなりがちである。

 同様に、P型は規律を軽視するというより、規律が内面化されないと言ったほうが実態に近い。P型であっても職場で窃盗騒ぎが起きたら断固たる対応を望むだろう。それは窃盗が放置されることが明白な危害を生むからである。一方、J型は規律を内面化するので、「みんなルールを守っているのに破る人がいるのはおかしい」といった論法を主張することがある。これはP型にはあまり見られない論法である。P型ならある種の「やっかみ」と思うか、自分も破ってみようと思うだろう。

 以前の記事で厳罰主義とJ型の関係について論じたが、実のところ処罰感情の大小よりもPJ軸に密接に関わるのは「そのルールが願望とどこまで離れているか」という点である。交通違反やコンプラ違反といったP型が自然に抱く感情と規則の必要性の距離が離れている場合、P型は規則を守るのを馬鹿らしく感じることが多い。一方、自分に危害が加わる可能性があったり、被害者が可哀想だったり、あまりにも反倫理的だった場合はP型も厳罰主義に傾くことはある。いや、一定程度を超えるとP型の方がむしろ過激になりうるだろう。仇討ちや虐殺といった状況はある種の厳罰主義と言えなくもないが、ここまで来るとP型の方が行動は過激である。

J型の趣味嗜好

 一方、J型はどうか。24時間規律正しく生活し、勉強ばっかり仕事ばっかりの人生を送っているのだろうか。もちろん、そんなことはない。J型は普通に趣味や娯楽を楽しんでいることがほとんどである。

 ただし、J型の趣味に関してはP型と若干気質が違うところがある。P型の趣味は心の赴くままに好きなことをやっているだけである。家でダラダラしているのと、趣味のテニスに打ち込んでいるのと、あまり心理状態は変わらないと思う。

 一方、J型の人間の場合は「趣味」という一つのカテゴリとして価値が定立されていることが多い。ここにも「趣味を持つ」とか「趣味を極める」といった達成志向が存在するのである。これはJ型の規律化・計画化が現れているところである。P型の脳内には「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」しか存在しないのに対し、J型の脳内には「仕事」「子育て」「趣味」「休息」「睡眠」という風にやるべきことの計画化がされている印象だ。J型100%の人間の趣味の話を聞いていると、温度感が仕事の話(流石に業務の話ではない)と殆ど変わらないのである。

P型の強みとJ型の強み

 さて、これらを踏まえてP型J型の強みを考えてみよう。

 P型が強みを発揮しているのは「状況が不安定な時」である。J型の脳内は法治国家のような仕組みなのだが、これは戦時中のように刻一刻と状況が変化するシチュエーションに弱い。軍事作戦を国会や最高裁が中心となって考える国はまずない。戦時中は首脳と軍人で戦時内閣が組まれ、トップダウンの判断がくだされるだろう。このような構造はP型の脳内の方が近い。

 状況が不安定で流動的なシチュエーションではJ型の規律は役に立たないし、むしろ余計な変更コストと時間がかかってしまう。また、P型とJ型で脳のキャパが変わるわけではないので、普段仕事などで求められる範囲外の知識や経験はP型の方が豊富である。こうした特性も不安定で流動的な状況ではP型の強みになる。

 J型が強みを発揮するのは状況が安定している時だが、これは言うまでもないだろう。もう一つJ型が強いと感じるのは「願望と手段の距離が離れている時」あるいは「規律の意義が直感的にわかりにくい時」である。例えばモテたい⇒敏腕弁護士になりたい⇒司法試験に受かりたい⇒一日12時間勉強しなければ、といったプロセスを考えよう。J型の場合は規律の内面化によって「一日12時間勉強すること」を自己目的化するので、勉強をサボりにくい。一方、P型の場合は「モテたい」という願望と「一日12時間勉強する」という手段がかなり離れているので、直感的に両者を結びつかるのが難しく、サボりたいという欲求に抗えなくなってしまう。P型のいい加減さや目先のことしか考えないところはこうした弱みが原因なのだ。

 これはや行政機関や大企業で見られる官僚制とJ型の相性を良くしている。先述の民主集中制とも似ているが、官僚制の本質とは形式主義にあるからだ。組織内部の規則や手続きを一生懸命守ることが回り回って組織の目的に貢献するというのが官僚制の心理である。これはどう考えてもJ型の思考回路だろう。P型の場合は「やりたいこと」と具体的な官僚制的事務手続きの距離が遠すぎて、かなりのストレスになるはずである。

