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東大文系の社会的意義とは何だったのか?そして見えてくる凋落の真実

 最近、高学歴文系の「予後」に関する議論が盛んである。せっかく高い学力を持っていても、専門性も無ければ資格もないため、結局あまり頭脳を活かせないような営業職に就かざるを得ず、苦しむ人がいるという話である。実際、文系総合職の場合は「潰しが効かない」ことが多いので、何らかの事情で新卒を逃すか、キャリアを中断してしまうと、その先の人生は厳しくなってしまう。

 筆者もしばしば東大VS医学部論争の記事を書いてきた。ここで比較対象とされているのは、東大の中でも比較的文系寄りのキャリアを歩んだ人である。弁護士や会計士等はあまり含めていない。理系の場合は研究職に就いたり、世俗的なルートに全く興味がないという者も多いのだが、最近のトレンドでは理系から外資コンサル等に行くのが流行っており、理系であっても文系的な就職をする者は少なくない。

 しかし、本当に東大文系には意義が存在しないのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。世間の東大信仰やビジネス社会での立ち位置を考えると、東大文系には相応の社会的な役割があると考えるのが筋である。しかし、この役割は最近の日本社会の変貌により揺らいでいて、今後も回復する見込みはないかもしれない。

東大の看板学部

 東大文系の社会的意義を考える上で、原点にするべきは東大の看板学部の法学部である。東大法学部は官僚養成学校と呼ばれ、官界において日本社会の屋台骨を形作ってきた。

 官僚ほど東大が優位な業界は無い。例えば法曹界においては中央大が強いし、理系研究者の業界では京大や地方の旧帝大も優秀な人材を多数排出している。医学部に関してはむしろ劣後する印象すらある。東大法学部および霞が関の中央官僚こそがおそらく東大の社会的意義の中核を象徴する存在ではないかと思う。

 この官僚に求められる能力とは何か。それには官僚登用試験の内容を考えてみれば良い。この試験は高等文官試験とか国家公務員第一種試験など名称は度々変更されており、現在は国家公務員総合職試験と呼ばれている。試験内容は教養と大学時代の専門に関するもので、法律や経済と言った区分に分かれている。この試験の特徴は東大文系と驚くほど親和性が高い。国家総合職は一般に難関とされるが、東大文系にとってはそこまで難しい試験ではない。間合いを例えるなら、東大法学部の卒業試験といっても過言ではないだろう。

 東大文系や国家総合職試験に求められる技能は特定の方向の専門性ではない。むしろジェネラリストとしての総合的な知的能力だ。東大入試を考えても、文系のほうが理一理二よりもバランスの取れた学力を求められる。例えば理系受験生は国語を捨てることが多いが、文系受験生が数学を捨てることは悪手である。同様にこれは国家総合職試験に関しても当てはまる。国家総合職試験は他の文系試験である、司法試験や公認会計士試験とは全く性質が異なる。求められる専門性という観点では社労士とか行政書士のほうが高いだろう。国家総合職に求められるのはそういった専門的な知識ではなく、高校と駒場時代の学力をベースとする教養科目と、専門課程の学力をベースとする専門科目である。

 要するに、東大文系に求められる能力とは五教科七科目に加えて大学時代の履修や、それらの枠にとどまらない幅広い知的能力だということだ。議論あるところではあるが、東大は文系優位の学校だ。首都圏に所在するという事情もあるし、文系のほうが学歴を要求されやすいという事情もあるし、理工系の場合は東工大のような特化型でも十分に強みを発揮できるという事情もある。東大理系を見ても、文系的な分野で活躍している人物が多いことに驚かされる。理系院卒から外資コンサルに行くような場合も、理工系の専門知識というよりは、ジェネラリスト的な知的能力が評価されていると考えるのが妥当だろう。要するに、東大生の特徴は総合的な学力の高さで、それらが評価されやすいのは文系的な方向性ということだ。

