セーヌ川で紹介された女たち・・・パリ・オリンピック開会式

 開会式の章は友愛«fraternité»から«Sororité»となる。
 あまり聞きなれない単語だが、frère(兄弟) から fraternité が派生しているように、sororité はsœur(姉妹)を起源とする。もともとはfraternitéと対になる言葉だった。が、フランス大革命中に「Liberté自由・Égalité平等・Fraternité友愛」が国家の標語として採用されて以来、fraternitéの意味幅は広がり(日本では明治時代に伝わったがさらに広く解釈され「博愛」と誤訳された)、元の意味「兄弟愛」「男同士愛」から男性性が薄れて隣人愛、友人愛さらには同胞愛を表すこととなった。
 時代は流れ、Féminismeの台頭とともに、当然「兄弟愛fraternitéがあるなら姉妹愛sororitéがあってもよいのではないか」と疑問が出てくるのは自然の事。まさにそれこそ、200年以上前の大革命時代(1789-95年)にオランプ・ド・グージュが考え、主張したことだ。 

「女権宣言」を高々と掲げるオランプ・ド・グージュ

 セーヌ川を写すカメラは水面の四角い箱から上昇してくる黄金の女性像を徐々に大写しにし、アナウンサーが彼女たちのことを紹介する。ここでのsororitéはフランスのみならず世界にも影響を与えた偉大な女性たち10人を意味していたのだ。
 最初の女性は、革命運動に身を捧げるもジャコバン派と対立した故にギロチンにかけられた悲運の革命家=révolutionnaire(男女同形の名詞)オランプ・ド・グージュ Olympe de Gouges(1748-1793)だ。彼女がこのsororitéの女性たちのトップだったことには十分意味がある。
「Liberté自由」の章に断首となったマリー=アントワネットが登場したが、そのフランス王妃に心を寄せて、女性の権利のために戦ったのがオランプ・ド・グージュだった。彼女はいわゆる「人権宣言」をもじって「女権宣言」を起草し、出版した。その中で、両性の市民権・司法権の平等を断言し、偏見故に取り上げられていた自然権(もともと有していた権利)を女性に返すよう主張した。とりわけ次の言葉はあまりにも有名だ。«女性には断頭台に登る権利がある。同様に演壇に登る権利(参政権の意)も与えられるべきである»(10章)
オランプは先に述べたようにギロチンの露となってしまった。しかもこのたび奇しくも(実は意図的に?)競技会場となったコンコルド広場(当時革命広場と呼ばれた)で。彼女はギロチンの前に立って次のように叫んだと言われている。「祖国の子等よ! 我が死の仇を討て« Enfants de la Patrie, vous vengerez ma mort. »最後まで強気な女性だった(享年45歳)。
 さて、このたびのオリンピック理念が彼女の仇をとったと言えるかどうか。ちょっと訊いてみよう。「市民 グージュ(Citoyenne Gouges) ! 今回オリンピック選手の数が男女同数になりました。これで完全な男女平等になったと言えるでしょうか?」
グージュ「・・・」

アリス・ミリヤAlice Milliat(1884-1957)
1921年に国際女子スポーツ連盟(略称:FSFI)を組織し、 女子陸上競技の国際規則策定、近代オリンピックへの参入に尽力した。
ジゼル・アリミ Gisèle Halimi(1927-2020) チュニジア生まれの弁護士。妊娠中絶の禁止時代に中絶したとして告訴された 医師・母親・本人の弁護を務め、無罪を勝ち取った。 次のシモーヌ・ド・ボーヴォワールとともに妊娠中絶法の成立に道を開いた(1975年)。
(註) フランスにおいて妊娠中絶が法律違反であった頃の、若い女学生の妊娠中絶とその苦悩について、独白形式でかなりリアルに語っている小説がある。題名は『事件』。作者は前回に国立図書館のシーンで紹介した作家アニー・エルノーだ。妊娠中絶は、カトリックの軛がなかった日本と異なり、フランスでは犯罪に関わる重大な問題だったことがよくわかる。
(本のタイトルは『嫉妬/事件』アニー・エルノー作 早川書房・・・中編二作で一冊本)

