東大卒の肩書が最強に世間受けする理由
最近は学歴ネタは控えようとしていたのだが、もっと学歴ネタを増やしてほしいとの要望を得たので、再び書くことにする。なんだかフォロワーによって好みの系統がバラバラのようである。どこかで絞ったほうが伸びやすい気がするのだが、伸ばしてどうするんだという問題もあるので、当分の間現行の気まぐれスタンスをキープすることにする。
さて、普段は東大意味なし論を展開しているのだが、それだけでは飽きてしまうので、今回は逆に東大上げの記事を書いてみよう。
東大の肩書は意味ないと言われるのだが、これは主にキャリアの観点である。社内の出世や転職においては一般的・汎用的な肩書よりも業界内部の肩書の方が重要である。ところがこれらは業界の外では余り通用しないことが多い。筆者は会社に入るまで部長がいかに偉い存在か全く知らなかった。同様に医者とか会計士の世界の序列は筆者にはよくわからないし、理解したところで「凄さ」を実感することはできない。
議論あるところではあるが、キャリアという業界内部の観点を離れた世間一般的な肩書という点では実は東大は無敵に近い。少なくとも一般人の持っている肩書の中では最強であろう。筆者の知人にスポーツで顕著な実績を修めた人間がいる。筆者は彼のことを尊敬していたが、社会に出るとなぜか「すごい」と言われるのは筆者の方だった。どう考えてもすごいのはスポーツの方なので、申し訳なくなったのを覚えている。理不尽かもしれないが、実際にそういった人が多いのである。
東大卒よりもステータス性が高いと思われる肩書、例えば国会議員・上場企業社長・高名な学者・五輪選手・ベストセラー作家・乃木坂メンバーなどは全て有名人である。ネットで検索すれば全員が顔と名前を出している。そういった有名人ではなく、無名の一般人というカテゴリの中では東大よりも強い肩書はおそらく存在しない。医者は一般人の獲得できる肩書の中では上位だが、それでも東大には及ばない。そうでなければ偏差値が説明できない。医者が優れているのはあくまで収入・やりがい・安定性であり、社会的威厳では東大には劣る。官僚の権威性も多くは東大に由来しているのではないかと思われる。対抗馬としては裕福な地主や商売人が挙げられるが、意外にこの手の人種は社会的な肩書の無さに焦りを感じており、学歴主義が強かったりする。
ところで、なぜ東大の肩書の効力はここまで強いのだろうか。その理由は筆者の見解では「競技人口」の多さにある。
野球選手は世間で尊敬される存在かもしれないが、彼らの凄さを分かっているのは野球をやったことのある人かせいぜいファンくらいまでだろう。野球に興味のない人はその凄さに関して理解はないし、体感したわけでもない。野球に本格的に打ち込んで初めて野球選手の凄さが実感できるだろう。これは他の競技も同様である。プロ棋士の凄さを理解しているのは将棋経験者だろうし、ピアニストの凄さを実感しているのはピアノを弾ける人間だけだろう。一般人は藤井聡太や大谷翔平の偉業をニュースで聞いて「へーそうなんだー」で終わりである。
一方、受験は「競技人口」が桁違いに多い。野球やピアノはメジャーかもしれないが、本格的に触れたことがあるのはせいぜい日本人の一割程度だろう。しかし日本人だったら誰しも義務教育を受ける。大学進学者に限っても50%を超えるだろう。また、社会的に発言力の強い人間は決まって高学歴だ。これはピアノや野球には見られない現象である。したがって受験戦争という「競技」に参加したことのある人間はあらゆる競技の中でも桁違いに多く、しかも社会的に影響力のあるポジションの人間ほど競技に深く関与している割合が高い。その分挫折した人も多いだろう。したがって受験戦争のステータスの通用範囲は桁違いに広いと言える。
筆者がこの前立ち読みした本によると、男女皆兵のイスラエルでは空軍パイロットの社会的尊敬が東大を上回るとのことである。これは補強材料と言えるだろう。イスラエルでは皆が軍隊に所属したことがあるので、その分プロの軍人の「凄さ」を実感している人が多いということだ。ある競技の上位者の「凄さ」を理解できるのはその競技に深く関与した人間だけであり、「競技人口」が多ければ多いほど、ステータスの有効範囲も広い。
東大卒の権威性を支えているの要素は何か。真っ先に浮かぶのは知的能力の高さだろう。東大王のような番組を見る限り、この方面の期待があることは明らかだ。noteを見ても東大出身と思しき方の記事は素晴らしい物が多い。しかし、ここを過大評価してはいけない。東大卒の知識教養や数理的思考力はかなり高いが、世間はあまりこの分野に興味を持っていないようだ。例えば受験数学についての記事を書いたとしても、喜ぶのはマニアだけだろう。東大生であってもこうした方面に興味がなかったり、嫌っている人間は珍しくない。
東大の権威性は他の要素の方が重要である。まず社会人の殆どは大学受験を経験していて、その分挫折している人も多い。成功した人も学歴ヒエラルキーを拠り所にしていることがあるので、尚更東大の権威性には弱い。甲子園出場校が甲子園優勝校を永遠に忘れないように、競争社会の勝者はそれだけで尊敬されるところがある。
また、東大出身者は大半が教育熱心でそれなりに「まとも」な家庭で育っている。また、環境だけではなく、社会的に有効な形で努力と達成をできる人間とされている。知らない人であっても、東大卒ならまず犯罪者と疑われることはない。これは意外に重要である。学歴の高さは人格を保証するものではないが、とはいっても超難関大の出身者ならそれなりに最低限の身元はまともだと思われるのである。