歴史を紐解く

 ものごとの経緯を遡って議論することは文系知識人の好むやり方だが、これがブログのような媒体に適しているのかは分からない。しかし、今回の議論を歴史的な文脈に照らして考えることは、今後の日本社会の構造を考えるうえでは必要不可欠である。

 英米のような最初から先進国だった国もあるが、日本は明治維新から急速に経済成長を遂げ、欧米へのキャッチアップを成し遂げた国である。したがって、その過程では政府主導の殖産興業が行われ、現在に至るまでその影響は残っている。「旧帝大」という名称は代表的だろう。これらは明治時代に日本を開発するために国家によって設立された大学だ。同じ名門大でもハーバードやオックスフォードとは全く成り立ちが異なる。日本の社会制度の多くは国家主導の開発政策が起源なのだ。

 これは経済界に関しても同様である。日本の民間企業の中には官営工場だったものが払い下げられたものが少なくない。この動きは戦前だけではなく、戦後も顕在で、いわゆる就職人気企業の中の相当数が公営企業の流れを組んでいる。JR東日本とか、みずほ銀行といったものもそうだ。したがって、民間企業のキャリアは実はかなりの程度を霞が関に由来している。いわゆるJTCと言われる企業群の慣習は官公庁の影響を強く受けているのである。新卒一括採用・定期人事異動・大部屋主義・定年制、これらは全て明治期の官僚が由来らしい。

 明治期の日本にとっての課題は教育を受けた人材が不足していたことだった。この時代、だいたいの組織は大卒・高卒・中卒の三層構造になっていた。この時代、Fラン大は無かったので、大卒といえば皆旧帝大である。旧帝大出身者は大卒幹部として組織全体を統括する役割を果たし、高卒職員は現場と中枢部の橋渡し役であり、中卒職員は現場労働者として肉体労働を担っていた。この三層構造は現在も役所には顕在である。キャリア官僚は幹部採用であり、昇格のペースも職責も全く違う。ノンキャリはその下として、現場的・専門的なホワイトカラー労働を担う。そしてその下には多数の現業職員が存在する。役所には本来の姿の学歴社会が現在も残っているのだ。

 ここで重要なのは採用区分の別が資格ではなく学歴によって判断されていたことである。筆者の知人の中に国家一般職を受けた人間がいたのだが、採用までたどり着かなかった。おそらく、東大卒のノンキャリという存在は霞が関においては非常に扱いにくい存在なのだろう。職業選択の基準が学歴によって行われるという慣行は長年日本社会において浸透した風習となった。安倍昭恵夫人の担当職員だった谷査恵子氏は東大卒のノンキャリという稀有な存在だったが、これは文学部卒の女性だったから可能だったことで、しかも谷氏のキャリアは普通のノンキャリとはずいぶんと異なっている。

 続いてやって来るのが第二世界大戦とその後の高度経済成長期である。この2つの事件によって日本社会は戦前とは全く異なる社会へと生まれ変わった。国家総力戦の経験に伴う平等意識の高揚や、労働組合の強化、それに加えて戦後の教育の普及によって現在の日本型雇用慣行が誕生した。戦前と違うのは、社員の平等を重んじる気風と、中卒者の減少により、社内階級制が廃れたことである。そのかわりに階級制は大企業と中小企業の間に生まれるようになった。大卒が急増したことで、戦前の学歴社会は維持できなくなり、代わりに大学が細かく序列化されることになった。東大卒は戦前の大卒に相当し、行き先は大企業になる。無名大卒は戦前の高卒に相当し、行き先は中小企業になるといった具合だ。こうして現在の「就職偏差値」に相当する概念が生み出されていった。

