有名人のMBTI考察は本当に可能なのか?(ぼやき)

 前回の記事ではMBTI考察の対象となりうる三種類の題材について考えた。
その際に寄せられた意見として「果たして有名人のMBTI考察なんてものは可能なのか?」というものがあった。筆者も実はこの点に関しては一応は問題意識を持って考えたことがあり、一応理論的な背景については考えている。今回の記事は理屈の話が多くなってしまうので、具体的なエピソードや生き方の指針は書かない。というわけで、熱狂的なマニア向けの記事になってしまったのは御愛嬌。

未知へのアプローチ

いきなり関係ない話だが、月や太陽といった天体までの距離や質量の求め方ってどうやったのか知っているだろうか。人類の英知とはすごいもので、一度も行ったことがない天体でも、工夫を重ねれば距離や質量を求めることが可能なのだ。

 月までの距離のアプローチは色々あるのだが、一番古典的なのは地球からの視差を使うやり方である。これによって月までの距離が確定する。次にクソ面倒な実験で重力定数を求め、これで地球の質量が判る。あとはケプラーの第3法則で月の質量が算出できてしまう。太陽の場合は小惑星までの距離をレーザーで求め、やはりケプラーの法則を用いることで、距離と質量がわかってしまう。

 有名人のMBTI考察もちょっとこれに似ている。確かに有名人は普通の人は見ることができないし、見たとしても私生活でどんな人間かは分からない。しかし、熟達したアプローチを用いれば、太陽の質量を求めたときのように、遠隔地から人間考察を行うことが可能ではないかと筆者は考えた。もちろん前段階として、重力定数を求めたときのように、身近な知人で人間観察の体系を確立することは不可欠である。

ペルソナを剥ぎ取る

 人間は誰しも社会での顔というものがある。家でダラダラしているときと、会社で仕事をしているときでは、顔つきも心持ちも違っていると思う。

 ここで問題となるのは、果たして社会での顔は本物の自分なのか?という点だ。ここに関しては意見が分かれるだろう。筆者の持論は人間は社会的な生き物であり、他者との関わりを通して自我が発生するというものだ。人間の性格なんてものは他者との距離感によって作られる相対的なものであり、無人島で一人で生活している場合は、もはや性格分析には値しないのではないかというわけである。サルトルは「他人のまなざしは地獄である」と述べていたが、他人のまなざしは良くも悪くも自分を規定するものであり、これを拒絶してしまえば、サルトルのように独りよがりで孤独な最期を遂げるだろう。

 というわけで、筆者は基本的にMBTI考察において帰納法的なアプローチを取っている。あくまで表面が先で、深層心理は後という考え方である。これは心理機能を用いたアプローチとは相容れない。心理機能は内面にある因子が存在し、それが表面にあらわれているという仮定に基づいており、演繹的な手法である。筆者が心理機能についてほとんど言及しないのは、実はこれが理由だ。したがって筆者はMBTIの界隈では異端的な存在と言われても反論はできない。本当は16タイプと書くべきなのだが、諸事情によりMBTIという表記を優先している。

 とは言え、人間は社会で生きる上で様々なペルソナを被っており、見たまんまが性格であると言う気はない。重要なのは、筆者が「外側から人間を見つめる」というスタイルを貫いていることである。職場において普通の人間はペルソナを被っていることが多いが、しばしばその隙間から性格が顔をのぞかせることがあり、そこを見逃さずに分析していくことになる。

 これは感じ方が違う点かもしれないが、仕事においては個々人が好き勝手に裁量を行使することはできないので、普段の仕事ぶりからその人の人格を十分に観察することはできない。プライベートな質問でも、職場の人に対しては「正解」しか答えたくないという人もいる。同僚と絡むこと良しとしない人もいる。

 しかし、ふとした瞬間の雑談や、仕事のほんの僅かなディテールや、飲み会での振る舞いにより、普段は見えないはずのペルソナの奥底を「透視」することができる。このやり方を有名人にも応用できないかというのが今回のテーマである。画面の向こうの人間を透視する難易度は仕事仲間に比べて高いが、できないと決まったわけではない。

「透視」の方法

 有名人のタイプ判定に良い手段はあるだろうか。もちろん今までに使用した方法を応用すれば良い。

 あまり役に立たないのは公の場でのスピーチやコントなどの芸を観察することである。よほどリラックスした場でない限り、このような場に個性が出ることは稀だ。有価証券報告書に作成者の個性が出ないのと同じである。これらのパフォーマンスで明らかになるのは本人の「性格」ではなく「能力」である。こうした行為は仕事で言うところの客と話している状態と同じで、MBTIは良くわからない。

