人種の優劣は本当に存在しないのか??

 最近はポリコレに何かとうるさい時代である。特に問題となるのが人種の問題だ。人種差別の撤廃は世界人類が仲良く繁栄していくためには必要不可欠なものであり、それ自体に反対する人は殆どいないだろう。

 しかし、一方でこんな考え方もある。「人種には優劣がある」というものである。特にヨーロッパ人が文明を独占していた近代においてはこれは自明のこととされていたと思われる。ヨーロッパの所得水準は他の地域を凌駕しており、ヨーロッパ人が移住した北米やオーストラリアも同様である。南アフリカは白人入植者と黒人原住民が混在していたが、両者の経済力は天と地ほども違った。これは白人が優秀で、その結果として文明を作り出したとしか考えられないではないか!ということだ。
 
 しかし、現在は多くの知識人が人種に優劣があることを否定している。筆者としてもこの見解には同意したいが、だからといって世界に格差の類が無いとは言わない。やはり優秀な民族集団とそうではない民族集団が世界には厳然と存在しており、差別偏見はそういった実態を反映している可能性が高い。そもそも根拠のない差別だったら政治的な介入で撤廃することが容易なはずである。根拠のある差別の方が実は差別偏見の類の中では遥かに厄介となる。今回は世界史的な観点から本当に人種に優劣はあるのかを論じてみたい。

アメリカバイアス

 人種問題について論じる上で避けては通れないのがアメリカ合衆国の問題だ。この国は事実上の世界覇権国であり、圧倒的な発信力を誇っている。世間に言われる人種差別に反対する運動や文化も多くはアメリカが震源地だ。したがって世界の人種差別概念はアメリカの影響を非常に強く受けている。

 あまり言及されないものの、アメリカの人種概念は独特である。なにより奇妙なのはそれが見た目の問題であることだ。アメリカは人種によって国民を分類しており、それが公式化されている。国勢調査にも人種という欄があるし、日常生活においても白人や黒人というカテゴリは厳然と存在する。そもそもアファーマティブ・アクションが可能なのは公式に白人と黒人が区別されているからだ。

 これはアジアやヨーロッパには見られない。ヨーロッパにおいても人種差別は存在するが、多くは民族差別や移民差別である。ヨーロッパにおいては公式に人種というのは存在せず、あくまで外国からの移民あるいは帰化した人ということになる。一応書類上はウクライナからの移民もナイジェリアからの移民も等しく移民であり、人種的な特徴によって両者が別の集団とされることはまず無い。これは日本も同様である。日本人は日本人、外国人は外国人であり、そこに人種などという概念は存在しない。それは金髪だとか背が高いといった外見上の問題でしかなく、公式化はむしろはばかられるだろう。既に自国民に帰化してしまった人間を外見によって勝手に「白人」「黒人」と分類した場合は移民問題ではなく、もはやルッキズムということになってしまう。

 アメリカの場合は旧大陸のような民族集団が存在しなかったため、人種が代わりの概念となった。アメリカはヨーロッパからの移民とアフリカからの奴隷によって作り上げられた国であり、両者を識別する符号が「人種」となった。したがって、同じ移民でもドイツやロシアからの移民は白人というカテゴリになり、ケニアやナイジェリアからの移民は黒人というカテゴリになった。前者は奴隷制の加害者側の立場で語ることが要求され、後者は奴隷制の被害者側ということになった。さらに奇妙なことに、白人と黒人のハーフは黒人ということにされた。普通はマジョリティとマイノリティの混血はマジョリティ側として扱われる。そうやって民族集団は大きくなっていったのだ。このような文化は旧世界には殆ど見られない。

 民族集団を人種で識別するという文化はアメリカの固有の歴史を反映した独自の文化である。実は世間に流布している人種平等やポリコレの類はグローバル社会の論理ではなく、アメリカ南部の田舎町の論理を反映していることが多い。だから日本人にとっては奇妙に見えるのだろう。日本人が見る「人種」はあくまでグローバル社会の存在だ。人種差別反対運動の背後にある特有の論理はアメリカ社会のローカルな文脈でないと理解が難しい。これが人種に関する議論をかなり複雑にしているのである。

アメリカの人種の優劣

 アメリカ社会において最大の問題といって良いのが人種問題である。黒人の犯罪率は高く、社会的な摩擦も依然として大きい。黒人の3人の1人が刑務所に入るという。アメリカ社会の深刻な分断と黒人の置かれている深刻な立場を浮き彫りにしている。

 このような黒人の境遇は黒人が人種的に劣っているからなのだろうか。そのようなことを考える人もいる。しかし、この言説には明確な反例がある。それはアフリカ移民である。アフリカからの移民は黒人に分類されるので、アメリカの人種差別においては被害者側の立場である。しかしアフリカ移民の社会的地位はそれほど低くない。犯罪率はむしろかなり低いようだ。アフリカ移民の立場は他の移民と特に変わることはなく、アメリカ社会の深刻な問題とは無関係のようだ。