 この辺りの事情は考察していけば無限に細かくなる。重要なのは東大卒の本来の社会的な役割は大組織の幹部候補生であるということだ。これは現在も霞が関では存続している。しかし、戦後の経済成長で日本企業が変容したことにより、戦前の階級制は大手企業への「就職偏差値」という形で姿を変えることになった。そしてその「就職偏差値」の頂点に立っていたのが大蔵省だった。ここに日本型エリートの真髄が詰まっていると言っても過言ではないだろう。

 こうして戦後日本の東大文系の社会的役割は決定された。東大文系の就職において、ヒエラルキーの頂点に立っていたのは大蔵省である。大蔵省は全省庁を俯瞰する視点が必要とされ、最もジェネラリスト的な性質が強い。続いて通産省や自治省といったやはり所掌範囲の広い省庁が続いていった。専門性の高い郵政省や運輸省といった事業官庁はそれらのまた下という位置づけだった。(外務省だけは別枠だったが、それは外交官試験というものが当時は存在したからだった。東大教養学部国際関係論が未だに格付けが高いのは、この名残ではないかと思われる)

 中央省庁の下に位置づけられていたのは日本興業銀行や日本長期信用銀行を筆頭とする政策金融機関や第一勧業銀行や富士銀行といった都市銀行である。そしてその下に位置していたのが金融機関の「系列」にあった大企業である。この時代の金融機関は大蔵省を頂点とする護送船団方式で守られており、いわば民間企業にとっての大蔵省の立ち位置だった。「株式会社ニッポン」において、大蔵省は持ち株会社であり、事業官庁や銀行はグループ会社だった。その下にはさまざまな組織が序列化されていた。そして、それらの組織を主導していたのが東大文系なのである。だいたいの大企業は役員に天下りで官僚が派遣されていて、企業の側も釣り合いを取るために東大文系を役員に必ず充てた。東大卒を採用できることは、組織の「格」を維持するためにも必要なことだった。この構造は昭和末期のバブル経済の時代にまさに頂点に達した。

平成の30年

 戦後日本の秩序はバブル期に絶頂を迎えた。平成の30年はこうした戦後秩序がゆっくりと崩れていった時期だと言えるだろう。この変化は非常に穏やかだったため、日本は1945年のような大きな社会不安を経験することはなかった。多くの人は最近まで変化に気づきもしなかった。その犠牲となったのはロスジェネである。

 昔の東大受験漫画において、真っ先に挙げられていたのは文科一類・法学部である。江川達也の東大受験物語においても主人公達が進学したのは文科一類だった。1983年に創設された鉄緑会でもその名称から判るように、文科一類は理科三類と並ぶ位置づけになっている。この時代、文科一類のステータスは極めて高かった。それは従来の東大に求められていた要素の本丸にいたのが東大法学部だったからだ。麻原彰晃が受験したのも文科一類である。

 ところが、平成30年間に従来の日本社会のキャリア観は崩れていった。1980年代から規制緩和が世界的なトレンドになり、JR西日本やNTTといった企業は民営化されていった。2000年代の小泉竹中路線で更に民営化の流れは進行し、霞が関の職員数は低い水準に押さえられていった。2010年代になると官僚のブラックな実態が知られるようになり、東大法学部の凋落論が囁かれていった。東大文系、特に法学部の「なわばり」となる国家主導型の組織は時代遅れになり、羨望の対象とはならなくなった。

 従来の東大の序列づけでは文科一類の難易度は理科三類の次というのが定説だった。2005年のドラゴン桜では主人公たちは「一番簡単」な理科一類を受験している。しかし、こうした変化を受け、文科一類は次第に理科一類に逆転されるようになった。この逆転がいつ起きたのかは諸説あるが、おそらく2015年前後ではないかと思われる。手に入る資料を眺めても、2011年の時点で文科一類は明らかに理科一類に勝っていたが、2017年の時点では逆転が起きている。その原因は諸説あるが、優秀な受験生が文科一類から理科一類に流入したことは最大の要因だ。

