医学部最強論の裏側にある病弊

  筆者は長年東大より医学部に行った方が良いという話を書いているが、ネット上にも似たような意見の人間は多いようだ。医学部に行けば生涯手に職と安定が保証されるのに対し、東大に行ってもそれが評価されるのは新卒就活の1回きりで、それからも延々と競走に晒され続けるからだ。

  しかし、筆者はネット上の医学部最強論を眺めていると、あるひとつの特徴があることに気がついた。あまり気づいている人は多くないが、ここに実は資本主義社会の病弊が見え隠れしているような気もしている。

  ネット上で医学部最強論を主張している人間のタイプの1つは再受験で医者になった人々だ。ただ、これは当たり前といえば当たり前である。わざわざ莫大なリスクを背負ってまで医者になる人間は相応の興味や理想を持っているに違いないだろう。

  もっと広い意味で医者全般や医療関係に広げても良い。医者の中には東大に過大な期待をしているものもいるが、一方で東大に行くよりは医学部に行った方が良いと考える者も多い。普通の職業人は自分の業界にある程度の親しみとプライドを抱いているだろうから、やはり医学部の優位を主張するのは納得である。  

  ところが、医学部最強論を唱えている人間を見ていると、これら医療関係者とは全く違うもう1つのクラスタがあることに気付かされる。それは医療関係とは程遠い人たちだし、人生のどこかで医学部が選択肢に上がったとも思えない。再受験する人間もほとんど居ないと思われる。

  その医学部最強論を唱える一群とは……








  金融業界の人間である。



  金融業界は医者とはあまり接点がなく、高校卒業以来ほぼ交わっていないのでは無いかと思われる。それにもかかわらず医学部最強論が出てくるのは奇妙だろう。しかし、ここには金融業界の抱える根深い問題が隠れている。

  金融業界は一般に高給取りとされているし、世間体もかなり良い方だろう。パッと思い浮かべても、ウォール街とかシティとかの金融トレーダーはキラキラした印象を受けるに違いない。

  だが、金融業界には重大なデメリットがある。仕事がむちゃくちゃつまらない上にストレスフルなのである。ブルシットジョブの真髄と言っても良いだろう。口で説明するのは難しいが、仕事内容が細かい上に創造性を抑圧するような内容が多く、裁量権が極めて乏しい。それでいて、誰かの役に立っているような実感もないため、精神的な苦痛が極めて大きいということである。

  他の業界にもつまらない仕事は多いだろうが、金融業界ほど際立っている業界は少ないかもしれない。特に金融業界は社内文化も仕事内容を反映した「お堅い」ものになりがちである。例えば金融機関の飲み会は慰労でも親睦でもなく、仕事の延長線上の儀式のようなものだ。細かい作法が多く、常に上役にピリピリし、給料がマイナスの労働と言っても過言では無い。他の業界の話を聞いても、ここまで厳しいのは金融業界くらいだろう。

  このような状態なので、筆者が見聞きした範囲においても、金融業界の人間は仕事そのものへの肯定感が本当に低い。研究者が抱いているような仕事そのものに内在する価値が全く見いだせないのである。興味や理想主義との相性が極めて悪いとも言える。

  仕事が面白くないという点は文系職種全体に言えるかもしれないが、金融業界の場合は何かと堅苦しいため、より一層激しく表出する傾向がある。専門職の人間の話を聞いていると、体力が続く限り仕事をしていたいと答える者もいるが、金融業界はむしろFIREの話を虚ろな目で始める人の方が多い。

  しかし、金融業界の人間にプライドがない訳ではない。彼らは自分軸の生き方をすることができないため、必然的に職業的アイデンティティは他人軸になる。金融業界の人間のアイデンティティは金と肩書きである。前者はそのまま仕事の意義が年収であることを意味する。拝金主義そのものだが、元から金に執着する人間というより、仕事内容があまりにブルシットであるため、そうならざるを得ないという事情もある。後者の肩書きの方は、日系と外資でも違ってくるが、共通するのは競争社会で優位にいるというプライドである。学歴主義も肩書きへの執着が背景に存在していると思われる。

  ところが金融業界のアイデンティティを打ち砕く存在がいる。それは医者である。医者の給料は金融業界に負けず劣らず、やり方次第では遥かに上を行く。転職のしやすさやバイトなどを考慮すると金融業界よりトータルだと上だろう。肩書きに関しても、平均学歴などを考えるとやはり金融業界より上なのではないか。 それでいて、医者はやりがいや裁量権という点で金融業界とは圧倒的な差がある。実は金融業界が医者に勝っているところはほとんどないのである。

