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<MBTI>「あざとい」の心理機能を解剖する

 前回と前々回の記事では「あざとい」と呼ばれる女性の仕草を性格分類の観点から考えてみた。NF型のあざとさは一般的なあざとさとはかなり乖離しており、それ故むしろ嫌われないところがある。思春期であればぶりっ子等の言葉で嫌われるかもしれないが、実社会では単なる変人で終わってしまうことが多い。

 一方、本物の「あざとさ」とは何かというと、それはSF型の領域である。筆者は「あざとい」とは何かを考察する上でいくつかの動画を参照したのだが、筆者のNT型の感性からは著しく乖離するものばかりであった。また、普通の動画よりもショート動画の方が良質なコンテンツが転がっているのも特徴的だった。

 こちらの動画は「ピンクで固める」などNF型の「あざとい」にも使える点はあるのだが、やはりSF型の要素が非常に強いように思える。

こちらの動画も似たようなものだ。

 やはりNF型やNT型が好むような要素は全く含まれておらず、純粋にSF型のコミュニケーションという感じがする。

一続きのシチュエーションにするとこんな感じだろうか。

 
 こちらもやはりSF型の性質が強い。要するに、非言語的コミュニケーションの割合が高いということである。非言語的コミュニケーションの特徴の1つは文字媒体にすると、会話がほとんど意味を持たないというものがある。この動画で描かれている風景を書き起こしたとしても、「あざとさ」はさっぱり伝わって来ないだろう。その場の雰囲気や表情・口調といった要素が欠落していると、コミュニケーションの情報量の大半が落ちてしまうのだ。また、飲食のように動作を伴うという点も重要である。ただネット上でチャットをしているような状態ではあざとさは全くとは言わなくても、発揮しにくい。動作があるからこそ上目遣いやちょっとしたボディタッチが発生しうるわけである。SF型のコミュニケーションは基本的に対面が前提と考えたほうが良い。

 筆者の見解としては、「あざとさ」に必要な心理機能はSe・Fe・Fiである。FeとFiは比較的わかりやすいと思うが、かなり重要なのはSeだと思う。NT型やNF型のコミュニケーションと違って、「あざとい」仕草にはタイミングやマルチタスク能力が必須だからである。言ってしまえばバスケやサッカーのパス回しに近いのではないかと思う。ハイカーストの人間は運動能力が高いことが多いが、両者はある程度の関連性があると思う。

 あざとい女子にも陽キャ寄りの人間と陰キャ寄りの人間がいるが、両者を分けるのは性格というより能力的な要素ではないかと考えている。Se方面の能力が高いことは陽キャ系の「あざとい女子」に入るうえでは必須である。もちろんFiあるいはFeの発揮も不可欠だ。「あざとさ」を発揮するには常に場の空気と相手の心理状態を把握する高度なスキルが必要であり、常に顔色を伺っているような状態になる。これが苦労せずできてしまうのがギャルとか一軍女子なのではないかと思う。

 ただし、これは能力面の話であり、ギャルや一軍女子があざとい女子というわけではない。あざとい女子がその手の挙動に厳しいギャルと戦ってしまうと、おそらく負けてしまうだろう。カースト上位を目指す女同士の戦いは本当に熾烈であり、アメリカのスクールカーストものや「大奥」のようなハーレム系作品(ガチな方)では厳しい競争社会が描かれている。

 SF型の能力を0から100まで考える時、一般社会で大事なのはSF能力が30を超えているか否かだ。しかし、モテやカースト上位を狙う場合は30では足りない。陽キャあざとい女子に付いていくにはSF能力が50は必要で、トップカーストは70とか80くらいはある。(この数字はパーセンタイルと考えてほしい)

 一方、擬態型でないN型が無理して「あざとい女子」を真似るとこんな感じになってしまう。

 高度な擬態能力を持ち合わせていないN型がS型の挙動を真似ると、どこか芝居がかっていて不自然である。この違和感は「ダサい」という表現とも関わってくるのだろう。なんかおかしいのである。

 NF型は自己表現を好む時もあるが、そのような挙動はNF型の特殊なあざとさでは生きるかもしれないが、SF型の一般的なあざとさにおいては絶対にNGである。例えばこんな行為が挙げられる。

