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いいね数を追いかけるのはギャンブル中毒と同じ

 年収600万〜1000万を越すと人間の幸福度は変わらないらしい。少なくとも日本に関しては確実にそうだろう。日本は低価格で美味しいものが変えるし、公共サービスも充実している。病院に行けば標準治療で最先端の医療が受けられるし、娯楽だってネトフリやYou Tubeで十分だ。2000万持っていても1億持っていても後は同じだ。高いものは買えるかもしれないが、基本的にはコレクションと同じで自己満足の世界である。1000万の車と100万車を比較しても、幸福感はおろか実用性すらほとんど変わらないのではないかと思う。

 さて、人間の欲は深い。年収800万では到底満足できず、数千万とか数億という額を儲けたいと言っている人間は多い。世の中の男性の半分はそうだろう。私の友人の1人は現在デイトレにのめり込んでいるのだが、動機は一発逆転して勝ち組になりたいかららしい。効用の頭打ちを考えると非合理的な行動だが、人間はこうした行動になぜのめり込むのだろう。

 人間は数字を追いかけるのが好きだ。例えばゲームのスコアがそうだ。ただ標的に向けてタマを打ち込むゲームよりも、点数が出て、ハイスコアが出て、他のプレイヤーのランキングを見る方がゲームのやる気は上がる。金儲けも恐らくある段階を超えるとタダのスコアになってしまうのだろう。年収1億の金持ちが年収10億になっても対して生活は変わらないし、それよりも自分の会社が大きくなって世間での知名度が高くなる方がよほど効用として大きいはずだ。彼らにとって資産とはゲームのスコアであり、それ自体が目的になっているだろう。

 この本能をハックした驚くべき発明品がギャンブルだ。ギャンブルは人間の数字を求める射幸性をターゲットにしたある種の麻薬である。ギャンブルで出る数字はタダの数字だ。設けるためのギャンブルが、実際には財布に大きな損失を与えているのだが、人間は何故か楽しさを感じてしまう。人間が数字を自己目的化したことによるある種のバグである。

 これはSNSのいいね稼ぎにも同じことが言えるだろう。数字が出てくるとゲームのような楽しさを感じるようになり、止められなくなる。ギャンブルの根底に金銭への渇望があるように、SNSのいいね稼ぎの根底には他者への渇望があるのだろう。数字化された評価によって効用が自己目的化するという点では同じだ。本来は他者と繋がりたい・認められたいという目的で始めたSNSが、いつの間にか疲弊の原因となってしまう。これまたギャンブルに似ている。

 とはいえ、SNSの方がギャンブルよりマシだ。SNSはアカウントを削除してしまえば我に返ったように中毒は無くなる。それに金銭もなくならない。時間と精神力は減るかも知れないが、両者には「借金」という罠が無いので、破産の恐れがない。ギャンブルで破滅するくらいならブログ長者を目指したほうが生産的なのに、と思ったりもする。

 それにしても人間とは弱い生き物だ。デカルトは心身二元論を唱えたが、現実の人間は身体から逃れられない。体の調子が悪いと精神も影響されるし、肉体が死ねば精神もそれまでだ。精神は弱い肉体から離れた完璧なものに見えるが、それは恐らく哲学上の話だ。実際には自由意志なんてものは存在しない。人間の精神は簡単にハックされてしまう。こうなると、精神も身体の本質的な違いは無いのではないかと思ってくる。ギャンブルは「体験型麻薬」であり、人間は分かっていても抜けられない。SNSも同様だ。人間の精神はどうにもちょっとした工夫で中毒になってしまうようなのだ。SNS中毒は人間の本質とは何か?と考えるいい機会である。

追記:16タイプ診断で言うところの、ST型はギャンブルにハマりやすく、NF型はSNSにハマりやすいという傾向があるのかもしれない。前者はことごとく物質的・即物的であり、後者は人と繋がりたいという欲求の生み出した精神的な活動である。ST型とNF型で好みが別れてもあまり不思議ではない。

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