 本来なら次は、シモーヌ・ド・ボーヴォワール Simone de Beauvoir(1908-1986)だったが、 どういうわけか彼女の像は出てこなかった。フランスらしいドジだと笑って彼女が怒らないことを祈る。彼女はジャン=ポール・サルトルとともに大戦後の哲学およびフェミニスムに多大な影響を与えた。

ポーレット・ナルダル Paulette Nardal(1896-1985) フランスの海外県マルチニック島出身の作家、 フランスの黒人文化運動の中心となり、活動した。
ジャンヌ・バレ Jeanne Baré /Barret (1740-1807) 18世紀の女性冒険家、
有名な探検家ブーガンヴィルの世界一周の旅に男装して参加した。 女性で最初に世界一周をした。
ルイーズ・ミシェル Louise Michel(1830-1905) 教師であったが、パリコミューンの運動に深く関わり、ニューカレドニアに流刑となった。 最後まで徹底したアナーキストでもあった。
彼女は、大佛次郎のドキュメントタッチの小説『パリ燃ゆ』に
十分描かれている(我が青春の愛読書の一冊)。
クリスティーヌ・ド・ピザン Christine de Pisan(1364-1430) ジャンヌ・ダルク時代の
女流作家であり女性初の職業作家だった。
『ジャンヌ・ダルク頌』(Le Ditié de Jehanne d'Arc、1429)を上梓している。
アリス・ギーAlice Guy(1873-1968) Alice Guy-Blanchéとも 映画会社ゴーモンに入り制作責任者になる。 世界で最初の女性の映画監督で映画プロデューサーでもある。
結婚してアメリカに渡ってからも活躍した。
シモーヌ・ヴェイユSimone Weil(1927-2017) 政治家、ホロコーストの生存者、各首相のもとで様々な大臣を歴任した。 とくに、人口妊娠中絶の合法化に尽力した(ヴェイユ法)。 また、欧州議会議長として欧州統合の推進役を演じた。パンテオンに合祀されている。

 以上、オランプを除いて簡単に紹介した。ちなみにパリには260あまりの男性像があるそうだが、対して女性像は40ほどだそうだ。リュクサンブール庭園にいる王妃たちの像は約20体。それが40の中に含まれているとしたら、街中には20ほどということになる。女性像といえば、筆者がすぐに思い起こすのは1区にある黄金のジャンヌ・ダルク騎馬像、次に20区のその名もピアフ公園にあるエディット・ピアフ像くらいだ。セーヌ川でお披露目となった彼女たちのfemmes en or(黄金の女性)の像はパリの街の然るべきところに設置されるとのことだ。そうなったら、パリに行きたい。関係者のドジのためにセーヌ川に出現できなかったボーヴォワールはどうする? 当然、像はあるはずだ。やはり、サン=ジェルマン・デ・プレ教会付近ということになるか。そういえば、メトロのサン=ジェルマン・デ・プレ駅のホームには彼女の大きな写真が壁にあった。それとも、13区にある巨大な新国立図書館(=ミッテラン図書館)横のセーヌ川にかかる歩行者専用のボーヴォワール橋のたもとか。
 «Sororité»の章はメゾソプラノ歌手アクセル・サン=シレルAxelle Saint-Cirelの「ラ・マルセイエーズ」斉唱から始まり、絶唱で締めくくられる。
フランス国旗を模したドレスを身にまとったオペラ歌手のアクセル・サン=シレルは競技会場となるグラン・パレ(大宮殿)のてっぺんで国歌を歌う。
 普段は博物館となっているグラン・パレは1900年の万博のときに建設された。

https://www.youtube.com/watch?v=a5iiwP1OSus

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