  この構図は他の業界には当てはまりにくい。医学部最強論に対して懐疑的なのは理系出身者が多いが、これは仕事そのものに内在的な価値があると認めているからだろう。理工系の専門家は医者ほど稼げないかもしれないが、一方で専門に対するプライドや物事への興味があり、完全な下位互換とは言えない。仮に再受験で医者になったとしても、元の専門への思いは無くならないようだ。他にも筆者の観測範囲に東大卒で母校に戻って教員になった人間がいるが、彼らが医者に対して下位互換の人生を送っているかと言うと、NOだろう。高学歴難民の救済施設となっている受験産業ですらその傾向はある。予備校講師が「東大より医学部」を主張することは意外に多くなく、むしろ医学部をドロップアウトして「興味が無いのに医学部には行かない方が良い」と主張をしている人もいた。

  ところが金融業界の場合は仕事の意義が金と肩書きしか存在しないため、医者に対して優位に立てる箇所がひとつも存在しない。完全な下位互換である。このような業界は意外に存在しない。やりがいに乏しく、医者に給料と肩書きで劣る業界は沢山あるが、そのような業界の多くは医者程の激務と勉強量を要求されないだろう。

  金融業界の中でも特に高学歴、東大卒の人間にこの傾向が強い。早慶やMARCHの文系であれば医学部にはそもそも縁がないという人が多いかもしれないが、東大卒の場合はその気になれば医学部医学科に行けたはずの人々である。理系はもちろん、文系も過半数はそうだろう。だからこそ、尚更比較対象として入ってきてしまうのかもしれない。医学部以上の難関を突破したご褒美として医者より劣る給料でブルシットジョブに従事する権利が与えられているわけだから、心穏やかでは無いだろう。

  実はネットに溢れる医学部最強論は医学部の問題というより、金融業界の問題ではないかと思うことがある。金融業界のエリートはキャリアを終わりなきイス取りゲームのように認識していることがあり、これは本当に職業人として魅力的な姿なのだろうかと思うことがある。自分の仕事に意味を見いだせない状態、子供に自分の仕事の魅力を誇りを持って語れない状態、金と肩書きだけがアイデンティティになっている状態、本当にこれで良いのだろうか。

   金融業界の人間が医者にどう足掻いても届かないのは、やりがいや裁量権といった精神的な部分である。一見年収のような物質的な部分が根拠のように見えるが、見せかけだ。彼らが年収を論拠にしたがるのは、精神的な部分で大きなマイナスを出しているが故に拝金主義に走らざるを得ないからなのだ。

  意外だが、金融業界の人間で医学部再受験したり、子供に医学部をプッシュしたりという話はほとんど聞いたことがない。ちょっと不思議である。やはり医者と金融機関は距離が遠い存在なのだろう。金融業界の人間が転身する場合は弁護士や会計士の方がシナジーが多く、再受験ほどのリスクを負わないということもあるかもしれない。

これらを踏まえると、金融業界の人間は消極的な拝金主義故に医学部を神格化しているのであって、本当のところでは医療や医学に興味は薄いのだと思われる。金融業界にとって医者の世界は「どこかにあるユートピア」でしかない。だからいざ転身するとなっても、経済的なリスクが大きい医学部よりも別の士業や事業会社等を選ぶのだと思われる。興銀・長銀が破綻した時は大量のハイキャリア難民が発生したが、弁護士・会計士・起業家・東進ハイスクール講師等になっている人はいても、医者は本当に聞いたことがない。

  というわけで、巷に溢れる医学部最強論は実は金融業界並びに隣接するようなブルシットワーカーの心の痛みが生み出した病弊のようなものである。自分の仕事に金と肩書き以外の価値を見いだせないとなると、永遠に医者の下位互換でしかないという事実を突きつけられる。

  ちなみに金融業界のメリットをあえて挙げるとすれば「まともな人」が多いことだろうか。社員はもちろん、社外の関わりにおいても、である。また、競争社会とは言っても、実際の競争はそこまで激しいわけではない。コンサルやベンチャーの方が遥かに厳しいだろう。あくまでアイデンティティの問題である。

  医学部最強論に違和感を持った人がいるとすれば、それは恐らく今の仕事や業界に何らかの内在的な価値を見出している証拠である。だからそれは誇りに思って良いのだ。


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