国力の構成要素を軍事力・経済力・ソフトパワー等にしなかった理由(マニア向け)

 以前の記事では国力の構成要素を「領土」「人口」「経済水準」であるという風に論じた。やや裏話的になるが、なぜ筆者がこの3つをパラメータにしたのかを解説したい。

「国力」の定義で調べると、だいたい出てくるのは軍事力・経済力に加えて外交力とか文化発信力とかその他の諸々である。

 しかし、筆者はこれらのパラメータはそこまで「キレイ」ではないと考えた。というのも、これらの要素は独立性が低いからである。

 例えば軍事力と経済力を見てみよう。近代以前は遊牧民がいたが、近代戦になってからはほぼ確実に経済力の強い国家が軍事力でも強大な力を誇っている。工業化を達成した西欧諸国が第三世界の多くを植民地支配していたのが典型例だ。

 経済力が強くて軍事力が弱い国は多そうに見えるが、それは単に本気を出していないだけである。1941年のアメリカは平和主義で軍備にほとんど力を入れていない国だったので、軍備の絶対量では総力戦体制に入っていた日本の方が上回っていた。しかし、アメリカが本気を出すと日本は到底太刀打ちできなくなった。やっぱり本気を出した場合は戦争の強さは経済力にほぼ比例するのである。西部戦線のアメリカ軍は国力の割に苦戦しているように見えるが、これはアメリカが海洋国家だとか、遠隔地に戦力を投射するのが大変であるとか、別の説明で事足りてしまう。

 技術力や文化発信力も露骨に経済力に比例する。例えばこんな記事を書いた。

 ノーベル賞受賞者数は先進国に集中しており、なおかつ先進国内部では人口規模と相関していることが分かる。経済力は弱いが技術力は高い国は存在しないようだ。文化発信力も似たようなものである。クラシック音楽からKPOPまで、文化発信力が強いのは皆豊かな国である。貧困国の文化もモルドバの「恋のマイアヒ」のようにカルト的な人気になるときがあるが、それは一部の話であり、しかもこうしたブームは先進国での人気に依存している。

 というわけで、経済力・軍事力・技術力etcはお互いに強く相関しており、独立して論じることにあまり意味がない。これらのパラメータを取ると、斜行座標のような状態になり、「キレイ」ではないのである。筆者が求めているのは直交座標の方だ。

 というわけで、筆者は「経済力があれば他は付いてくる」という前提の下で「領土」「人口」「経済水準」の3つのパラメータを考えたわけである。経済力と技術力のズレは「大きくて貧しい国」と「小さくて豊かな国」の質的相違で説明することができる。となれば「人口」と「経済水準」の2つに分解できるだろう。軍事力の場合はこれに「領土」という要素が加わる。海に囲まれている国や天然資源を自給できる国は安全保障上有利である。

 この3つのパラメータはお互いにそこまで相関していない。完全に独立というわけではないだろうが、他の指標に比べれば遥かに独立的である。人口と経済水準は相関が低い。人口が増えようが減ろうが先進国は豊かだし、途上国は貧しかった。領土と経済水準も相関が低い。資源小国の日本や韓国は工業大国になったし、地政学的な戦場となったベルギーも先進国である。領土と人口は一応関係があるが、筆者の言うところの「人口」は領土あたりの人口動態を指しているので、(ややテクニカルだが)独立ということにしている。

 この3つのパラメータで表せないものもある。核戦力や国民意識、それに国家の統一性などがそうだ。この辺りの解説は別の機会にしたい。


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