文系総合職の労働負荷は見た目よりも大きいかもしれない

 今回はキャリア論というかサラリーマン論というか、という感じである。以下の記事を読んだ時に筆者が考えた感想を遅ればせながら書いてみることにする。

 しばしば仕事の大変さを表す指標として勤務時間・残業時間が取り上げられることが多いのだが、筆者は必ずしも残業時間が労働負荷を表すとは考えていない。一時間当たりの消耗度はかなり異なるのではないかと、見ていて思うからである。これらを総称して労働負荷と呼ぶことにしよう。

 労働負荷に影響を与えると考えているファクターは以下の通りである。

・労働密度
・仕事への興味
・裁量権

 例えば純粋な拘束時間が長い仕事として研究者が挙げられる。学生の時点でも研究者志望の人間は大学に泊まり込むことが多い。ただ、経済的な不安などを別にすれば、研究者の時間あたりの負荷はそこまで大きくないのではないかと思われる。というのも、研究者は寝食を忘れて熱中するくらい扱うテーマのことが好きな人間が多く、研究をしている状態が何かを犠牲にしている状態というわけではないからである。(興味が持てない場合は地獄だが、その場合はわざわざ研究者にはならないだろう)また、人間関係もブラックな研究室に当たらない限りは比較的フラットのようである。

 次に医者だが、確かに激務な診療科は多いようだ。ただ、医者の労働負荷は思われているほど大きくはないと思う。医者は高度専門職でそれなりに裁量権が大きい。診察室に上司がいて見張っている訳では無いだろう。それに医者の激務の大きな要因となっているのは当直だが、当直室には仮眠室があって、睡眠を取ることが許されているらしい。こうなると労働密度はあまり高くないのではないかと思う。

 理系の多くが就きがちなのがメーカーの専門職だが、この辺りもやはり労働負荷はそこまで大きくないような印象を受ける。給料はそこまで高くはないが、時間的な余裕はそこそこあるようだ。

 自営業者も労働負荷はそこまでのようである。理由は広汎な裁量権だ。出勤時刻は自由だし、面倒な事務手続きは別な人に任せれば良い。上司に見張られているわけではないし、自分の好きなスタイルで仕事ができるため、ハードワークも平気という人が多い。しばしばカリスマ社長が自分の激務自慢を社員に押し付けることが多いが、これは立場を無視した意見だと思う。社長にとっての残業と社員にとっての残業は全く労働負荷が違うからだ。

 予備校講師もそこまで労働負荷は大きくないと思う。純粋な労働時間であればかなり長いのだが、自分の好きな教科を教えているという点と、授業や指導の裁量権が大きいため、労働負荷はそこまで大きくなさそうである。また、内部の事務手続きが複雑だったり、社内文化が堅苦しい学習塾はあまり多くないのではないかという印象を受ける。

 比較的労働負荷が大きくないよう思えるのはこの辺りの業界だろうか。

 一方、労働負荷が大きいと思われる職種も存在する。その代表格はいわゆるホワイトカラー的な仕事である。掲載記事での東大文系激務論は実はこの点に起因しているのではないかと思われる。

 先ほど挙げた三要素の全てが低いのがホワイトカラーである。まず労働密度であるが、オフィスワーカーはかなりの労働密度を要求されることが多い。この傾向は働き方改革でより強まっている。オフィスという環境では休憩を取るのも憚れるので、本当にトイレくらいしか安らげる場所がない。同僚のトイレの回数を数えている人間すら存在する。筆者は作業に疲れると10分程度仮眠を取ると生産性が上がることを知っているのだが、オフィスでは仮眠は禁止されているので、どうしようもない。

 次に仕事への興味だが、これもホワイトカラーは低い。ブルシット・ジョブというように、延々と意味のわからない社内事務や役員の答弁資料を作成するような仕事が多く、しかもやたらと細かいことが多い。それこそホッチキスの1つの止め方もミスが許されない世界である。高給を得ているはずのサラリーマンが脱サラして農業をしたがるのもこれが理由と思われる。ホワイトカラーの仕事のモチベーションは仕事そのものから湧き上がってくると言うよりは、出世や周囲の目といった外部の要因から湧き上がってくることが大半で、仕事そのものは基本的に面白くないと考えて良いだろう。

