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【写真付:育児日記】保育園入園準備~職場復帰の話
皆様、お疲れ様です。akiraです。
現在の季節は冬。これを投稿しているときは2月。
まだ春の雰囲気は全くない中なのに、春からの活動の心配をしなければならない人が沢山いるかと思います。
入園、入学です。この時期から説明会が始まり、各家庭で新年度の準備が慌ただしく始まりますね。
今回は私が長男を出産して、育休を取得→保育園に入園→職場復帰をしたときの話をしていこうと思います。これから同様に職場復帰をされる方の、少しでも参考になれば幸いです。
4月からの入園が決定
長男の4月からの保育園決定通知が届いたのが1月末。
当時の借家の近く、車で5分の保育園を第一希望にしており、そこに通うことが決まりました。
決まった時の気持ちは第一希望だ!やった!!だったのに、後から「本当に保育園やってけるのか?」「大丈夫なのか?」という、なんとも言えない不安と寂しさがどっと押し寄せてきました。
決定通知とともに、2月に保育園の説明会があるという案内用紙が入っていました。
保育園の説明会
案内に記載のあった指定の時間に到着すると、既に何人もの保護者達が集まっていました。
私は最後から2番目くらいに入ってきました。
子供は義理の母にお願いして説明会に行ったのですが、他の方は入園予定の子供も連れてきていました。
説明会の最中、大体の子供はじっとできないので、一番後ろに遊ぶスペースが小さく準備されており、保育園の先生が数人で相手をしてくれていました。
「説明会の資料です」と、渡されたA4の分厚い封筒。その中に説明資料と、記入して提出しなければいけない資料がびっしりと入っていました。
説明会自体は何事もなく終了したのですが、問題は内容です。
そう、保育園に通園するときのバッグや、タオル類、布団一式の準備。
後は、食べたことがあるものチェック表などなど。
準備と提出書類が沢山。これを子供がいながらこうどうしなければなのか…。と、想像しただけでゾッとしたのに、本当に準備できるのか不安でした。
布団なんてどこで?と、住んでいたのが私の地元ではなかったため、保育園の先生に相談すると「○○ふとん店と△△ふとん店が保護者さんの中で良く利用されているみたいですよ」良い情報が!
相談してみるもんですね。
説明会後、さっそく準備
説明会翌日、保育園の先生に教えてもらった○○ふとん店に行き、布団一式を注文しました。
「他にも通園バッグとか、布エプロンとか、必要なものがあれば作成しますよ」
ミシンを持っていない私は、保育園に必要なものはすべて課金しようと決めておりました。
既製品の手提げバッグが良かったのですが、当時は連絡帳があり、それを入れる用のミニポケット付き(指定サイズ)の手提げバッグを持ってくるようにとのことだったのです。
どうしようかと悩んでいた時に○○ふとん店さんからの神の一言。ありがたかったです。
メルカリで即発送の対応をしてくれる方から生地を購入し、手提げのひもの部分は百均で準備。
布エプロンはハンドタオルを何枚かしま〇らで購入しました。材料たちを全てビニール袋に入れて、後日○○ふとん店さんにそのまんまお願いしてきました。
「保育園どこでしたっけ?」
『■■保育園です。』
「わかりました~。じゃ、その保育園の通園バッグと布団と布エプロンですね。準備しておきますね~。」
さっっっっっっっっっっっっっすが、保護者さんが通っている地元のふとん店さん。保育園の説明資料を見ずとも、もう把握していらっしゃる。
『よろしくお願いします!!』
心の底から、この言葉が出てきました。
準備は保育園の道具だけではない?
資料に記載のあった物の準備、提出書類の準備、これが出来たらおしまい。
というわけではなく、次に必要なのが入園の時の服。
普段着で行くわけにもいかないですよね。
親の服はぶっちゃけ、し〇むらで準備をしました。何度も着る服でもないのでそんな高いものでなくてもよい。ちょうどいい値段で用意できるもの。
中古の洋服屋さん(セカンド〇トリートや、〇フハウス的なところ)も見に行きましたが、タンスの中で眠っていたのか、色がくすんでいたり、ちょっと流行からずれているものだったりしていて、納得いくものがありませんでした。
結局、上はツイード柄のジャケット、下は紺色のパンツ、中は白色のブラウス?っぽいやつ。THE・よくあるスタイルを目指しました。(以下参照)
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親はしま〇ら、子供の服はというと、めちゃくちゃ調べました!!!
