人生において取り返しのつかない失敗・取り返せる失敗

 筆者は色々人生について考えている一個人なのだが、さまざまな人間を観察する上で、人生の中には一見深刻なようで後から取り返せるようなミスと、一度やってしまうと取り返しのつかないミスがあることに気がついた。

 人生にある良くないこととは行っても、家庭環境や認知症など、自分ではどうしようもない場合は失敗とはいえないだろう。そうではなく、ある程度自分の意志で左右できる事象を取り扱うものとする。

 今回は人生で取り返しの付く失敗と取り返しのつかない失敗について考えてみたいと思う。ややえげつない話も含まれるが、人生においては避けて通れないだろう。

取り返しの付く失敗

中学受験

 全く気にする必要が無いのが中学受験の失敗である。元から素質の無い場合はどうしようもないが、第一志望校に落ちたとか、本番のコンディションが悪くて落ちてしまった程度では何一つ問題ないのが中学受験である。

 基本的に学歴競争で問われるのは大学の学部であり、どこの中高一貫校を出たかは話のネタにしかならない。それに中高一貫校のカリキュラムはどこの学校に行っても変わるわけではない。あくまで中学受験の強みは先取り学習であり、別に上位の進学校に行かないとダメなわけではないのである。むしろまぐれで上位の進学校に入ってしまうと、落ちこぼれて本来伸びるはずだった学力が失われてしまうという結果になりかねない。

 特に男子に顕著だが、中学受験の序列はほとんどアテにならないと考えて良い。そもそも有名進学校出身者が太宗を占めるのは東大と一部の難関医学部だけであり、その東大を見ても、マイナーな学校からの出身者は大量に存在する。というわけで、中学受験の結果が思わしくなくても後からいくらでも取り返せると考えて良いだろう。

大学受験での挫折

 大学受験の場合は中学受験と異なり、その後の人生への影響がかなり大きいと思う。ただし、失敗と言ってもさまざまなレンジがある。高校3年間全く勉強せず、Fラン大学にしか進学できなかった場合は、確かにかなりのダメージがあると思う。ただ、本番のコンディションが悪く、行きたい大学に行けなかった程度ではあまり問題はないはずだ。

 ここで言う大学受験の失敗とは志望大学より1ランクか2ランクほど落ちた大学に進学したケースを想定している。早慶に落ちてMARCHとか、京大に落ちて後期で九大といった場合だ。

 ぶっちゃけ就活の段階では1ランクか2ランクであれば簡単に取り戻せると思う。東大の中間層よりも早慶の上位層のほうが就職が良いのもその例だ。3ランク以上(早慶と大東亜帝国など)ではちょっと難しいかもしれないが、1ランク(早慶とMARCH)であれば誤差の範囲内と扱われるし、2ランク(早慶と日東駒専など)であっても、やり方によっては覆せないわけではない。

 大学受験の挫折がもたらす最も深刻な影響は精神面だ。本当は取り返せるのにも関わらず、無意味な劣等感を抱いている人間が多いのである。ただ、そうならない限りいくらでもチャンスはあると考えるべきだろう。ただし、唯一の例外が医学部医学科である。ここに関しては合格と不合格では天と地ほどの差があると考えて良い。

浪人・留年

 しばしば浪人や留年を大きな挫折として捉える人間がいるのだが、全く賛同できない。日本社会のルートに乗っている限り、2年以内の浪人や留年はノーカウントである。筆者の周囲を見ても、2年以内の浪人・留年は全く就職に響いていなそうだ。超優秀層は浪人も留年もしないかもしれないが、それは元々の性格や、単に能力的に突き抜けてしまったからという理由が大きく、別にストレートだから優遇されているわけではない。

 むしろ浪人・留年を恐れてリスク回避に走りすぎたり、余計な劣等感を抱えてしまっている方が問題が大きいのではないかと思う。

 ちなみに3年以上はどうなのかという話だが、結論から言うと、不利にはなるが、致命的にはならない。少なくともそれが単一の原因として就活に失敗した人間はそこまで見聞きしない。大手企業であっても、プラス4辺りまでは見かける。ただ、ちゃんと理由を説明できるようにした方が良いとは思う。

