人間山脈
光った。
8月6日8時15分15秒
玉のような大きな赤ん坊が生まれた。
オンギャー、オンギャー、オンギャー
広島市民病院産婦人科分娩室に大きな男の子が産声を上げた。
奥さん良かったねぇ男の子ですよ、男の子!
産婦人科の石丸医師が言った。
あ〜あ〜あんた。待望の男の子よ!
田内拓司はようやったようやった!
とホッと息を吐いた。
なんとか生まれたのう。
わしの子じゃわしの子じゃ。アハハハは!
拓司は鼻歌を歌って称えた。
あんた私の子供しっかり面倒見てね。
そりゃどういうことだ。
拓司は素知らぬ顔をして視線を反らした。
私が死んだあとこの子のこと頼んだけい。
一瞬拓司は美幸の頬を伝わる涙の雫がたらーと流れ落ちるのを見た。
すまん。お前の母方の母がピカにやられとったのう。それでお前急性骨髄性白血病じゃったのう。而も病がかなり進行しとって美幸も余命1年だと告げられてこの子を諦めるかお前の命を捨てるかの2者選択だったもんのう。
悲しすぎて涙がでらー
うっうっう
俺の初の子が生まれ更に母体共に命の保証がないと言われとったのに生まれてきてありがとう。と拓司は涙を拭きながら言った。
分娩室から美幸が出るやいなや美幸は広島市民病院の無菌室に運ばれた。赤ん坊も一緒だった。
奥さんとお子さんと輸血が必要な状態です。何方かドナーの方がおられますか?大きな声で米田医師が張り詰めたような顔つきで青ざめて叫んだ。骨髄移植のドナー名簿をパソコンから洗い出した。
米田医師は言った。だからこの出産は無謀だと言ったじゃありませんかお父さん!
もう2人は無理なんですね。
そう言って拓司は広島市民病院から自宅の紺屋町に引き返した。
紺屋町のアパートに拓司が帰ったときもう夕暮れだった。
暗い家の中に1つ裸電球があって、帰ったぞーと言っても当然ながら誰もいなかった。裸電球にスイッチを入れて拓司は袋麺を開けて鍋に水を入れて麺を炊いた。
なんかさみしいな俺1人で。
さっき付けた裸電球がなぜだか笑っているようなからかっているかのように左右に揺れた。
拓司と美幸は芸能人で拓司は山田とのお笑いコンビインガールズの漫才師だ。最近なぜか飽きられて東京から引っ越して今は広島市の江波に住んでいた。
美幸は拓司と結婚する前はアイドル歌手だった。2人共広島のテレビ局の番組に夫婦ふたりで、司会が山田で美幸と拓司がコメンテーターとして広島の各家庭のお茶の間をドカンと笑わせていた。