色んなお店に行ったり、ネットで探したり、親の服装とは比べ物にならないくらい厳選していました(笑)
結果、子供はストライプの上下セットの服をネットで注文。
一緒に中に着る白い長そでに蝶ネクタイがプリントされている服。
恐らく本物の蝶ネクタイは子供が外したがってグズる可能性があるので、それを避けてのチョイスでした。
いざ入園式へ出陣
諸々準備もできて、事前に資料も提出し、まってました入園式当日。
夫はスーツ、私と息子は前述した服装で参戦。
浮いていたらどうしようかと思ったら、私はとても地味だったようでした。
周りの保護者は、水色のふわふわワンピース、着物、紺色のスカートのセットアップ、ベージュのパンツセットアップ。
まあいい。悪目立ちするよりはよい。なんたって今回の主人公は私ではない。子供だ。考えるな。感じろ。と、謎に自分を心の中で落ち着かせていました。
入園式では、園長先生からの言葉、在園時から歌のお祝い、翌日から通う部屋の説明がありました。
在園時からの歌のお祝いは、うちの子もこんな風に歌えるようになるのか?大人から見ても、年長さんは大きなお兄さんお姉さんだな!と感じたことを覚えています。
入園式は30分くらいで終了。あとは翌日以降の説明があり、終了しました。
出入り口にあった「○○園入園式」の看板で他の保護者の人にお願いをして撮影し、さっさと撤退しました。
そんなあっさりとした感じです。ママ友も当時いなかったのでそんな感じです(笑)
入園後、慣らし保育スタート
入園式後に職場復帰まで残り1週間ありました。
実は育休延長時に職場の先輩に復帰時期について相談をしていたのです。
先輩曰く、「慣らし保育があるから、すぐに復帰ではなく、1週間慣らし保育をしてから復帰をした方が良い」とのことでした。
その為、入園してから即復職はしておりませんでした。
慣らし保育1日目、保育園の先生に子供を渡すと、「???」という反応。特に泣くようなこともなく、保育園を後にしました。
1日目と2日目は2時間ほどで迎えに来てくださいと言われていたので、その通りに迎えに行くと、ママを見つけた瞬間号泣。
「我、どこ行ってたんじゃー!!!!」という感じで怒りの泣き?も入っていたのかブチ切れられました(笑)
慣らし保育2日目、保育園の先生に渡すと、前日のこともあり、理解したのかすぐに号泣。後ろ髪をひかれながらも保育園を出ました。
2時間後にお迎えに行くと、前日同様ブチ切れ号泣で迎えてくれました。
慣らし保育3日目、この日は給食前にお迎え。朝、先生にお願いしても、泣きそうな顔だけ一瞬したものの、泣かずにバイバイが出来ました。
お迎えも、ふええ~と半泣きな感じでは来ましたが、大泣きはせず先生にさようならをしました。
ここ辺りから徐々に慣れてきて、段々泣かずにバイバイできるようになり、慣らし保育最終日には、1日を通してお願いすることが出来ました。
ただ、土日を挟んだ月曜日の職場復帰初日、振り出しに戻ってしまいました…。号泣の中、先生にお願いしましたが、心苦しくなりながらも、先生の「いってらっしゃい!」の一言で振り返らずに、ささーっと保育園を出ました。
保育園の先生をしている友人に、話を聞いたことがあります。
「あぁ~ママと離れる時泣くのあるあるだよね。ママがいると甘えたくて泣いちゃうんだよね。ママが見えなくなって少しすると、ケロッとしておもちゃで遊びだすよ(笑)だから、さっさと行っちゃっていいんだよ」
だそうです。
子供と離れている間、大丈夫かな?悲しんでないかな?と心配しているママさん。子供側はおもちゃや友達と遊ぶのでいっぱいなので、ママのことは気にしていないようですよ…( ̄ロ ̄lll)ガーン
なんかちょっと寂しいと思うのは、私のわがままなんでしょうね。
職場復帰スタートと現実
