<地政学>日本が植民地化されなかったのは当然という話
日本はアジアで植民地化を逃れた数少ない国である。このような言説が囁かれることが多い。確かにこれは事実だ。ただ、その原因については色々な事が言われる。運が良かったという説もあれば、日本人が民族的に優秀だったという説もある。
日本が植民地化を逃れたのはかなり強力な必然性がある。この国が列強の植民地になっていた可能性はほぼゼロだ。今回はそんな話である。
植民地化された国の共通点
近世から近代にかけて、ヨーロッパは世界を支配していた。19世紀の時点でヨーロッパに植民地化されていない地域は殆どなかった。そういう意味では世界はヨーロッパの帝国主義によって完全に制覇されていたのである。
しかし、植民地化といってもその程度や時期は大きく異なる。この点はしばしば見落とされがちだ。新大陸は16世紀の時点で完全に制圧されてしまい、先住民は根絶やしにされた。フィリピンも程なくして植民地化されている。17世紀になるとオランダがインドネシアに進出し始める。18世紀になるとイギリスとフランスによるインドの植民地化が進み始める。19世紀になるとヨーロッパの植民地主義は一気に拡大し、アフリカと東南アジアの全域が植民地化される。19世紀末から第一次世界大戦にかけての時期はヨーロッパの植民地主義が頂点に達し、東アジアにまで進出するようになった。
詳しく語ればきりがないが、植民地といっても実に400年のギャップがあるのである。この違いは何によってってもたらされていたのだろうか。
ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」でも言及されていたが、近世の段階でユーラシア大陸とそれ以外の文明レベルの差は非常に大きかった。数千年の差があったものと思われる。疫病によって進出が難しかったアフリカを除き、非ユーラシア圏はあっという間に征服されてしまった。インカもアステカも正規軍ではなく、海賊の延長線上のような連中によって征服されている。いかに両者の戦力差があったか分かるだろう。フィリピンもユーラシアのような文明が無かったため、同様に征服されてしまった。
続いてユーラシアでも比較的遅れた地域が征服されるようになる。インドやインドネシアがそうだ。これらの地域もまた被征服地であることが多く、強力な帝国は誕生しなかった。しかし、清朝やオスマン帝国のような先生帝国はなかなか手出しができなかった。
ヨーロッパの植民地帝国は大規模な戦争を伴わなかった。ヨーロッパ内部で行われた三十年戦争や七年戦争のような戦争の方が遥かに規模も地政学的重要度も高かった。ヨーロッパの植民地は簡単に征服できる弱い国がターゲットになった。ヨーロッパとそれ以外の格差が開くにつれ、ヨーロッパの植民地は拡大した。
スペインは新大陸に広大な帝国を築いたが、軍事征服の規模は小さかった。新大陸を征服したコルテスとピサロの軍は正規軍ではなく、単なる傭兵集団だった。スペイン軍はフランスやオーストリアでの軍事行動に莫大なエネルギーを割いており、新大陸は片手間ですらなかった。
イギリスはインドを征服したが、イギリスはヨーロッパ大陸の強国と戦った時のような大規模な軍事行動をインドでは取っていない。インドはマラータ戦争やシク戦争を除けばほぼ無抵抗で征服された。
ヨーロッパの帝国はほとんど抵抗しない弱い国に対して行われた。少しでも抵抗する国は手を出されにくかった。
植民地化を免れた国の共通点
ヨーロッパに植民地化されなかった国を考えてみよう。清朝は幾度となくヨーロッパに攻撃され、19世紀の末期は国土を食い荒らされていたが、それでも本格的な植民地化は不可能だった。中国の人口はヨーロッパを遥かに上回り、文明レベルもヨーロッパに次いで高かったからだ。
同様に、伝統国のオスマン帝国も植民地化を免れている。ヨーロッパの帝国主義が頂点を迎えた第一次世界大戦でオスマン帝国は降伏しているが、アラブ地域が植民地化されただけだった。アラブ世界はある意味でオスマン帝国に植民地化されたようなものだったので、本質的な変化はなかった。