 松村沙友理はNFの特殊なあざとさを極めていながら、一般的な「あざとさ」においてことごとくNGを踏み続けるという非常に面白いメンバーである。まず「あざとさ」においてはクセが強く、個性的なネタは問題外だ。SF型の感性はいわゆる「言語化」を嫌う傾向があるので、自分の持ちネタに「さゆりんごパンチ」などと名前を付けるのは論外である。いずれも心理機能で言うところのNeが入っている。Neと「あざとさ」は非常に相性が悪いと考えて良い。

 一方、NF型の特殊なあざとさはむしろ言語化によって生まれるところがある。筆者の感性が歪んでいるだけかもしれないが、松村沙友理がめちゃくちゃ可愛いと感じたのはこのシーンである。やはりNF型はなるべく多くの情報発信をした方が魅力を発信できるのかもしれない。

 INFPは自分の弱い姿を魅力に変換するのが得意のようである。これは男性要素とは著しく相性が悪いが、女性要素とは相性が良く、しばしばあざとい型INFPの強みとなっている。男性の一部はこのようなINFPの挙動を見ると、深く共感すると同時に、自分だけは苦しむ相手の女性を救い出せるような錯覚に陥ってしまう。

 また、バナナマンが「昔のばかみたいなことを言っている松村〜」と言っているのも印象的だ。NF型のあざとい仕草は普通の感覚で捉えると「バカみたいな事」なのだ。

 また、「あざとい」はTi・Teとの相性も悪い。問題解決を否定しているわけではないのだが、あくまで目標は「気持ち」の側面なのである。Ti的な思考がズレていることの一例としてはこんな動画が挙げられるだろう。

 動画投稿主は本当に鋭い感性である。SF的なシチュエーションに求められることは事実の摘示でもなければ、問題解決でもない。というか、むしろこの2つは忌避されることが多いのではないか。問題解決は確かに「男」を見せる良い機会なのだが、あくまで手段であり、肝心なFi的な側面にフォーカスしなければ意味がないのだ。Te的な言動は「正論パンチ」なので当然嫌われるし、Tiも何か「男子の内輪ノリ」という感じがしてしまう。

 筆者もいわゆる「恋愛偏差値ゼロ」系の人間なので、こうした「あざとい」シチュエーションについていくことは難しかった。というか、ほとんど理解していなかった。「あいのり」や「BACHELOR」のような恋愛リアリティ系の番組にはこの手のシチュエーションはたくさん登場するが、筆者は全くついていけなかった。その場にいたら、まるでNBAの試合を見ているような気分だっただろうと思う。ロンドンハーツや踊るさんま御殿のような番組も筆者は理解ができなかった。

 個人的な話をすると、筆者は「あざとい」を全く理解できていないわけではない。いわゆる陽キャ寄りのあざとい女子を見て魅力的だと感じたことは何度もある。それくらいハイカースト女子の非言語的コミュニケーション能力は高い。ただ筆者は彼女らの世界についていけないので、例外的な状況を除いて深く関わることはなかった。一方、陰キャ系あざとい女子は比較的接触機会が多かったものの、元のSF的な能力がハイカースト女子に劣るので、彼女らの「あざとさ」を筆者はほとんど認識できていなかった。具体的には書けないが、幾度となくそうしたシチュエーションを筆者は破壊してきたのだと思う。一番ひどい例だとコミュニティ内のカップルに気付かず、痴話喧嘩に間違えて乱入したことがある(お陰で喧嘩が収まったと後で感謝されたが、それで良いのか?)。

 というわけで、「あざとい」シチュエーションとの相性が悪い心理機能はNe・Ti・Teではないかと思われる。言語化とか言葉遊びはこのようなSF系の会話ではご法度である。また、個性的なキャラ芸もNGだ。合コン等で異性の目を意識すると、女はあまり自分から情報発信をしなくなるのも、SF型の会話の法則に従っているからである。また、話が長いのもNGだ。筆者の記事もそうなのだが、文字数が多く、内容が多いような会話はSF型の会話においては空気が読めないという扱いになってしまう。その理由はSF型のコミュニケーションにおいて内容面はそこまで意味を持たないからである。それよりも会話のリズムの方がはるかに大事だ。

 今回は動画を貼り付けてばかりの記事になってしまったが、SF型の会話は非言語コミュニケーションの割合が高いため、文字化しても伝わりにくいという事情がある。例えるならば、スポーツの中継を文字で読んでも面白くないのと同じだ。やはりSF型の要素を文字媒体で記述するのは難しいのである。


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