45歳までの出世見込み

 しばしば20代とか30代の社員が「あそこは出世ルートだ」とか「あそこは窓際だ」といったことを議論することがあるのだが、筆者は親戚やその他のオッサンを観察していて、この手の言説は全くアテにならないことに気がついた。

 日本企業の場合、社内の出世競争はある種のナラティブになっている。どんな社員でも一斉競争で社長を目指せることがある種の活性化に役に立っているわけである。したがって、早い段階で出世ルートの可能性を閉ざしてしまうことは実は会社の利益にならない。日本企業において、出世の確定は遅ければ遅いほど良く、実際出世のあれこれが確定するのは50代である。日本企業の特徴は実は「遅い出世競争」にあるという事実はなぜか知られていないようだ。

 というわけで、45歳未満の社員は一応はいくらでも取り返せる位置にいるので、あまり出世云々を勘ぐらない方が良さそうである。

早期の離婚

 しばしば結婚に関して過度のリスク志向を持っている人間がいるのだが、これはあまりオススメできない。やはり適齢期に結婚してしまったほうが良い。それが仮に失敗だったとしてもだ。

 婚活市場を見ていると、興味深いことに未婚の人間よりもバツイチの人間のほうが結婚しやすいようだ。やはり一回も経験していない人間よりも、失敗だったとしても一度経験がある人間のほうが評価は高い。例えるならば、第二新卒のほうが新卒無職よりも評価が高いのと同じである。

 というわけで、仮に結婚に失敗してしまったとしても、子供ができる前でかつそこまで年齢が行っていない場合は離婚してやり直せば良いので、そこまでリスクを恐れない方が良いのではないかと思う。

取り返しのつかない失敗

 一方、人生において取り返しのつかない失敗、やり直しが不可能に近い失敗もある。筆者の見解だが、これらのミスはしないに越したことはないし、少しでもリスクを軽減すべきである。人生において重要なのは取り返し付くミスを恐れすぎないことと、真に取り返しのつかないミスを選別することである。ここに関しては重要度が高いので、ランキング形式にしてみる。

第五位 新卒カードを逃す

 筆者は何度も言っていることなのだが、新卒カードは本当に貴重である。医師免許や弁護士免許には負けるかもしれないが、それらの特殊スキルを持たない場合は最も価値があると考えて良いだろう。しばしばスポーツやその他の天才が二十歳すぎればただの人になってしまうのも、中途半端な才能よりも新卒カードのほうが価値があることに気がつくからである。

 資格業はそうでもないかもしれないが、一般企業においては年齢はあらゆる指標の中で最重要のステータスであると考えたほうが良い。しばしば女性の婚活に年齢が問われることが多いが、就職のほうが更に厳しいと思う。そういった社会の中で、新卒カードは本当に強い。新卒であればどんな業界にチャレンジすることも可能であるし、ホワイト企業の場合は新卒しか門が開いていないことが多い。日本社会は学歴主義ではなく新卒主義という話は以前にも書いたが、それだけ新卒は大事ということだ。東大卒の既卒は40代美女のようなもので、就職するならMARCH卒の新卒の方が価値がある。

 新卒でキャリアを逃してしまうと、その後のキャリアは厳しいものになってしまう。この事実はさまざまな人間の人生に大きな影響を与えていると思う。スポーツにせよ、アイドルにせよ、22歳以上と22歳以下では全く状況が違うのである。プロの中でも上位に食い込める人間は良いが、そうではない場合は新卒で就職を決めた方がはるかに収入も楽さも社会的威信も遥かに上だろう。日本社会において新卒より価値があると言えるのは医師免許のような一部の難関資格と数億円以上の資産くらいではないか。

第四位 子供を産み損ねる

 これまた取り返しのつかない失敗の1つである。ちゃんと覚悟があって子供がいらない場合は別に問題は無いのだが、そうでない場合はまずい。後から子供がほしかったと言っても、こればかりはどうしようも無いのだ。元から子供ができない体質の人もいるので、そういった人は失敗のカテゴリではない。しかし、子供を産めるし、子供が欲しかったのに、そうする機会を逃してしまった場合は後悔すると思う。