 役者の場合はドラマや映画でお目にかかることが多いだろうが、こういった場での観察も基本的には難しいと考えて良い。筆者の経験上、意外に本人のキャラと当てられるキャラは似通っていることは多い。例えばエマ・ワトソンは作中のハーマイオニーと同様に現在は活動家になっている。ただ、普通の感覚では役柄から性格を断じるのは難しい。

 それでは根拠になるものはあるか。まずいちばん頼りになるのはエッセイ等の自己表現が全面に押し出されているコンテンツである。エッセイはまさに内面をさらけ出すことが目的となっていて、嘘偽りをするインセンティブが小さい。仮に誇張や詐称があったとしても、その本人の詐称したい部分が明らかになれば、むしろ考察の材料となりうる。ただしあまり役に立たないのは政治家の自伝だ。政治家の自伝は内面の告白に見せかけて、自身の政治主張が書かれていることが多いからだ。

 次に判別し易いのはラジオや配信など、同輩との絡みが存在するコンテンツで、かつある程度時間的な余裕があるものである。大人数と少人数のどちらが良いかは場合によるのでなんとも言えない。人間の性格は似たような背景の人物との絡みがあると、認識しやすいと思う。若者から見ると老人は皆同じに見えるが、実際に老人同士を比較してみると、そこにはさまざまな違いが浮き彫りになるのと同じだ。

 もう一つ、頼りになるソースとして、関係者からの評判が挙げられる。これは有名人に限ったことではなく、日頃の人間考察においても重要だ。特に自己分析において有用な手段になる。例えば筆者はネプチューンの堀内健が本当にあのようなぶっ飛んだENFPキャラなのか判断しかねていたが、バナナマンによると堀内健は全く裏表がなく、本当にあんな感じの人らしい。こうした証言は有力な根拠になると思う。筆者は以前、ヒトラーの考察記事を書いているが、この際に参考にしたのはエヴァ・ブラウンやアウグスト・クビツェクの証言である。ヒトラーの演説を聞いたとしても、ガラガラ声のアジテーター以上の情報はなかなか得られないと思う。

 見た目からの情報も重要だ。現在のテレビの画質は非常に良く、リアルで見るのと殆ど変わらなくなっている。筆者は以前、運良く上皇陛下を目撃したことがあるのだが、テレビで見たお姿とほとんど変わらなかった。したがって、有名人の視覚情報も職場で仕事中の姿を見ている状態と同じくらいには役に立つのではないかと思う。

 やや精度の低い方法にはなるが、長期的・総合的な目線でその人の生き方を見るというアプローチも可能である。例えば芸能人として作り込んだキャラを一度も崩さない場合はJ型である可能性が高い。ある程度売れるとオリジナルの自己表現を追求し始める場合はP型である可能性が高い。他にも、例えば演劇にハマっている場合はN型の可能性が高いとか、元ヤンの噂がある場合はS型の可能性が高いとか、傍証を積み上げることができる。TF軸の場合はそもそも見た感じの雰囲気に出ていることも珍しくない。

考察を接続する

 筆者のこれらの考察は本当に当てになるのだろうか。エアプにエアプを重ねた、想像上の人間考察ではないのか。そういった疑念も筆者には湧いていた。太陽や月の距離を求めたときのように、遠隔地へのアプローチを身近なアプローチと接続することはできないだろうか。

 筆者にとって手がかりとなる要素は2つ存在した。本当に偶然なのだが、筆者の大学時代の知人が色々あってデビューし、テレビやYouTubeへの出演を繰り返していた。画面の向こう側にいる彼らの姿を観察していると、有名人と知人の間の移り方の「ズレ」を良く観察することができた。最近のテレビは画質が非常に良いので、あまりリアルで見るのと移り方は変わらないようである。したがって、T型F型を見た目で判別するようなやり方は有名人に関してもそのまま適応できると思う。

 もう一つ、信頼が置けるのは、最近の有名人がMBTI考察の結果を公表し始めたことである。筆者は元々有名人のMBTIの予想をそこそこ作っていたため、自分のアプローチと現実の有名人がどの程度ズレているかを把握することができた。世間一般のアプローチとも比較してみたのだが、心理機能に基づくタイプ判別は有名人には使いにくいことが多く、4つの軸を個別に判定した方が精度が高いことが判った。他にも経営的な立場を背負っている場合はJ型と判断されやすいなど、さまざまな結果が得られた。