 最後に裁量権だが、これまたホワイトカラーは低い。被用者としての性質が強いし、大組織であればあるほどルール地獄が待っているからだ。オフィスで周囲の監視にさらされている状況では自分の好きなスタイルで働くことも難しい。何をやるにも上司の決済や事務手続きが必要だったりもする。筆者の経験談だが、マウスを借りる際に上司と事務管理者とIT部門の三人の決済が必要で、何枚も書類を申請しないと行けなかったのは、本当にバカバカしかった。

 これは付随的な論点だが、業後の飲み会なども挙げられる。研究者の知人から聞いたところによると、研究者の飲み会は普通の飲み会だそうだ。これは会社員の感覚では考えられない。文系総合職の場合は上司のグラスに酒を注いだり、会の段取りを行ったりと気が抜けないし、会話といっても社内の噂かごますりが多く、到底慰労のための会とは思えない。むしろ給料がマイナスの労働と言っても良いかもしれない。飲み会など業後の付き合いに関しては楽しみという人もいるかもしれないが、ここで明暗を分けるのは裁量権だろう。

 掲載記事で挙げられていたのは東大文系の激務論だが、筆者は必ずしも労働時間だけが理由ではないと思う。むしろ労働負荷の高さのほうが決定要因なのかもしれない。筆者の感覚では、最も労働負荷が高いのは外資系投資銀行で、それに次ぐのはJTCの文系総合職だろうか。公務員は民間企業とちょっと間合いが異なる。トータルの激務度であればキャリア官僚と外資系投資銀行が双璧だと思う。弁護士は激務な者も多いが、オフィスは個室だったりして、労働負荷は会社員よりはマシであると思われる。

 文系職種であっても、比較的労働密度が低いかもしれないのが営業職だ。昼間の市街地には外回り営業の合間に昼寝をしているサラリーマンがよく見られる。ただ、東大文系で営業系に就いているものは少なく、能力があまり生きる場所とも思えない。

 ワイルドカードとなるのはテレワークである。テレワークになっても業務が減少するわけではないし、むしろ余計な手間が増えている感もあるのだが、それでも多くの人間が楽に感じるのは労働負荷の軽減が理由である。やはりオフィスで周囲に見張られながら働くのは負担が大きいのである。上司にディスプレイを見られる席の社員はうつ病になりやすいという研究もあるらしい。

 東大文系の多くは本社業務についているのだが、これらの職場は極めて労働負荷が大きく、精神的なダメージが大きい。文字通りロボットのような生き方が要求される。したがって、東大文系の仕事へのイメージは悪いことが多く、本当にみんな苦しそうである。人生の意義や働く意欲を喪失してしまった者もいるが、なんとか結婚や副業に活路を見出し、現実と折り合いを付けて踏ん張っている者が大半である。

 というわけで、東大文系の激務説は労働負荷の高さによるのではないかと筆者は考えている。同じ残業時間であっても、研究者や専門職とは負担感がかなり異なるのである。やはり日中の大半を心を殺してロボットとして過ごし、うんざりするような事務労働を延々と行うことは非常に辛いのだ。それにオフィスワーカーは人間関係や社内文化の観点でもやたらと堅苦しいことが多く、会社関係の関わりを嫌がる人が多いのは納得である。筆者の周囲でも抗うつ剤を服用して働いている者は多いし、結局治らずに障害者雇用になった者もいる。

 激務激務といっても、実のところ表面的な労働時間だけでは測れないのが実情である。理系は稼げないとか偉くなれないとか言われることが多いのだが、東大文系のような労働負荷の大きさはそこまで見られない。むしろ社会に出てからのほうが楽だという人が多い。やりがいを持って働いている人も理系の方が多そうである。「東大より医学部」論に関して理系より文系のほうが賛同者が多いのはこれが原因かもしれない。オフィスワーカーや文系総合職の仕事は見かけ以上に負荷が大きいということは留意すべきである。


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