<MBTI>N型の生きづらさは本当に「少数派」が原因なのか?
しばしばMBTI考察においてN型の生きづらさについては言及してきた。NP型は露骨に集団に馴染めなかったり、組織社会をドロップアウトすることが多い。NJ型は客観的には優秀にも見えるのだが、やはり内面では様々な苦悩を抱えているようである。
ところで、N型の生きづらさの原因としてしばしば挙げられるのが「世の中の大半がS型だから」というものである。筆者の感覚値だと世間のうちN型は25%〜30%ほどであり、明確に少数派である。したがってN型の多くは変わった人や異端な人として扱われたことも多いだろう。普通の集団のカルチャーはS型に受け入れられるものが大半であり、世論や流行もだいたいがS型を基準に考えられている。だからN型は性格や志向が理解されず、生きづらさを抱えているというものである。
しかし、筆者はN型の生きづらさは少数派としての性質それ自体では無いのではないかと考えている。今回はマイノリティ問題の概念の整理とN型の真の生きづらさの要因について考えていこうと思う。
少数派問題の本質とは何か
世界には様々なマイノリティ問題が溢れている。人種差別や宗教差別が良い例だろう。マイノリティ問題はしばしば紛争の引き金になることもあるし、そこまで至らなくても何世代にも渡る深刻な社会問題となることもある。
ところでマイノリティ問題とはいかなる本質を持つと言えるのだろうか。マイノリティが迫害されるのはマイノリティの文化や価値観がマジョリティによって受け入れられず、排斥されたり同化を余儀なくされたりするからである。言うならばマイノリティ問題はマジョリティの存在によって生み出されたものだ。もしマイノリティだけの社会が存在したら彼らは自分たちの文化を恥じることなく、大手を振って堂々と生きることができる。現にこのような構想に基づいて数々の独立国が建国されている。
さて、ここでマイノリティ性それ自体による問題を定義するとしたらどうなるか。筆者の定義は「マイノリティだけの社会を作ったら問題が消滅するか否か」というものである。こう考えると結構うまくいく。例えばユダヤ人は自分たちの国を作ったことで欧州で長年続いてきた差別から免れ、自分たちが主人公になれる国を作り上げた。マイノリティ問題としてのユダヤ人問題は解決したことになる。(イスラエルの建国は別の問題を生み出したが、本題から外れるので触れない)。
一方で、社会的に不利な他の集団、例えば車椅子の人はどうか。確かに車椅子に優しくない道路の設計等で彼らは実害を受けているので、マイノリティとしてのデメリットも抱えている。しかし、車椅子の人だけで国を作ったらかなりの困難を抱えることは目に見えているだろう。だから車椅子の人の問題はマイノリティ性質以外の側面の方が大きい。
同じ障害者でも聴覚障害者はどうか。確かに彼らは車の音が聞こえないなど物理的にも不便ではあるのだが、問題の多くは実は健常者と会話が難しいことにあるようだ。彼ら同士は手話でコミュニケーションが取れるので、特に問題はない。となると、聴覚障害者の困難の半分以上は実はマイノリティ性にあり、彼らだけで社会を作ったらどうにか運営できる可能性はある。実際、聾者コミュニティはかなり結束が強いと聞く。まるで少数民族のようである。
N型だけのコミュニティ
前置きが長くなってしまったが、これらは思考実験の下敷きとなる設定である。もしN型の困難がマイノリティ性にあるのなら、S型を全員排除してN型だけの社会を作ったらN型は生きやすくなるはずである。
ところが、筆者の経験に基づけば、どう考えてもそうは思えない。例えばアカデミアのようなNT型ばかりが集まるような場所は大体アカハラ関係の話や、その他の嫌な感じの話が漏れ聞こえてくる。NF型なら平和かといえば、そうでもない。創作界隈はNT型もNF型もいるが、とにかく争い事が多い印象だ。辛辣な誹謗中傷が飛び交う陰鬱な世界である。「セクシー田中さん事件」もこの手の意見対立の典型例かもしれない。N型ばかりのコミュニティはXのようになりがちなのである。
とはいえ、趣味のコミュニティであればN型ばかりでもそこまで問題にはならない。しかし会社のような社会経済上の必要性が強く絡んでくるゲゼルシャフト集団の場合は問題となりうる。例えば以前述べたような「N型エリート組織」はかなり息苦しい時がある。組織の公式見解と異なるナラティブを掲げたものは敵視されてしまう。N型はしばしば自由に意見を考えたり表現することを好むが、N型組織の場合は言論の自由はかなり制限されてしまう。共産党などを考えれば明らかだろう。S型の多い組織で自由に生きられないからといって、N型ばかりの組織で自由に生きられるかといえば、それは間違っている可能性が高い。
職場などでN型が半分以上を占める場合は問題を抱えるケースが多い。そうした界隈の空気感が想像できない場合はXを見て欲しい。N型が多すぎるとまずいことになるのだ。
なぜN型は組織化に向かないのか
なぜこんな事態が起きるのかと言うと、それはN型の人間にそれぞれ理想と主張があり、譲れないようなこだわりの強さがあるからだ。世間にはしばしば「馴染めない人同士でコミュニティを作れば問題ないはずだ」という間違った風潮があるのだが、実際は馴染めない人同士のコミュニティは同様に問題を抱えることが多いのである。
