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アジアとヨーロッパという区分は不適切なのではないか?
「アジア」という奇妙な地域区分
グローバルスタンダードではユーラシア大陸はアジアとヨーロッパの2つに分けられる。日本・中国・インドはもちろん、シリアやカザフスタンも同じアジアである。一方でヨーロッパの国はヨーロッパとして独立して扱われる。ロシア主要部もヨーロッパ扱いされることが多いが、シベリアやコーカサスは扱いによってアジアに含まれたりヨーロッパに含まれたりする。
しかし、日本人の感覚にどこまで「アジア」という概念が浸透しているだろうか。同じ漢字文化圏の中国やベトナムが同じアジアというのは理解できる。しかしイスラエルやらアフガニスタンやらがヨーロッパと比べた時に同じ「アジア」かというと、なんともしっくりこない。実際に日本の外務省のウェブサイトでは中東はアジアとは別の独立した地域として扱われている。同様に中東系はアメリカではアジア系に含まれないらしい。
イスラム世界は長年ヨーロッパ世界と愛憎半ばの関係にあったし、キリスト教も中東由来である。ローマ帝国はヨーロッパと中東にまたがる大帝国だった。一方で東アジアと中東の絡みは無きに等しいだろう。気候も大きく異なっている。イランやシリアは南欧と同じ地中海性気候であり、東アジアのようなモンスーン稲作地帯ではない。
要するにアジアという括りは「ヨーロッパ以外のユーラシア」であって、ヨーロッパ人にとって自明なものに過ぎないのである。
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ユーラシアを東西に分けるのなら境界はヒマラヤではないか
ユーラシアは非常に大きい。したがってユーラシアを2つに分けて考えるというのは理にかなっている。問題はその境界がどこか、である。伝統的な地域区分にとらわれずにユーラシアを二分割するにはどうすればよいだろうか。
やはりユーラシアの東西で一番異なるのは人種だろう。ユーラシアの西部はコーカソイドなのに対しユーラシアの東部はモンゴロイドである。両者の外見は大きく異なる。肌の色よりも大きな違いである。
また両者の人種が大きく異なるということは、モンゴロイド地域とコーカソイド地域の交流が難しいということである。したがって両地域の交流は比較的少ないままだった。両者を分けるのは世界で最も険しいヒマラヤ山脈だ。ユーラシアの東西を分ける境界としてこれほどふさわしい山脈はないだろう。
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東ユーラシアと西ユーラシアの境界を考える
より詳細にモンゴロイドの住む東ユーラシアとコーカソイドの住む西ユーラシアの区分を考えよう。
一般に東ユーラシアが主に東アジアと東南アジアで占められ、西ユーラシアが欧州・中東・インド亜大陸で占められることは議論の余地がないと思う。前者はモンゴロイド、後者はコーカソイドで殆どが占められている。
ヒマラヤの南の境界はミャンマーとインドの国境地帯で間違いないだろう。ここにはアラカン山脈とジャングルがあり、通行は困難だ。1944年のインパール作戦はまさにこの地域を通過してインドに進撃しようという計画だったが、無惨にも失敗している。
ミャンマーとバングラデシュは大きく人種が異なる。ビルマ人はれっきとしたモンゴロイドなのに対し、ベンガル人ははっきりとしたコーカソイドだ。ミャンマーに住むベンガル系のロヒンギャ族は容姿と文化が大きく異なることから差別の対象となっている。
アラカン山脈の西側のインド北東部にはモンゴロイド風の特徴を持つ少数民族が存在する。ナガランドなどが代表例だ。これらの民族もやはりコーカソイド中心のインドからすると異質な民族に思われてしまうようだ。ナガランドでは長年分離独立運動が続く。文明の境界地帯は不安定なのである。
厄介なのはヒマラヤの北の境界地帯だ。この地域は東西ユーラシアの境界地帯の中では比較的通行が容易である。西遊記で三蔵法師がタクラマカン砂漠を抜けてインドに到達したのを思い浮かべてほしい。大変ではあったが、通行は可能なのだ。
したがって中央アジアから新疆ウイグル自治区にかけての地域は古来よりモンゴロイドとコーカソイドの混合が盛んだった。数千年前に急速に拡散した印欧語族は東は新疆ウイグル自治区にまで到達している。この地域から出土したトカラ語は印欧語族なのだ。したがってウイグル人の顔立ちは他の中国人と異なって目鼻立ちがはっきりしたコーカソイド風である。