子供を保育園へ送り出して、自分は久しぶりの職場へ出陣しました。
到着し、全体朝礼後に関連部署に復帰のご挨拶に回りました。
久々に会う同僚にすれ違う度、「今日からなんだね~!」「わ~久しぶり~!」「待ってました!」と言われ、”ママ”ではなく、”会社員”として活動している自分に、なんだかこそばゆくなりました。
よし!これからまた頑張るぞ!と思ったときに、少し悲しい現実が待っていました。
一緒に入社した同期の女性が、私の一つ上の役職についていたのです。
出産の前は、私の方が先に最初に役職がつき、彼女が後から同じ役職になりました。私の職場復帰後、彼女はさらに役職を上げていました。
こればかりはどうしようもない。私が抜けている間に、彼女はより一層頑張ったのだろう。頭では理解していても、心はすぐには追い付きませんでした。
これまで一緒に頑張ってきた、大好きな同期に、こんなもやもやした気持ちを持つ自分もしばらく嫌でした。
ただ、この気持ちの決着がついたのは、その後についた担当業務と向き合った時でした。
復帰後、上司と面談
復帰初日のあいさつ回り後、上司とこれから担当してほしい業務、目指してほしい役職などの今後のキャリアプランの話をしました。
メインの担当業務は新人育成、将来的な役職は社内全体のインストラクターをお願いしたいとのことでした。
そうか、現場から外れてしまうのか。と、なんとも言えない気持ちになりました。
この記事には綴っていなかったのですが、当時、私の仕事はコールセンター業でした。参考までに、自己紹介の記事に軽く職歴の紹介をしております。
主に受電で、応答件数、通話時間、電話が終わって次電話に出るまでの時間、対応内容、すべてを数値化されていました。
通話中も遠隔でたまに聞かれて、変な対応をしていないかチェックもされるほど、バチバチに戦争な現場でした。(すべてのコールセンターがこんな感じではありません)
産前はそんな現場に居て、スキルを上げていくうちに、役職付きの女性の先輩に憧れていた時期もありました。
それ故に、現場から外れて、育成業に回される。同僚は現場で憧れていた先輩と同様の役職に就きバリバリ頑張っている。
なんとも言えない気持ちで上司からのキャリアプランの話を聞いていた私でした。
「私が現場に戻るようなことはありますか?」
思わず聞いてしまいましたが、現場の人が辞めてしまい足りなくなったりした時に声がかかる可能性はある。ただ、基本的には「ない」との回答でした。
「わかりました」と、今の私には受け止めざる負えませんでした。
子供がいつ、何時どうなるかわからない。そんな人間が現場に居ても迷惑しかかけられんよな~とも思いました。
面談後、現場ではなく、同じく育成業の部署にいた先輩方に挨拶をし、今後お世話になりますと軽く会話を交わしました。
先輩は全員男性で、その部署にいた女性は私だけでした。
先輩の中の1人が、実は私が新入社員として入った時に育成担当してくださった方でもあり、現場でバリバリ頑張っていた当時の直属のリーダーでもありました。
私の成長をほとんど見届けてくださっていた方と言っても、過言ではないほどお世話になっていた人です。
『akiraが来ると思ってたよ~』
「どういう意味ですか(笑)予知能力でも使ってましたか」
『いや、新人育成にakiraは合ってるとずっと思ってたから』
簡単な人間ですね。私は。今でも覚えています。
この言葉で、同僚と差がついてモヤモヤしていたことが半分以上吹き飛びました。
今まで一番お世話になっていた先輩が、信頼していた先輩が、実績のある先輩が、一緒に飲み明かしていた先輩が(←関係ない)、そんなこと言って下さるんですもの。
純粋に、「頑張ります」と思い、口に出しました。
業務スタート!保育園の洗礼もスタート!