N型は自分の意見によって周囲に影響力を与えることを好む。N型が多すぎると、「船頭多くして船山に登る」が起きてしまい、意見対立が頻発するようになる。いわゆる「音楽性の違い」である。S型が大半の集団であればN型の意見は聞き入れられないだけかもしれないが、N型が大半の集団であればN型の意見は別のN型によって批判されることになる。跳ね返りは場合によってはS型よるも遥かに辛辣なものになる。N型の組織の多くは崩壊するか、崩壊を免れるくらい強く意見を統制しなければならない。となると、N型組織の多くは異論を許さない権威主義的な風土になるか、カルト宗教のように洗脳じみたものになる。でなければ早晩崩壊する。画家のグループは大抵が解散しまうし、NPOとかアカデミアの界隈は内部対立が多い。最も極端な例は極左暴力集団の殺し合いに見ることができる。
N型が生きづらさを抱えるのはS型の集団に馴染めないからだけではなく、そもそも密な集団が苦手といった事情があるのだろう。それは集団の構成員の多くがS型であろうと、N型であろうと、変わらない。N型のコミュニティの場合、上位に立てば意見を押し付ける側に回れるのだろうが、それ以外の一般構成員にとっては息苦しさという点でS型のコミュニティを上回る時があるのである。
コミュニティの構成
これらの事実を考えると、N型の多すぎるコミュニティには悪いところがあると考えて良いだろう。趣味の集まりなら良いのだが、実社会で機能するような集団の場合はあまり良いとは言えないだろう。N型はしばしば村社会が苦手と言われるが、その村社会は構成員の大半がN型であっても同様なのである。
これはS型とN型の得意分野を考えれば明らかだ。S型は実際に動くことが好きだし、集団の考えに染まるのが得意だ。N型は新しいことを考えたり、全体を見通すのは好きだが、集団の1人となるのはあまり得意でない。機能的なコミュニティは多数のS型と少数のN型という組み合わせであり、実際に機能的な集団の多くはそうなっている。
筆者はMBTIの相性論については否定する立場なのだが、その理由の一つは「同じタイプが集まっても仲良くなるとは限らない」という経験則である。考えてみてほしい。あなたの一番憎い人は誰だろうか。それは性別や年齢が同じくらいの誰かではないだろうか。仮に性別と年齢が異なっていたとしても、その場合の多くは親族である。属性が似通っていることは親近感を生む一方で憎しみを生むこともある。両者は表裏一体だ。性格タイプの近さは相性の良さも相性の悪さも生むため、相性なんてものは予測不能なのである。
そういった訳で、構成員の性格タイプがN型ばかりになったとしてもN型の生きづらさは多少は軽減するかもしれないが、本質的な解決にはならないだろう。むしろ均質性が上がりすぎたことでドロドロとした人間関係が生まれたりもする。
なお、構成員の性格タイプが偏ると問題を産みうるのは他のタイプ軸も同じだ。筆者の考察によれば構成員のタイプが偏った時に露骨に問題が生じるのはT型とF型である。スクールカーストに関する考察で書いたが、T型とF型の違いは階層への影響が少ない。おそらくT型とF型は混ざっていたほうが集団は安定するのだろう。同様に、夫婦(男性はT型が、女性はF型が多い)に関してもTF軸の違いで相性が悪いということは少ない。TF軸の対立に関しては読者の皆さんは一度は体験した事があるだろうが、いつか記事で考察をしたい。
まとめ
今回もまたまたN型とS型の話になってしまった。しばしばN型は自身の生きづらさの原因をS型が世間の大半であることに求める。これは間違いではないのだが、ならコミュニティをN型ばかりにすれば問題が解決するかというと、それはNOだ。N型ばかりで会社を作っても確実に生きづらさは生じるし、しばしばS型以上に深刻な内紛が起こるだろう。組織化に向かない人だけで組織を作ってもうまくいかないのは明らかだ。
というわけで、N型の生きづらさの原因は他にあると考えた方が良さそうである。作家が典型例だが、N型が多い界隈は個々人の独立性が高く、必要な時だけ他者と関われるような状態が多い。N型だけで結束力の高い集団を作るとうまく行かないのだ。S型の多い集団については筆者もあまり経験がないので、十分な考察ができない。マイルドヤンキーの集団を見る限り、N型ばかりの集団よりは安定性が高いのかもしれない。
機能的な組織を作ろうとすれば、積極的にS型を入れたほうが良いだろう。彼らはN型の気が付かない側面から問題を指摘したり、フットワークの軽さや高い実務能力で組織を支えてくれるからである。もちろんN型も一定数はいたほうが良い。彼らは革新的なアイデアで組織を活性化してくれるはずだ。社会不適合と言われるN型だが、社会の発展には必要不可欠な人々である。人類がみんな地に足のついた考え方をしていたら、飛行機も宇宙船も生まれなかったのだから。
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