一方で2000年前にモンゴル高原で騎乗が発明されると民族移動の向きが反転する。騎馬遊牧民が西へ西へと侵攻していったのだ。そのため本来はモンゴル高原の部族の言葉だったトルコ系言語は中央アジアやコーカサスを超えてアナトリア半島まで拡散することになった。カザフ人やキルギス人は驚くほど顔立ちが日本人に近い。ウズベク人もいわゆる「ハーフ」の顔立ちである。モンゴロイドの一部はアフガニスタンにも侵入しており、アフガニスタンに住むハザラ人は目が細いモンゴロイド風の顔立ちだ。彼らもやはり風貌が独特なので差別の対象となっている。
中央アジアよりさらに北のシベリアも線引が難しい。近代以前のロシアは遊牧民の地であり、多数のモンゴロイド系民族が住んでいた。現に少数民族出身のロシア人は目が細い人が散見される。しかし近世辺りからロシア帝国が東進するようになると、シベリアはスラブ人がマジョリティになった。この地域もまた明確な境界はなかったのである。あえて境界を設定するならば、ウラル山脈辺りだろうか。
やはり曖昧な旧ソ連地域
こうして考えたユーラシア大陸の新しい分け方について考えてみよう。ヨーロッパとアジアを分割した際の問題点として、旧ソ連地域の扱いがバラバラになってしまう事が挙げられた。しかしこの新しい時代区分でもやはり旧ソ連地域はバラバラになってしまう。この地域は伝統的にコーカソイドとモンゴロイドが絶えず移動し混合してきた地域なのだ。ヨーロッパ寄りのウクライナやヨーロッパ・ロシアにはタタール人やカルムイク人などモンゴロイド系の民族が多数居住している。一方でシベリアや中央アジアには近世以降多数のスラブ人が移住した。そしてこれらの民族は協同して一つの帝国に住んでいたのである。ロシアが東西どちらの国なのかという論争は大変難しい。プーチン大統領はこの問題に関して「ロシアはロシアである」と言い切っていた。
2つではなく6つがベスト?
ではユーラシアをより妥当性のある区分に分けるにはどうすればよいだろうか。発想を変えてユーラシア大陸を2つではなくもう少し細かく分けてみることを考える。
旧ソ連地域を一つの地域と考えるならば、同じくらいのまとまりの東アジア・東南アジア・南アジアは良い区分となるだろう。いずれの地域も伝統的に定義が明確だからである。中東も同じくらいの面積・人口だ。ただこちらに関しては北アフリカも入れると良いかもしれない。北アフリカはサハラ砂漠以南のアフリカよりも西アジアの方が遥かに共通点が多いからだ。
ヨーロッパも一つの地域としてまとまりが良い。こうなるとユーラシア大陸は6つの地域に分けられることになる。東アジア・東南アジア・南アジア・中東・ヨーロッパ・旧ソ連地域である。それまでの区分に比べて地理的まとまりもサイズもいい感じであり、歴史的な共通点も多い。この六分類がスッキリしてちょうどよいのではないか。
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新たな偏見?
ヨーロッパ人は特に近代において、ヨーロッパ外の民族を下に見る傾向があった。19世紀の時点ではヨーロッパは圧倒的に文明が進んでいたので無理もないだろう。したがってヨーロッパ人は他の文化圏の人間を「非白人」もしくは「アジア人」と広めに定義することが多かった。トルコ人は人種的にギリシャ人と殆ど変わらないが、イスラム教徒なので「非白人」とされていた。ロシア人は外見上白人としか言いようがないが、それでもヨーロッパなのか怪しい後進地帯の民族だったため、「アジア人」と扱われることがあった。ヨーロッパ人の人種概念は様々な文化の違いや政治上の理由を含んでおり、純粋な人類学的な定義とは言いにくいものである。コーカソイドの定義はさておき、ヨーロッパ人の多くは今でも自分たちがインド人やアラブ人と同じカテゴリとは認めないだろうし、中国人や日本人と同じアジア人のカテゴリに彼らを入れたがるだろう。
私は日本人なので、どうしてもモンゴロイド以外の人種に関して「ヨソの人種」意識を持ってしまう。インド人やアラブ人はヨーロッパ人と同様に「異人」に見えてしまうのである。これはひょっとしたら近代のヨーロッパ人と同じバイアスなのかもしれない。彼らは自分たちと似た特徴を持つ地域をヨーロッパと定義し、それ以外をアジアと定義した。私のユーラシアの区分法ももしかしたら「オクシデンタリズム」に陥っているかもしれないのである。
でもやっぱりアジア/ヨーロッパの区分が便利かもしれない
長々と人類学的考察を述べたが、国際社会で未だにこのアジアとヨーロッパの区分が使われているのにはそれなりの理由があるのだろう。
アジアとヨーロッパの区分が便利な理由の一つは国の数である。ヨーロッパは小さな国が多い。そのためアジアの国の数が50弱なのに対してヨーロッパは50を越す。そのためアジアとヨーロッパという二分類にすると両者の数が同じくらいになるので便利なのである。国際機関の運営やサッカーリーグの地域分けを考えるときには馬鹿にならない。
長年使われているスキームにはそれなりの理由があるのかもしれない。