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言葉の定義の意味と言葉の定義を模索する方法


言葉の定義とは何でしょうか。具体的な言葉の定義の追求の仕方には二種類あるなとふと思ったのでまずは言葉の定義とは何だろうかという所から考えてみます。




言葉の定義とは何か


 本論を進めるにあたり、「言葉とは概念である」という前提を置きます。ここでいう概念とは「個々の事物の瞬間的認識より高い抽象度を持つ、主体が範囲を認識した対象」のことを指しています。この前提を認めると次の二つが言葉の定義の候補として考えられます。
  一つは概念の外延全体、一つは概念と必要十分な内包です。なおここでは外延とは概念が実際に適用される事物、内包とはすべての外延が持つ性質を指します。またAがBの必要十分条件であるとは、Aが成り立つためにはBが成り立つ必要があり、なおかつAが成り立つことを言うにはBが成り立つことを言えば十分であるという意味です。同値条件とも言います。

  概念は主体の実際の事物の認識に依っているため外延全体を認識することができるならその方が厳密で確実であるといえますが、外延は基本的に無数に存在しすべてを認識することは現実的ではありません。そのため実際問題として言葉を定義する際には概念と必要十分な内包を考えるということが(先の前提のもとでは)必要になってきます。(そもそも概念と必要十分な内包を定めること自体が可能なのかという問題もありますが、ここではいったん置いておきます。また別の機会に考えます)


言葉の定義を模索する方法


  さて本題に入ります。上の議論により、言葉の定義を定めるとは概念と必要十分な内包を見出すということになります。
  主に一般的に簡潔な定義が与えられていない言葉の定義を考える場面においては以下の二つのアプローチが考えられます。 
  一つは外延から共通点を抽象することで概念の必要条件を見出し、その条件が概念の十分条件になっているかを確認するという方法。
  もう一つはその概念を抽象化することで上位概念を見出し、その上位概念にはどういう種類があるのかを分類し、その結果概念と必要十分な内包を得るという方法。
  
  それぞれ説明します。まず一つ目の方法は非常に一般的です。具体的にその概念が適用される事物にはどのようなものがあるのかを列挙し、その共通点を抽象し、その共通する性質を満たす事物は必ずその概念が適用されるのかを確認する。この作業を繰り返して必要十分な内包を模索するという方法です。

  二つ目はその概念を抽象化して上位概念を見出し、その上位概念にはどのような種類のものがあるのだろうかということを考え、その上位概念の内部の種類を分類する観点を考案し、その観点でもって実際に分類することで結果的にこれはもとの概念の妥当な定義ではないかという条件が見つかり、その条件がもとの概念と必要十分かを確認するという方法です。
一つ目の方法に比べればややダイナミックで技巧的な感じがするでしょうか。自分は科学とは何かを考えるうえでこの方法を用いました。
 また言葉の定義を定めるという本来の目的からはそれますが、この方法で意味のある条件を得られたが元の概念の十分条件にはなりえないという場合にはまた別の言葉として定義してしまうことで有用な言葉を得られるという副次的な利点もあります。

  以上、言葉の定義の追求の仕方には二種類あるという直観の言語化とまとめでした。何かの参考になれば幸いです。またこれ以外にも有用な方法があるよ、ココはおかしいんじゃないのという点があれば教えてくださるとうれしいです。


以下は科学とは何かを考えた際の大まかな流れになります。

科学とは思考を主とする活動とその産物の総体である。(上位概念)
思考を主とする活動とその産物の総体(仮にAとする)には科学のほかにも神学、哲学などがある。
論理的かどうか、客観的かどうかが主要な分類観点ではないか。
客観性を問わず論理的であるA、論理的かつ客観的でないA、論理的かつ客観的であるAなどの分類が考えられる。
数学や定量的に対象を扱える学問なら論理的かつ客観的であるAであると言えるだろう。人文科学や社会科学が客観的かどうかはよく知らないが、少なくとも客観性を問わず論理的であるAには当てはまるだろう。また哲学も客観性はものによるが論理的なAではあるだろう。神学はおそらく論理的かつ客観的でないAなのではないか。
人文社会科学と哲学を区分するには条件が足りないが、形式科学と自然科学は客観的かつ論理的なAでいけるかもしれない。
客観的かつ論理的なAに形式科学と自然科学以外のものがあるのかはよくわからないが、少なくともパットは思いつかない。
てなわけで形式科学と自然科学の包括的定義は論理的かつ客観的な思考を主とする活動とその産物の総体でいいや。

みたいな感じです。乱暴な思考ではありますが科学について考える上で自分にとってはある程度の意義がありました。


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