これはどこまで真実かは怪しいが、一般に東大卒は医者に匹敵するか、それを上回る栄達が見込まれるという神話がある。きちんとした勤め先から安定して収入がもらえることは間違いなく社会的ステータスであろう。東大卒ならそういったところに勤務していると一般に信じられているし、レールを外れた場合でも何らかのポリシーや勝算があると思われる。医者には遠く及ばないにせよ、ある程度の社会経済上のメリットがあることは間違いなく東大卒の権威性にプラスとなっている。
というわけで、東大の肩書を支える権威性は主に4つである。
①受験戦争の勝者としての尊敬
②知的能力の高さを表す指標
③身元が確かであるという信頼
④社会経済上の成功に関する神話
このうち、特に重要なのは①である。③と④はスポーツや親の七光りであっても通用するし、②に関してはどこまで有効かはわからない。刺さる人と刺さらない人が半分半分といった具合か。東大卒の飛び抜けた通用範囲を支えているのは①である可能性が高い。
同じ受験でも中学受験の有効範囲は狭い。例えば筑駒は中学受験経験者以外には知られていない。無関係な人からは未だに悠仁親王や影山優佳の出身校だと思われている。同様に、高校受験もローカルなことが多く、その地域の外では通用しないことが多い。首都圏出身の知人を見ても、旭丘や修猷館に関しては地方のよくわからん高校という認識で終わっている。ただこれらの高校は地元では神扱いなので、やはり「競技人口」というファクターが重要なのだろう。灘開成ラ・サールであれば全国的に有名だが、それでも東大の特権的な威力にはなかなか勝てない。中学受験や高校受験はあくまで途中経過というニュアンスが強いからだ。
他に東大の権威性に対抗する要素はあるだろうか。あるとすれば金である。年収は非常に重要なステータスだと考えられている。しかし、それがどこまで有効かはわからない。金持ちといっても怪しげなビジネスで稼いだ金なら世間は厳しい目を下すだろう。それに金は属人性が低く、移転可能性が高いため、ステータスとして使うにはリスクが高い。金持ちの多くは、金を実用的なものとみなしていて、権威性は別の何かで満たそうとする。金があること自体を権威性にするのは成金趣味か怪しげな投資系インフルエンサーばかりである。
キャリア関係の肩書の場合は業界内でしか通用しないことが多い。学歴はキャリア上の有効性は低いかもしれないが、キャリア上のステータスは学歴以上に外の世界では有効性が低いのである。例えば東大医学部卒の医師を見ても世間は明らかに医者としての肩書よりも学歴ネタを評価しているようだ。サラリーマンの場合は部長クラスではタダの医者よりも権威性は低いかもしれない。企業の上級管理職にひれ伏してくれるのは会社内だけか、せいぜい同業他社くらいであり、外の世界に行けば権威性は東大の方が高い。ホリエモンは「東大が最強の資格だ」と言い切っているが、ホリエモンは業界内部の序列や慣行を一切尊重しないタイプであるため、ある意味で的確なことを言っているのである。
東大卒と比較的近い性質を持つのは美女かもしれない。乃木坂クラスの美女であれば思春期以降に周囲から褒めそやされることは多いはずだ。結婚には思われているより有用ではないという観点でも似ているかもしれない。ただし、美女の場合は好き嫌いが分かれるため、東大と同様の上位0.3%の美女というのは決定しかねるものである。上位1%〜3%辺りで頭打ちの観もある。また、美女は価値の下落が早い。この点50歳になっても60歳になっても東大卒は東大卒である。筆者は日本最高齢の人のインタビューで東大卒であることに触れているのを見たことがあるので、少なくとも卒後100年ほどは有効と思われる。男性の場合は身長や体格など首から下の身体的な要素がステータスになることが多いが、これらもまた東大ほどの効力はないと思われる。直感的な暴力性という観点では通用範囲は広いかもしれないが、犯罪者でもマッチョになることは可能であるため社会的信頼には繋がらない。希少性という観点でも加齢という観点でも東大には遠く敵わない。
というわけで、会社内や業界内の序列や実利的な要素を排除した無形のステータスという観点では東大は最強である。少なくとも一般人が獲得できるステータスでは最高峰と言い切っても問題ないと思う。他にもすごい能力や資格はあるのだが、汎用性という観点では東大に勝るものは無いのである。東大卒のキャリア上の価値は卒後数年で暴落するが、汎用的な価値は下落しない。一度受かってしまえば東大卒は生涯舐められないステータスを手に入れたと言えるだろう。
東大卒の弱点は(大変皮肉なことだが)キャリアに他ならない。東大内部の競争にせよ、社会に出てからにせよ、東大卒がさらされる競争社会は激しさの割に見返りが少ないものばかりだ。医学部がキャリアを生涯保証されるのに対し、東大は就活・転職・出世競争・セカンドキャリアなど茨の道である。個人的に思うのは、東大卒にとっては業界や組織内部の序列に従属する必要の無い立場に行ければ、その時点で勝ちなのではないかということである。東大卒の不幸の原因の一つは別の序列によって競争社会の下に押し込まれてしまうことにある。何らかの方法で競争社会から離脱して安寧を確保すれば、かなりQOLは高いのではないか。個人事業主の抱くお堅いステータスが無いという焦燥感を東大卒は感じることがないため、並みの個人事業主よりも満足度は高いだろう。ただこの方面でも医学部にはなかなか勝てないのが悲しいところである。
さて、また嫌味な内容の記事になってしまった。こういった内容はnoteというよりもXの方がウケる印象である。ただXの場合は変なのに絡まれる可能性が高いので、当分の間進出するつもりはない。MBTIネタと相性が良いのはnote、学歴ネタと相性が良いのはX、雑学ネタと相性が良いのはYouTubeと確信しておて、大体ウケる層もつかめているのだが、なかなか多角化に踏み込む余裕が無いですね。。。