老人はなぜ「昔は良かった」というのか〜経済成長VS老化〜

 しばしば老人は「昔は良かった」という内容の文言を口にする。これは時代認識ができていない人間の戯言と捉えられる時もあれば、一定の真理をついていることもある。「昔は良かった論」の妥当性はどれほどあるのだろうか。

 今の90歳くらいの老人の人生を考えてみよう。子供のころはB29によって日本全土が焼き尽くされていた。今よりも医療体制は悪く、子供の多くが下痢で命を落としていたし、結核によって大量に死亡者が出ていた。テレビも自動車も全く普及していない。隅田川はドブだらけで、道路は泥と水たまりばかりだった。当時の日本の生活水準は現在のパキスタンやカンボジアくらいだろう。幸福度はともかく、物質的には不便極まりないし、簡単に予防できる病気で多くの人が命を落としていたという事実1つをもってしても、昔のほうが良いとは思えない。

 しかし、老人が「昔は良かった」ということには一定の合理性があるかもしれない。1950年代より現在の方が物質的な生活水準は高かったとしても、老人その人にとっては1950年代の方が生活水準が上の可能性が高いからだ。人は加齢によって体の自由を奪われていく。いくら日本全体の生活水準が高くなっても、自分が認知症で寝たきりになってしまっては、到底快適な生活とは言えない。90歳の老人にとってはスマホが普及した現代よりも、白黒テレビすら普及していなかった1950年代の方が自由にできることが多かっただろう

 人類は一年一年着実に進歩している。産業革命が定着した1800年頃から先進国の一人あたりGDPは年2%のペースで安定成長しており、人類の技術は前進を続けている。しかし、一方で個人のQOLは加齢によって低下していく。高度経済成長のように目覚ましいペースで成長している時は後の時代の方がQOLが高く感じられるだろうが、成長ペースが遅い場合は技術の向上よりも老化によるQOLの低下の方が上回るかもしれない。この場合、年月と共に自分のできることは少なくなっていくだろう。

 日本は前代未聞の高齢化が進んでいる。日本の将来を悲観している論者は多いが、その原因は高齢化それ自体かもしれない。日本社会の技術水準は現在も着実に上昇しているのだが、人口の大半が高齢者のため、その恩恵に与れないのかもしれない。技術革新を上回るペースで老化が進んでいる人間が多いため、将来に対する展望は暗い。正直、ありとあらゆる産業が衰退していく前提で語られる今の状態は事実誤認とも思われるが、個人の職業観という観点では妥当とも言えるのである。

 人口ピラミッドの要因も考えられる。1950年代は富士山型だったので、高齢者の希少価値は高く、敬老精神が今よりも根付いていた。ところが現在は逆ピラミッド型になりつつあるため、若者の方が立場が強い。「敬若精神」の社会になった場合、加齢に伴うQOLの低下は更に激しくなるだろう。こうなると、経済成長のペースよりも自分の人生が下り坂になっているペースの方が速い人間がかなり多くなるのではないかと思われる。これでは悲観的な論調が幅を利かせるのも無理はない。

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