まずは先輩の育成業を1か月サポートしながら、翌月に私も少しずつメインどころを増やして実業務に参戦するという流れで始まりました。
が、保育園の洗礼を受けました。
復帰1週間で子供の発熱で保育園より電話が入りました。
今の基準は不明ですが、37.5度以上の熱でお迎え要請が入りました。
長男の当時の平熱が37.1度前後で、少しでも体があたたかくなればすぐに体温が上昇します。
それを先生方はしっかりと把握してくださっているようで、一度の体温測定だけで連絡はせず、時間をおいて何度か測ってから連絡をしてくれいていました。
なので、連絡もなく、普通にお迎えに行った際、先生から「ごはん前に測って37.5、少し時間をおいて37.2→37.2だったので、特に連絡はしませんでしたが、帰宅後も様子を見てください」ということもたまにありました。
そんな感じで発熱連絡からお迎えに行った後、翌日まで熱が続くこともあれば、何だったんだろうと翌日は何事もなく登園することもありました。
ただ、ここで気を付けるのが体調不良に陥るのが子供だけではなく、家族もというところです。
子供の風邪が続いて仕事を1週間休み、翌日から出勤できるなと思ったら、今度は私が体調不良になってしまうという悪循環。
子供にかかった菌が、なぜかバージョンアップして私を襲ってきました。
有休も少なくなる、休んで迷惑かけたくない。そんな一心で出社しましたが、あまりの体調の悪さに上司から帰宅命令が出されました。
そこからまた1週間お休みをし、無事に出社できたのが子供発熱お迎えをしてから2週間後でした。
こんなことが繰り返しあったため、自分の有給はあっという間になくなり、次の有給付与まで休むたびにお給料が引かれる形になってしまいました。
そして、まともに出社できるようになったのは仕事復帰をしてから3ヶ月後でした。ホラー話並みに怖い実話です(笑)
業務スタート後の気持ちと、変化
保育園の洗礼を浴び続けて3ヶ月。やっと、少し落ち着いてきた(と言っても月1で呼び出しはありましたが)かなと思ってきたころ、メインで業務を担当することができるようになってきました。
その過程で新入社員と沢山関われるようになり、信頼関係を構築しながら、メンター業にも携わるようになる等、やることの幅がぐっと広がってきました。
もうこの時点で同僚に対して持っていたモヤモヤ感は、全てなくなっていたと思います。
新人の育成にあたり、どんな指導をすればよいのか、この人にはどんな対応をすればプラスになるのか、そんな事を考え試行錯誤している仕事に楽しさを覚えていました。
もう一つ、子供を育てながら仕事をしていると、大きく気持ちが変わったところがあります。
それが「寛容になった」という部分です。これは自分に対しても相手に対してもになります。
元々、akiraが怒ったところを見たことがない。逆にakiraが怒ることは相当なことだと言われる程、めったに人に対して感情的になることはありませんでした。
しかし、それは他人に対してで、自分に対しては完璧を求めるような人間でした。その為、自分で自分を苦しめるようなこともあり、気持ち的に落ちやすい性格でもありました。
「寛容になった」というのは、まさにこの部分に対することです。
子供を産んでから、
【人間は誰しも母から生まれ、最初は赤子。何もできないところから成長してできるようになるもの。逆にできないままも、それもまた人生。】
と思うようになりました。
何かの宗教みたいな文言ですね(笑)
失敗してしまったときや、期待に添えることができなかったとき、【ま、そういう人生もあるよね】と考えて切り替えることができるようになりました。
実は、自分に対してだけでなく、新人育成でもこの言葉使っていました。
新人が何か失敗してしまったときによく言う『すみませんでした!』という言葉。謝っても何かが返ってくるわけでもないので、その都度「ま、そういう人生もあるさ。どんまいよ。」と声をかけていました。
家族みんなで頑張ろう
以上、育休復帰後のところまで綴らせていただきました。
保育園が始まってからの生活は未知で、不安だらけのスタートでした。
始まってから思ったことが、一人で頑張るのではなく、「家族で頑張る」ということです。
前述に合った通り、私は私に完璧を求める人間でした。すべての荷物を自分が背負って頑張らなければと考えていました。
しかし、生活が始まるとそういうわけにはいきませんでした。
朝、自分の準備をして、子供の準備をして、帰宅後には、夕飯の準備をして、お風呂いれて、寝かしつけたら、家事のスタート。
これらを一人で回し、フルタイムの仕事をこなすには、私を二人召喚しなければいけません。残念ながら、そんな黒魔術のようなものは普通の人間の私には持ち合わせておりませんでした。
その為、家族全員で分担が必須でした。
夫は基本早朝に出社、夕方退社です。その為、朝は私担当、夕方は夫担当、私帰宅後、家族総出で出陣という感じでした。
子供は自分で自分のことができるだけで、大いに我々の手伝いになっていました。
「ご飯を自分で食べる。」「ごはんができるまで、おもちゃで一人で遊んでいる。」「暴れているときにはYouTubeを見せたりして待ってもらう。」
因みに、「ご飯を自分で食べる。」については、スプーンですくうとかではなく、ア○パンマンのスティックパンを一人で食べて、ストロー付きのマグで水分補給みたいなイメージです(笑)
これだけで家事が少しでも進むようになります。
夫や妻がその場にいなくとも、「子供が待ってくれている」ということも私たちの手伝いになっています。
そんな風に一人で頑張るのではなく、家族みんなで頑張るという考え方が必要なのだと家庭を回していく中で痛感いたしました。
最後に、この記事を読んで、同じような境遇の方のほんの少しの一助にでもなれば幸いです。
ここまで読んでくださりありがとうございました!!