#おむすびの具 愛情0円
愛ってどんなときに感じるかな?
褒められたとき。
感謝されたとき。
応援してくれたとき。
自分の存在を認め、気にかけてくれたとき。
だから私は、人に愛されるような行いを心がけてきた。
愛されたかったから。
テストで100点を取るために努力して。
家族のために家事を手伝って。
何かの代表に挑戦して。
私はとても愛されていると思っていた。
だけど最近はどんなに「大好きだよ」と言われても、その気持ちを素直に受け取ることができなかった。
なぜだろう。
いっぱい勉強したけど、1箇所だけ間違えた。
「褒めてもらえない」
お手伝いをしたけど特に気づいてもらえなかった。
「価値がない」
人前で発表してみたけど、恥ずかしい失敗をした。
「認めてもらえない」
愛は“ご褒美”だと思っていた。
努力の先にある甘美なもの。
苦労の先にある見返り。
今の私は勉強も放棄して、家でゴロゴロ。
愛を感じていた頃とは正反対の行いをしている。
「愛されるべきではない」
心のどこかでそう思っていたのかもしれない。
だから構ってもらえると望みが叶って嬉しいはずなのに、申し訳なさが尾を引いたのかもしれない。
きっと、愛はもっと自然に湧いてくるものだと思う。
テストがどんな点数であっても。
家族に貢献しなくても。
どんなに情けない姿を人前に晒したとしても。
どんな私でも愛はもらえる。
“頑張っている私”はたくさん愛されていた。
だけど、“みっともない私”は愛されるに値しないと思っていた。
そうだ。私はずっと
どんな私でも愛してもらいたかった
んだ。
おっちょこちょいでも。
やる気0%でも。
泣き虫でも。
「そんなあなたも愛してるよ」って抱きしめてほしかったんだ。
私が愛されるためのミッション。
それは、
愛されることを許すこと。
何もしていなくても愛されていい。
愛されたからってムリして返さなくてもいい。
自分が自分に優しくなれば、他人にも優しくなれる。
そうすれば自然と愛が湧いてくる。
そして愛が人と人との間を循環するようになるはずだ。