 これは人間の寿命が伸びたのに、卵子の寿命が伸びていないという単純な事実に起因している。最近は人生100年時代と言われるが、女性が子供を産めるのは42歳くらいまでで、しかも35歳を過ぎると受精の確率は下がっていくのである。男性の場合も同年代の女性とくっつくことが多いので、なるべく早い段階に結婚するに越したことはない。最近はキャリア形成のための年数も増加しているので、出産に適した時期は100年の寿命のうち、わずか10年程度という短い期間である。

 婚期を逃したとしても、30代であれば十分に子供を産むことは可能なので、諦める必要はないだろう。高齢で子供ができると大変という話もあるが、それを後悔している人はあまり知らない。やはり子供を生み損ねるよりはマシである。高齢期において心の支えになるのは親ではなく、子供であることを考えると、やはり子供を適切な時期に作っておくに越したことはないのだ。仮に子供がアホでも、いるのといないのでは大違いであり、孫が優秀というケースだってある。子孫は失われていく自らのポテンシャルを補う最大の特効薬である。

第三位 大学中退

 学歴関連でやっていはいけないと思うナンバーワンは大学の中退である。一般にいう学歴は「学校歴」というある種のブランドで、資格要件ではない。ところが、大卒か否かは資格要件である。この差は大きい。いくら東大に入ったとしても、中退してしまえば「高卒」になってしまうので、あまりにも損失が大きい。Fランであっても卒業するに越したことはない。それくらい資格要件の差は大きいのである。しかも大学中退は最大の障壁である入試をクリアしているだけに、もったいなさすぎる。

 資格要件の恐ろしいところは影響が長期間に渡ることである。筆者は東大VS医学部記事で資格の強さを「ストック性の高さ」であると論じた。東大に行ってもその優位性は数年で減少し、10年後にはただの大卒になってしまう。一方、医師免許は生涯有効である。これは大卒と高卒の違いにも言える。東大とFランの差はだんだん埋まっていくが、大卒と高卒の差は永続的である。これは転職等にも響いていくる。というわけで、大学は絶対に卒業すべきである。何年かかっても、プラス3以上になってもだ。

第二位 前科

 これは特に説明する必要が無いかもしれない。やはり前科は本当にまずい。犯罪といっても、経済犯罪であればどうにかなるかもしれないが、被害者のいるような犯罪は絶対に辞めたほうが良い。被害者がいない場合でも、薬物等は絶対にNGである。

 社会の最底辺に落ちた人間を見ていても、やはりどうしようもないのが前科持ちである。これがあると、不遇な扱いを受けていても、当然の報いということになってしまう。まともな会社では雇ってもらえないだろうし、親戚からも縁を切られてしまうかもしれない。前科がある人間が一発逆転という例はあまり聞いたことがないし、仮に成功したとしても兼近のように後から掘り返されるかもしれない。ぶっちゃけ社会は前科がある人間が幸福になることを望んでいないとも言える。

第一位 脊髄損傷

 以前、スーパーマン主演俳優の事故のドキュメンタリーを見たことがあるが、筋骨隆々だったマッチョマンが落馬事故で頚椎を損傷し、見るも無惨な姿になってしまっていた。筆者は完全にメンタルがやられてしまった。

 世の中には悲惨な病気はたくさんあるが、それらは先天的な原因や老化現象が引き金で、避けようがない事が多い。外因的な要素で永続的な障害が残るものとしては、やはり脊髄損傷が一番ダメージが大きいだろう。脊髄損傷は単に体が不自由なだけではなく、褥瘡や排泄障害などあまりにも大変である。

 脊髄損傷の要因として一番大きいのは交通事故で、その次は転落のようだ。夜中にバイクを猛スピードで飛ばしたり、器械体操で無理な技を決めてはいけない。

 脊髄損傷は現在の医療ではどうしようもなく、いくら大金を積んでも治ることはない。末梢神経は再生するのに、なぜか中枢神経は再生しないのだ。脳はまだ理解できるが、単なる配線に過ぎない脊髄がなぜ再生しないのかは不可解である。これに関しては医学の進歩を望むばかりだ。実際、脊髄損傷の患者の多くは将来の治癒を期待して頑張っている者が多そうである。


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