 こうした性質を考えると、アメリカの人種問題の本当の原因は人種それ自体ではないという事がわかる。肌の色が本質ではないのだ。アメリカの3つの民族集団は移民・奴隷・先住民である。移民は最初は苦労するが何世代か経つといつの間にかアメリカ社会に吸収され、同化していく。奴隷と先住民はいつまで経っても最下層のままである。奴隷貿易から200年以上も経っているのに、未だに黒人が存在している事自体、混血がほとんど進んでいないということだろう。イタリア移民やポーランド移民に同様の話は聞いたことがない。中南米からのヒスパニックは白人ではないというカテゴリになることがあるが、順調に同化している。ヒスパニックは白人と異なる民族集団ではなく、単なるメキシコ移民ということだろう。

 アフリカ移民がどのように振る舞うのかは今のところ予測不能だ。オバマやハリスの栄達は黒人にとって希望の星となったが、両者は奴隷の子孫ではない。オバマはケニア移民と白人の子供であり、ハリスはジャマイカ移民とインド移民の子供である。彼らの物語はキング牧師の演説とは全く関係がなく、単なる「移民の国アメリカ」の物語でしかないと言えるかもしれない。アメリカに存在しているのは黒人問題というよりも奴隷問題なのだ。

移民の平等

 ちなみにアメリカの移民を見ていると、出身国の文明的な成功度とは乖離していることが多い。例えばアメリカで最も社会経済的に成功しているのはインド系である。マイクロソフトもグーグルもトップはインド系であり、ハリス副大統領もインド系である。しかし、母国のインドは成長しているとはいえ貧困国であり、歴史的にはあっさりと植民地支配を受けていることが多かった。インド移民は世界中で豊かになっているのに、インドはなぜか貧しいのだ。インド人は優秀なのか否かは全くわからないと言わざるを得ない。

 白人を見ても同様の現象がある。ヨーロッパを見ると西欧は豊かで東欧は貧しいという明確な傾向がある。しかし、アメリカの白人に同様の格差があるという話は聞いたことがない。ポーランド系やロシア系は普通の白人であり、イギリス系の白人と優劣があるわけではない。あったとしてもそれは通常の移民の文脈であり、ヨーロッパにおける格差は持ち込まれていないと考えるべきだろう。そもそもヨーロッパはアジアより豊かなのに、アジア系アメリカ人はヨーロッパ系アメリカ人よりも豊かである。ここには奇妙な逆転現象が存在している。もっとも移民の母集団は偏りがあるので、一概にアメリカの移民の優劣をもって人種の優劣を論じるわけには行かないだろう。

 移民・奴隷・先住民の間にある厳然たる格差を除けばアメリカの人種別な優劣は論じにくい。母国は貧しいのに移民は大成功という例も多い。アフリア移民のような例もある。正直、人種はあまり関係がないと言えるのではないか。

グローバルな視点

 より広い視野で見ればどうだろうか。人種による優劣は本当に存在するのだろうか。

 アメリカ的な文脈を脱し、より人類学的な視点で見ると、世界の人種は主にモンゴロイド・コーカソイド・ネグロイド・オーストラロイドが存在する。

 このうち、モンゴロイドとコーカソイドの優劣はあまり大きくない。狩猟採集時代に最も広範囲に拡散したのはモンゴロイドである。世界の文明のうち、中東とヨーロッパとインドはコーカソイドだが、中国はモンゴロイドである。コーカソイドの方が規模は大きいが、中国も無視できない規模を誇っており、両者の優劣は見たところ存在していないように思える。また、近代以前において最強の軍事力を誇っていたのはステップ地帯のモンゴロイド系遊牧民である。彼らは度々ヨーロッパを震撼させていた。フン族の細い目はヨーロッパ人にとって恐怖の象徴だったのだ。

 モンゴロイドとコーカソイドのパワーバランスが傾くのは近世に入ってからだ。大航海時代と産業革命でヨーロッパが世界の覇者となり、モンゴロイドは一点白人に比べて劣った人種のような雰囲気になった。しかし、戦後になると東アジアが急速な経済発展を遂げ、両者の優劣は再び埋まっていった。両者の優劣を論じることはほとんど不可能だ。ヨーロッパ全盛期の近代でも同じコーカソイドであるインド人やアラブ人は沈んだ状態だった。近代において優秀だったのはコーカソイドというより西欧人であったと言うべきだろう。

 オーストラロイドとネグロイドに関してはあまり繁栄していない状況が続いている。しかし、ここに関してはユーラシアと非ユーラシアとの格差という文脈で考えたほうが適切と思われる。アフリカやオセアニアがヨーロッパ人に征服された様子は南北アメリカ大陸とあまり変わりがない。しかし、南北アメリカ大陸の住民はモンゴロイドである。オーストラリアのアボリジニはオーストラロイドであり、ニュジーランドのマオリはモンゴロイドだが、両者は等しく社会の最底辺に流れてしまっている。やはりこれも人種とは違う理由なのではないか。マダガスカル人はモンゴロイドの血を引いているが、他のアフリカの国と同じく最貧国である。