令和のスペシャリスト

 東大文系に求められていた社会的意義とは、ジェネラリストとしての知的能力を担保し、それらを生かして昭和型の大組織の幹部として活躍することだった。ジェネラリストは所掌範囲が限定されていない日本型の雇用慣行と相性が良かった。いわば自組織の専門家として、色々な分野へ幅広く精通することが求められているからだ。このジェネラリスト優位体質はもとを辿れば霞が関に端を発するものである。こうして生まれれたのがいわゆる「文系総合職」だ。ところが、このジェネラリスト志向は令和の日本社会との相性があまり良いとは言えなくなっている。

 日本の伝統的なメンバーシップ型雇用形態は人口ピラミッドがピラミッドだった時代は大変都合が良かった。年功序列でどんどん昇格し、幹部になることができるからだ。しかし、現在の日本の人口動態は逆ピラミッド型である。こうなると、年功序列は維持できず、多くの中高年は出世できずに終わる。一方、若者の人手不足は顕著であり、転職市場は活況の一途をたどっている。

 若者の意識変容も問題だ。Z世代の多くは管理職になりたくないという。筆者の周囲を見ても、従来型の出世競争に邁進している者はあまり多くない。もはやZ世代の多くは転職とワークライフバランス前提のキャリア観を持っている。

 もう一つ決定打になったのはジェンダーだ。戦後日本において、明治型の三層構造は消滅したが、ジェンダーロールは健在だった。大企業の一般職は社内に唯一残った階級制だった。しかし、昨今の社会情勢を考えると女性の総合職志向はますます加速し、女子大は存亡の危機に陥っている。今後の労働力不足を考えると女性参画はますます加速していくことは疑いようがない。しかし、メンバーシップ型の雇用形態は女性参画や共働きにはすこぶる相性が悪いことが問題とされるようになった。

 ブログにおいて、特化型と雑記型では前者のほうが伸びやすい。雑多な大海原においてはジェネラリストよりもスペシャリストのほうが目を引くことが多い。これは転職市場においても同様だ。東大文系の強みだったジェネラリスト的な能力は昨今の転職前提のキャリアと相性が悪い。昭和型のキャリアでは学歴はあまたいる新卒者を選別する最重要のファクターだったが、転職がメジャーになると、学歴の有効期限の短さが知られるようになってしまった。こうなると、東大文系より、医者・弁護士・公認会計士といった資格のほうが遥かに価値ある存在として認識されるだろう。

 昭和日本において、新卒一括採用で入社した同期がキャリアの最期まで出世競争し、社長を目指すというのは「ジャパニーズ・ドリーム」だった。ところがこのような人生観は時代遅れになってしまった。現在、就職偏差値でトップに君臨するのは外資系コンサルティングファームである。いや、就職偏差値という概念自体が良くない。なぜなら転職を前提とする限り、所属先の格付けは本質とは言えないからだ。昨今のコンサルブームは昭和型エリートの凋落に伴う、「穴埋め現象」と言えるだろう。

「第三の日本」を生きる

 近代国家の日本は1868年に誕生し、1945年に生まれ変わった。平成の30年間はあまりにも変化が緩慢だったため、これらの事件に相当する衝撃を日本人は受けることがなかった。しかし、現在の日本社会は昭和とは明らかに異なっている。戦後79年が経過し、すでに「戦前」の長さを追い抜いてしまった。明治維新から敗戦までを「第一の日本」、敗戦から平成末期までを「第二の日本」とするならば、令和の日本人が生きるのは「第三の日本」である。

 1868年の明治維新は旧来の幕藩体制の崩壊を招いた。代わってエリートを占めるようになったのは、下級士族を母体とする藩閥・官吏・財閥・そして軍隊だった。1945年の敗戦で軍隊は解体され、代わってエリート階級として台頭したのは大蔵省を中心とする官僚と付随する日本型企業だった。「第一の日本」において凋落したのが上級士族、「第二の日本」において凋落したのが陸海軍だとすれば、第三の日本において凋落するのはおそらく霞が関官僚とそれに準じたジェネラリスト・エリートである。昨今の官僚離れは明らかにそれを象徴していると思われる。東大法学部は陸軍大学校と同じく前時代の残像として扱われるかもしれない。

