蕎麦好きの独り言
蕎麦をこよなく好む男 の独り言
毎日同じでも良い が、たまには、うどんやきしめんパスタ、中華麺に浮気もするが基本形としては蕎麦が好き❤️
というか突然だけど、最近歳を取った。
...…という事を
近頃になって初めて感じ始めた。(何を今更って気もするけど)
年齢は誰にしも公平に訪れるものだけど、こうしたものは実感が伴って初めて、己れの腑に落ちついていくものだと思って今はその感慨と余韻に染みいって居る。
食の話で特に、ヘルシーな食材を好むという訳ではないが、
できれば安全で安心なものはなるべく身体には入れたいなぁ、という密かな願望があるのか、単に食が細っているだけなのか。
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蕎麦といえば一杯のかけ蕎麦なるお話があったけれども、蕎麦好きな人の話としてしまえばきっとあの様な話にはならなかっただろうね。
まあ私だったら盛り蕎麦が良いけど、これだと生な江戸っ子の話になるんだろうな。
だからお話にならない。
であるので、あれは某ライターの作り話だとおもう。
ちょいと近頃は寒くなりつつあるので、蕎麦はおかめかけんちんがいいな。ま浮気するなら鍋焼きうどんだけど。
そんな私だけどコリに凝り固まって蕎麦を打つ!なんて事は考えた事はさらさらになく、提供されたものを唯ただ美味しく有り難く頂きたい。
地方でも、駅の立ち蕎麦でも其処地域の場所、場所の良さが滲み出ていてそれはとてもいいものなのです。
根っこが生えて江戸蕎麦しか口にしないといけねぇ、などとほざいていると、信州そばに馬鹿にされそうだし、世の中にはそばと名の付くうどんみたいなものや、蕎麦にも特色が或るとおもいたい。似た別軸の
うどん文化圏に広がる域の蕎麦出汁は別物で旨そうだし、
そこに広がる世界観はまだまだ奥深いのだろうと思う。
うどんは全国地域ごとの特徴がおおいにあるのに何故か蕎麦は全国一括りにされている気がしているのは私だけかしらん。
中華麺やうどんは超やわがあるかと思えば、固腰のもの超バリ固や平らのもの、稲庭のような表現が難しいものなどバリエーションは蕎麦に比して豊富な気がする。
蕎麦が邪険にされていないか?
私の、
蕎麦の基本はだされたら、直ぐに食え。
伸びた蕎麦は食えたものじゃない。
食べ終り、盛りざるなら蕎麦湯とつゆの
コラボレーションを楽しみ、
温蕎麦ならつゆの余韻を楽しむ。
だな。
近年蕎麦が脇に置かれている現状のなか、立ち蕎麦を含む名店がその看板を下ろしその味が継承される事なく消えゆくのは残念極まりない。
だがこうして更新されてゆくのだろうなとも思う。
これは徒然なる空いでもあるのであろうな。
などと独り呟き嘆き乍ら
今日も明日もすかさず何処の蕎麦屋に行こうかな
と目論むのでした。