ペルシャも植民地化を免れている。やはりペルシャも伝統ある帝国だ。それなりにしっかりした国であれば植民地化は難しいといえる。ペルシャも清朝と良く似た運命を辿ったが、最後まで完全な植民地化はされなかった。1941年に英ソによって軍事征服を受けているが、一時的なものだった。
文明レベルが高かったとは言えないが、植民地化を免れた地域もある。エチオピアとアフガニスタンがそうだ。この二カ国は山がちな地形で征服が難しい。それなりに伝統のある王国でもある。タイもやはり伝統ある王国で、運が良かったこともあるが、征服を免れている。
共通点として、それなりに強大なユーラシアの国家はヨーロッパに植民地化される危険は低かったようである。大規模な戦争によって征服された地域はビルマと一時期のアラブ諸国くらいだ。他の地域は小規模な戦闘か、それすらも行われなかった。仏領インドシナの征服は大規模な戦闘を伴ったが、戦闘の相手は清朝だった。当のベトナムは抵抗しなかった。それどころか王家はフランスに融和していた。
ヨーロッパに征服された地域はだいたいが脆弱国家か国家すら形成できていないかだ。国民国家とは言わなくても、それなりに自立した国家が征服された事例は少ない。ヨーロッパの植民地は保護国の集合体という性質もあった。インドや仏領インドシナでは現地の王族はそのまま王族を続けていた。ヨーロッパの宗主国との関係は莫大な経済的利益と安全保障をもたらすので、現地エリートにとって悪い話ではなかった。日本がアメリカの傘下に入る感覚の延長だった地域もあるだろう。
日本の場合
日本はどうか。結論から言うと日本は自立した強国だったので、植民地化は不可能である。近代以前の社会はマルサス状態にあったので、文明レベルを示すのは一人当たりGDPではなく、人口密度だ。日本の人口は近世の段階で非常に多く、清朝やムガル帝国に次ぐ水準だった。江戸時代の高度な文化を考えると、ヨーロッパには及ばなくても清朝と同様の文明レベルはあったに違いない。江戸の識字率は8割を越えていたとも言われる。
当時の日本は清朝やオスマン帝国と少なくとも並ぶか、それを上回る進んだ国だった。中央政府も一応は存在していた。したがって、ヨーロッパの帝国が江戸幕府を征服することは不可能である。ヨーロッパは植民地の地域から遠く離れているため、大兵力を送るのは無理だ。ユーラシアの反対側まで軍隊を送り、膨大な人口を抱える江戸幕府と戦わねばならない。インドやアフリカの征服とはわけが違う。
というわけで、日本はヨーロッパにとって最も植民地化が難しい国だった。おそらく、順番としては最後だろう。19世紀の後半になるとヨーロッパの魔の手は清朝やオスマン帝国にまで及ぶようになったが、この時期は既に日本は近代化を開始していた。明治維新から30年と絶たずに清朝を破っている。凄まじいペースの成長である。ヨーロッパの手が届くのが遅すぎて、最後までヨーロッパの勢力はほとんど日本に進出できなかったと言えるだろう。
同じくヨーロッパの影響がほとんど及ばなかったのは朝鮮だ。この国は非常に弱々しかったが、それでもヨーロッパが直接植民地化できる場所ではなかった。朝鮮半島を手に入れたのは隣接する日本だった。これはもちろん地の利が理由である。東アジアはヨーロッパを除けば最も発展した地域だったので、植民地化の順番も最後であり、結局植民地化が進まないうちにヨーロッパは没落してしまったと言えるだろう。
アメリカ帝国
そんなヨーロッパの時代は二度の世界大戦が原因で終焉を迎える。1945年の時点で世界はアメリカの帝国とソ連の帝国に分割されていた。両者は公式に帝国を名乗ることはなかったが、かつてのヨーロッパの帝国に近い振る舞いをした。
歴史上、日本列島を征服した国はアメリカただ一つである。ヨーロッパがなし得なかった偉業と言えるだろう。ヨーロッパの植民地化とは違い、アメリカは日本を征服するために総力戦を戦わなければいけなかった。太平洋戦争は歴史上最大の海上戦だ。最後は核兵器までが投入された。十分な国力を持った近代国家を征服するのは非常に難しいのだ。