一貫性について

 特にN型の場合に当てはまるかもしれないが、多くの人間は「こう振る舞うべき」とか「こういう自分が理想」といった自己像を持っているだろう。ただし、その顕現の仕方はP型とJ型でやや異なるように思える。

 理想像があったとして、J型はそれを規律化するので、ほぼブレがない。24時間常に理想主義とは言わないが、少なくとも人前で振る舞う姿は一貫しているだろう。時たま油断したり疲れたりすると違った姿が見えることがあるが、好きで見せているわけではないのだ。こうしたJ型の姿は端から見るとストイックに見えたり、無理しているように見えたりする。

 一方、P型はJ型のようなブレなさ・ストイックさは無い。P型は理想を持っていても、それ表現型は常に変わりうるからだ。とはいっても価値観の核の部分は変わらないことが多いのだが。P型は理想を持ちながらもそれを徹底しないことが多い。

 例えば「人に親切にすべき」という信念を持っていたとして、J型は常に人に親切にしなければならないという規範意識から24時間無理してでも人に親切にしがちである。P型の場合は信念はあっても気分によっては実行されないし、嫌いな相手だったり、疲れていたら人には親切にしないだろう。とはいっても肝心な時はやっぱり親切にするのがP型である。逆にJ型の場合は日頃は堅物なのに、いざとなった時は以外に裏切ったりすることがある。

 これはP型とJ型を見分ける鍵となりうる。職場のような場所ではP型は必要な時以外は自然体で振る舞いがちだ。したがってP型はスキマ時間などに雑談に応じてくれることが多く、飲みに行けば社会人としてアウトな話も良くするだろう。

 一方J型の場合は職場では常に職場モードであることが多い。P型のように自然体になることは少ないし、そもそも「自然体」があまりない人もいる。「優秀な自己を演じたい」という願望を持っている場合、強迫観念的に常に優秀な自己を演じ続けている事が多く、P型のような隙間は生まれないだろう。J型は職場にいる限り、あるいは職場の人間と関わっている限りは常に職場モードであり、職業人としての枠組みで会話しがちである。仕事に関係ない無駄な遊びは嫌がる傾向にある。そういったことは「趣味」とか「私生活」という枠で行いたいのだ。あったとしても「社交」といった価値観の軸で行われるだろう。

まとめ

 今回はP型とJ型の違いの核心について考えた。両者の違いを経験的に理解することは容易ではあるが、その核心に横たわる違いについて理解するのはかなり難しい。P型もJ型もお互いの話の噛み合わなさを理解できていないのではないか。

 P型とJ型の違いはプロセスを規範として内面化するか否かである。P型は願望のからの行動というシンプルな構造なのに対し。J型は願望からそれを規律化・計画化し、実行に移すという違いがある。P型にとって規律や計画は手段でしかなく、常に関心は願望の方にある。J型は規律や計画はそれ自体が心理的重みを持つものなので、自己目的化して墨守する傾向が強い。その結果としてP型は「〇〇したい」で考え、J型は「〇〇すべき」で考える。心理プロセスのどこに重みがあるかの違いである。

 しばしばJ型は変化を好まないとか、リスク回避的という話があるのだが、これは本質というよりも派生のように思える。J型は臆病なのではなく、不安定を嫌っているのだ。規律や計画にとって不安定は本当に相性が悪い。P型も不安定を好むとは言えないが、もとが気まぐれなので、不安定へのストレスは遥かに少ないだろう。

 P型J型の違いはフロイトのエスと超自我の関係性に近い。P型はエスに忠実であり、J型は超自我に忠実だ。P型も自分の行動を抑制できないわけではないのだが、それは損得勘定や素朴な倫理観が根拠であり、J型のように無意識レベルで規範を内面化しているわけではない。

 他にも具体的にP型とJ型の違いを考察すればキリがないのだが、根本的なところは同じである。興味深いことにP型とJ型は相手がなぜそのような行動を取っているのか本当のところでは理解できないことがほとんどだ。カントもこの点には気づいていたようだ。P型から見たJ型は合理的ではないように見えるし、逆もまた然りである。P型はフロイトの言うところのエスを中心に合理化されているし、J型は超自我を中心に合理化されているので、噛み合わないのも当然である。超自我とJ型の規範意識の違いについてはいつか論じてみたいと思う。

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