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機能不全家族だったんだと思う

これは、自分の心を整理するために書いた文章で、元々はnoteのために書いていたものではありません。
ですが、せっかく書いたので載せることにしました。
共感や、どなたかの助け…にはならないだろうけど、ほんの少しだけでも寄り添えることができたら、幸いです。

また、嫌なことだったからか覚えていないことが多く、あいまいな部分もあります、ご了承ください。

※この記事には家庭環境に関する繊細な内容が含まれています。

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私は幼いころ、母にべったりだった。
彼女の様子がおかしいことに気が付いたのは高校2年生くらい。17歳のころだ。

うちの家族は今で言う、機能不全家族だったと思う。
母は毎日のように小言を言っていた。
「おりんぴあが20歳になったら離婚するから」
「うちにはお金がない」
「大学なんて行かなくても結婚すればいいんだ」
「全部あいつ(父)が悪い」
そんなことを、繰り返すように言っていた。
私はもうすぐ30歳になるが、親たちは離婚していないし、うちは特別貧乏でもなかった。
父は普通に仕事をしていて、そこまで変ではなかったように思う。(夫婦間のことはわからないが)

だけど幼いころから言われ続けた私は、うちにはお金がないと思っていたし、大学なんて行かず、高校を出たらすぐに働こうと思っていたし、父が悪者だと思っていた。
彼女の機嫌を損ねるとご飯が抜きになるし、外に放り出される時もあった。
それでも私は、自分の持っていたうさぎの人形に母の名前を付けるほど母が大好きだった。彼女が私の世界だった。

私が中学生の時、母はパート先で男子高校生のアルバイトと仲良くなったらしい。
当時、父は宿直があり、家にいない日も多かった。
そんな日は決まって母は彼らと遅くまでカラオケで遊んでいた。
お会計は全て母がしていたようだが、だからといって、自分の母親くらいの年齢の人となぜつるんでいたのか、今でもわからない。

何時ごろとかはさすがに覚えていないけれど、21時とか22時とかだろうか。
彼女はマックやすき家、松家を買って帰ってきていた。
私はこの時も、これが変だと思わなかった。
母がやりたいようにやるのが正しいと思っていた。

高校2年生の時にようやく母がおかしいことに気が付いた。
彼女はパチンコですってしまったからお金を貸してほしいと言ってきた。
私は1万円を貸した。
後日母はまた、「お金がない」と言っていた。
「お金、この間貸したじゃん、何に使ったの?」
そう聞くと母は「どう使おうが私の勝手だろ!!!!」とキレて来たことを覚えている。

お金がない、そう言われ続けたから、アルバイトを始めて、昼食代と携帯代は自分で出していたし、バス通学は高いから、自転車を買って学校に通っていた。
それなのにパチンコに行き続ける母を見て、変だ、とようやく気がついた。

この辺りでようやく私は父に相談を始めたのだと思う。
だけど、例の男子高校生(すでに専門学校生とかになっていた)の話はできなかった。
ずっと母に口止めされていたからだ。

私はここから母と口を利くのをやめた。食事をどうしていたのか全く記憶がない。ちなみに父は私が小学生のころから食事を一緒に食べていなかった。念のため言っておくが、外に女がいた、とかではなく、コンビニでお弁当を買っていた。

母と口を利かなくなった後も母から言われた言葉は体から離れなかった。
私が通っていた高校は進学する人が多かったが、私は高校を出たら働く、という考えを変えられなかった。
父は大学に行ってもいいんだよ、と言っていたと思うが、お金が心配だし、進学という言葉に耳も傾けなかった。
ともかくあの家から早く逃げたかった。

母と口を利かなくなってから1年位が経った頃だったと思う。
彼女の親友が自殺した。
母は泣き崩れ、私に謝ってきた。
「あの時はごめんね」
人の死にあやかり、謝罪をしてくるなんて卑怯だが、私は彼女を許した。
その日だったか、その数日後だったか、彼女は言った。
「あの時借りたお金さ、実はあの子がヴィトンの財布欲しいって言ってたからなんだよね」
悪びれもなく、そう言った。
あの子とは例のアルバイトの子のことだ。
貸した金なのか、買ってやったのか、わからない。が、衝撃的だった。
自分が何を言い返したのか覚えていない。
すぐに別件で彼女と喧嘩をし、それ以来私は母と口をきいていない。

「いくらでも、変わるチャンスはあった」
誰かにそう言われるのが怖い。
「奨学金だってなんだって、調べればなんでもある」
私も今は、そう思う。
だけど、当時は「大学に進むという道はない」そう思い込んでいた。

『親ガチャ』と言う言葉を聞くたびに胸が締め付けられた。
「ちゃんと育ててもらって、親ガチャなんて言葉で言い訳するのずるいよね。」
私に言われた言葉じゃない、だけど苦しかった。

だって私はほとんどご飯を食べていたし、家もあった。
継続的に暴力を振るわれる、そんなこともなかった。
傍から見たら私の家は、私の母は、普通のように見える。

それでも私は、全てを母のせいにしてしまう。
私から色んな機会を奪わないでほしかった、と思ってしまう。
「お金がない」「大学なんて行っても無駄」
そんなことを言わないでほしかった。
逆らったら、ご飯が食べられない、そんな恐怖を与えないでほしかった。

もしかしたら、いろんな可能性があったかもしれない。

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「生きていればなんとかなる」
「人生いつだってやり直しがきく」

本当かな。

「過去と他人は変えられない 未来と自分は変えられる。」

他人を変えようとなんて思っていない。
でも、自分の変え方なんてわからない。

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そんなことを思いながら書きました。
みっともないから、あんまり人に言いたくなかったけど、
私のように後から「もしかして、機能不全家族だったのかも」悩んでいる人もいるかもしれないな、と投稿することにしました。

しんどい時、たくさんあります。
何もやり遂げられない自分を責め続けて、最終的に「育った感環境が悪かったからじゃん」に行きつき、詰んだな、と思うこと、たくさんあります。
誰かに言ったって、「お前の怠慢だろ」って言われるだろうから。

それでも、なんとか生きています。
好きな漫画、アニメ、映画、ドラマ、本。
私がかけてもらいたかった言葉は、残念ながら母からもらえませんでしたが、他のところから摂取できています。
嫌な言葉だけに敏感なわけはなく、人の優しさにも敏感でいられます。
自分で言うのもなんですが、自分の書く文章も好きです。
ユーモアと温かい言葉、それを大事に、生きていきたいです。


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