ヨーロッパの征服は更に骨が折れた。歴史上最大の戦争を経て、ヨーロッパはアメリカとソ連という外部勢力に軍事征服された。1914年の時点で世界を支配していたヨーロッパが1945年には分割占領されているというのは驚きである。凄まじい落差だ。これまた代償は凄まじく大きかった。ドイツは強大な先進工業国であり、歴史上征服するのに最も手間がかかった国である。その国の文明レベルが高いほど、征服には手間がかかる。先進工業国を征服するためには国家総力戦も辞さないレベルの軍事力が必要だ。
ヨーロッパの半分と東アジアの半分を征服したアメリカは歴史上最強の帝国になった。最も難易度の高い征服を成功させたのだから、当然だろう。ただ、征服地を植民地として組み込むことはなかった。理由は色々あるが、直接支配をする費用もインセンティブも乏しかったというのが大きな要因だろう。ある意味で、日本や西欧諸国は究極の間接支配と言えなくもない。これらの同盟国は防衛をほぼアメリカに依存している。自衛隊はもちろん、イギリスやフランスですら、アメリカ軍との協同を前提として軍隊が設計されている。こうなると、英領カナダや英領インドとそこまで変わらないかもしれない。また、これらの同盟国の内政は安定しているので、わざわざ米軍が暴動の鎮圧に赴く必要もなかった。
日本はアメリカの植民地なのか?
これまでの歴史をまとめると、日本が植民地化された可能性は極めて低い。というか、ほとんど不可能である。日本は東アジアというヨーロッパから遠く離れた地域であり、技術水準はヨーロッパを除けば最も高かった。日本は莫大な人口を抱える大国だった。そのポテンシャルを発揮してか、明治維新からは急速に世界大国へと成長していった。
植民地化された国の共通点は技術水準が低かったことだ。スペイン人はネーデルランドの征服には失敗しているが、遠く離れた新大陸は一瞬で征服している。どうにも弱った獲物を食い物にしているような状態なのである。ナポレオンやヒトラーの帝国とは違い、自ら身を守る意志も能力も無い弱い国を無抵抗で併合していったというのがヨーロッパの植民地帝国なのだ。アジアの帝国である清朝やオスマン帝国は最後まで完全には征服されなかった。ヨーロッパの勢力が頂点に達した20世紀初頭には半分植民地のような状態だったが、そこでヨーロッパの進出は終了した。
植民地の搾取といえば一大テーマとして論じられていたが、これが必ずしも実体に即していなかったことは知られている。植民地の国が独立しても現地の収奪的な構造は引き継がれた。更に言うと植民地の国は植民地化の以前から収奪的な性質が強かった。コンゴ王国は奴隷売買で栄えていたが、ベルギーの植民地支配を受け、モブツ大統領の独裁帝国へと移行した。どの政権も等しく残忍で搾取的だった。搾取的な地域をヨーロッパ人が征服して搾取し、ヨーロッパ人が去ると再び現地人による搾取が行われた。
これらを踏まえると、ヨーロッパ人による植民地帝国は一般的に思われている強引な軍事征服という性質は強くないだろう。大英帝国はインド支配を現地に文明をもたらす善行と捉えていた。英領インドは搾取的だったが、ではそれ以前のムガル帝国が搾取的でなかったかと言われればNOだろう。現地人にとってはムガル帝国やマラータ同盟による支配よりもイギリスの方が良いと考える人間は多数いたと考えられる。実際、イギリスとの貿易は莫大な利益を産むので、イギリスは現地に協力者を募るのに不自由しなかった。帝国支配は現代的な見方では残忍にも見えるが、近代以前の国家は多かれ少なかれ搾取的であり、だったらイギリスが一番マシという考え方は珍しいものではない。
こう考えると、実は戦後日本はアメリカの植民地なのではないかという見方もできる。アメリカが日本に提供した安全保障と自由貿易圏はまさに帝国が提供できる利益そのものだからだ。もちろん日本のみならず、イギリスやオーストラリアといった戦勝国やポーランドのような東側諸国もこの帝国に参加している。植民地人からみた大英帝国は今で言うところのアメリカの同盟国がアメリカに対して考えていることと変わりないかもしれない。
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