 アメリカ大陸で先住民は厳しい立場に置かれている。しかし、同じモンゴロイドのアジア系アメリカ人はむしろ白人以上に成功を収めている。なんとも奇妙である。それよりもユーラシア人とそれ以外という分類法の方が遥かに正確だ。北米とオーストラリアはユーラシア人によって乗っ取られ、先住民は最下層になった。中南米と南部アフリカもユーラシア人と先住民の間に大きな経済格差が存在する。中部アフリカとニューギニアはユーラシア人の移住は無かったが、未だに最貧国である。

 ユーラシア人に関しても人種的な優劣があるのかは疑わしい。特に根拠となるのは時代によって優劣が変わるのに、遺伝子プールはあまり変わっていないことである。最初に文明が花開いたが、現在は低空飛行の状態が続く中東人は優秀な民族なのだろうか。それとも劣った民族なのだろうか。最貧国から先進国になった韓国のような例もある。

 同じ民族であっても場所によって社会経済上の状況は大きく異なる。中国は発展しているとは言え、内陸部を中心にまだまだ遅れた状況だ。しかし、中国人が移住した台湾・香港・シンガポールは世界でもっとも豊かな地域である。先程述べたインド人も同様の状況だ。ユーラシアの主な民族に関しては優劣は人種とは別の理由によって構築されたと考えるべきだろう。

結論

 雑多な記事になってしまったが、世界史的な観点で人種の優劣論が当てはまるのかは疑わしい。その根拠は以下に集約される。

・同じ民族集団でも時代によって成功度が異なる。
・母国は貧しいのに移民は豊かというケースがある。
・人種に関係なく非ユーラシアの先住民は西欧人に圧倒された。

 これらの事実を考えると、やはり世界人類の社会経済上の成功度に人種というファクターはほとんど関係ないのではないかという見解に行き着く。

 人種差別の類というのは経済格差の原因ではなく、結果であることが多い。ローマ人は野蛮なゲルマン人を見下していたが、2000年後になると両者の関係は逆転した。社会経済的に成功した民族は「格上」と扱われる事が多く、貧しい民族は見下されることが多い。これはどこの文化圏でも一貫している。

 しかし、人種優劣論が疑わしいからといって、民族集団別の差異が存在しないとは言えないだろう。明確に分かることは、社会経済上の格差は非常にしつこく、長期間に渡って埋まらないということである。例えばユーラシア人と非ユーラシア人の間の優劣は数千年をかけて開いていったが、大航海時代から500年が経っても両者の格差は埋まりそうにない。ユーラシア大陸内部においても先進国と途上国のメンツは長年に渡って変わらないままだ。アメリカ国内においても奴隷と先住民の社会的地位は低いままだ。これは発展途上国から大量の移民が入ってきても変わらなかった。

 特に狩猟採集民の社会参加は難しいようだ。多くは社会的に悲惨な状況に置かれてしまっている。それは遺伝的なものなのかもしれないし、社会的なものなのかもしれない。だが、この状況は人種にかかわらず見られる傾向である。数千年かけて開いた経済格差は数十年では埋まらないということだろう。

 人種によって優劣があるという主張は疑わしいが、それとは別に民族集団の間には大きな経済格差が存在し、長期間に渡って埋まらないことが多い。社会的地位の違いは差別偏見の論拠になっていることが多く、人種差別の真の要因となっている。

 例えばアメリカの人種問題の本質は大航海時代にアフリカから連行された奴隷の子孫が何世代経っても低い地位にあることが原因であり、肌の色は識別の符号でしかない。現行の人種差別はそういった実態を反映していると思われる。人種問題に関する言説の大半はアメリカの国内問題を取り扱っている。元奴隷の貧困は根が深く、数々の措置を持ってしてもなかなか埋まらないようだ。経済格差の問題はしぶといのである。

余談 IQについて

 どこまで信頼できるのかはわからないが、世界の国別IQマップというのがある。

 これを見る限り、東アジア人が世界で最もIQが高いということである。概ね経済状況とリンクしているが、よく見るとモンゴロイド系の中央アジア・東南アジア・マダガスカルは同程度の所得水準の国よりIQが高い傾向がある。これを見る限りはモンゴロイドのIQが他の人種より高い傾向があると考えても問題は無さそうだ。

 こうなると、モンゴロイドは圧倒的に世界で繁栄していても良さそうだが、そうなっていない。少なくとも文明の優劣とは関係無さそうである。IQとは一体何を示しているのだろうか。せいぜい体格程度の意味しか無さそうである。体格の良い民族が戦争に強いという話は聞いたことがないし、事実に反するだろう。IQも似たようなレベルの話と思われる。

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