 大学間ヒエラルキーが明治時代から変化していないことを考えると、東大文系の偏差値が大きく変化することはないだろう。しかし、明らかに令和日本のトレンドからは劣後することになる。これまで見てきたように、東大文系の強みは新卒でステータスの高い大企業に入り、幹部として各分野を浅く広く所掌し、文系総合職として役員を目指すことだった。ただ、そういった働き方は現在の日本では流行らなくなっている。幹部候補生はまさにその理由によって激務になるし、常に周囲の評価を気にして生きていかなければならない。文系総合職として活躍するには少しでも大きな組織に行かねばならないが、そういった組織は融通がきかないので、自己決定権は大きく抑圧されることになる。これはジェンダー平等社会において深刻な不和をもたらしている。それに、「自組織の専門家」の転職市場での価値も驚くほど低く、これでは転職市場の活況を活かせなくなってしまう。

 余剰となったエリートの処遇は実は戦前の日本や現在の発展途上国でも深刻な問題として扱われていた。なぜなら、失業したインテリは社会不安の元凶になるからだ。中東のテロリストにせよ、南米の極左ゲリラにせよ、主導的な人物は、みなレールを外れた高学歴者だった。しかし、東大文系がこのような動きを担うことはないだろう。東大文系が相対的に凋落したとしても、労働力不足によって若者の絶対的な地位は上昇し、相殺されるからだ。それに少子化で東大文系の難易度も以前に比べれば易しくなるに違いない。というわけで、東大文系の凋落は徐々に進んでいくが、あまり社会には波紋を呼び起こさず、気付かれることすらないかもしれない。仕事探しで困ることは少ないが、どこかぼんやりと早慶・MARCHと比べた時の「コスパ」の悪さが気になるようになるだろう。

まとめ

 いつものように冗長な文章になってしまった。東大文系は無意味とかノースキルという意見があるが、それは間違いである。東大文系に求められていたのはジェネラリストとしての幅広い知的能力であり、それらは昭和型の大規模組織に新卒入社し、幹部候補生として活躍する中で生かされるものだった。それらの真髄は現在も国家公務員総合職という形で見ることができる。しかし、そうした昭和型キャリアは以下のような理由で令和日本とは合わなくなっている。

・転職価値の低さ
・Z世代の「ほどほど」志向
・ジェンダー平等と全国転勤や出世競争の相性の悪さ
・高齢化でポストが開かない
・定年制
・海外で通用しない

 それでは令和のエリートはどのような進路を取るべきか。それは何度も記事を書いているように、医学部医学科以外に考えられない。医学部医学科であれば強力な手に職がゲットできるし、転職も独立もしやすい。大組織に拘る必要がないので、ブルシットジョブも少なくなる。復帰しやすさや働き方の自由度の高さで、女性でも働きやすい資格になっている。

 ジョブ型志向が進展すれば米国のように文学部が凋落し、専門職に結びつく、理工系の一部や法律・会計系の学科が人気になるだろう。これも東大法学部が完全には凋落しない理由である。しかし、今後の日本の空洞化を考えると、今後のビジネスエリートが本当に報われるのかという疑問は絶えない。ドイツの輸出攻勢で産業が空洞化したイタリアのように儲かっているのは医者ばかりという状態も考えられる。韓国は日本と良く似た入試制度を取っているが、医学部医学科の難易度は地方大学であってもソウル大を超え、ソウル大生の1割が仮面浪人のために休学しているという話もある。日本がそうならない保証はどこにもない。近い将来、駒場キャンパスの正門の前で「合格おめでとう!次は医学部だ!」というチラシが配られる日もそう遠くないかもしれないのだ。

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