 これらの結果から、どうも有名人のタイプ判定は頑張れば不可能ではないと筆者は感じた。確かにかなり熟練した技術が必要だが、十分な材料が見つかれば、推定は可能なのである。

判定し易い人、しにくい人

 さて、有名人の判定だが、場合によってやりやすい場合とやりにくい場合が存在する。

 最も判定し易いのは芸術家や作家など、自己表現を目的としている人である。このような人は積極的に自分の内面をさらけ出すし、自己欺瞞をするインセンティブがほとんど無い。

 芸能人も人間考察の難易度は低めである。ただし、個人差が大きい。アイドルの場合はメンバー同士の絡みなどもあって、比較的判別し易いように思える。筆者はあまり考察していないのだが、ラジオ等を聞けば芸人も考察しやすいのではないか。ただし、ひな壇は難しい。芸人にとってひな壇でのトークは芸そのものだからである。総じてゴールデンのテレビ番組との相性は悪い。

 一方、難しいのは政治家である。政治家は常にペルソナを被っているからだ。筆者は人生において何度か政治家を接触したことがあるのだが、ぶっちゃけ芸能人以上にキャラが作り込まれていて、気味が悪かった。政治家の日頃の発言からタイプを判別するのは難しい。日頃の表情や裏での振る舞い、それに退任後のインタビューなどに頼る必要がある。

 人間考察がほぼ不可能なのは経済人である。はっきり言って経済人は自己表現からは最も遠い界隈だ。経団連の偉い人とか、メガバンクの頭取とかのインタビューを読んでもMBTIは全く見えてこない。筆者は本田宗一郎や元谷芙美子の自伝を読み込んだこともあるのだが、どうにも見えてこなかった。自己表現を重んじるINFPがサラリーマン出世競争との相性が悪いのも納得である。なお、経済人とは言っても、ホリエモンなど途中でインフルエンサーに鞍替えした人間は別だ。

 余談だが、有名人のタイプ判別を通して気がついたことは、タイプ判別が難しい状況とS型が優位な場面は被るということである。例えば政治家の目指す目標が抽象的かつ多義的なのに対し、経済人の目指す目標は利益を上げるという点だけだ。したがって経済人は目的達成のために遠回りしないS型が優位であり、同時にタイプ判別も難しくなる。S型の政治家はおそらく「票を稼ぐ」とか「資金を集める」といった具体的な目標達成にめっぽう強いのだと思う。芸能人に関しても、ゴールデンのテレビのような時間が限られ、万人受けが要求される場所ではS型の方が優位だった。最近はテレビ離れとネット配信の普及により、芸能人のN型化が進んでいるのではないかと思う。このあたりは以前の記事でも論じたところである。タイプ判別が難しいポジションにもN型の人間は存在すると思うが、あまりN型らしいことはできていないのではないか。

まとめ

 今回は有名人のタイプ判定のプロセスについて考察した。筆者があれこれと試行錯誤を重ねた結論としては、有名人のタイプ判別は頑張れば可能であるということである。有名人のタイプ判別は確かに知人に対するタイプ判別よりも精度と実用性で劣るのだが、それでも他人と考察結果を共有しやすかったり、人間考察の地平線を押し広げるといったメリットが存在する。なにより、有名人の需要そのものが、人類が有名人の思考や行動を参考にしたいという欲求を持っていることを示している。

 ただし、有名人の考察においては表層的なアプローチが中心になるため、心理機能をベースとした診断は当てになりにくい。ネットを見ても、心理機能を中心とした有名人のタイプ判別は人によっても結果がバラバラで、あまり本人の診断結果と一致していないことも多い。彼らがやっている診断サイトが個別判定法だからというのが大きな理由ではあるが、人を遠隔地からタイプ判定する以上、個別判定法の方が優位に立つのは仕方のないことなのかもしれない。 

 今回考えたアプローチは普段は心の中にしまっておく内容なのだが、一応は理論的な背景も書いておきたいと思い、整理したものである。筆者のやり方はかなりの独自路線なので、訝しく思う方もいるかもしれないが、考察のやり方は人それぞれなので、他人と共有が可能ならそれで良いと思っている。


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