私の行動指針=他人(知人)に遭遇しないこと
社会に出ている以上、完全にそうすることは不可能なんだけども。
でも、できることならそうしたい願望である。
(以下 また気分グレーモードな日記。)
誰かとの予定があったり
仕事など済まさなければならない用事がよほど無ければ
他人との関わりを持ちたくないのだ。なぜなら極度に疲れるから。休みたいのに。
この行動指針を守るため、・近所や地元で歩く時は早足で ・端的に事済ませ ・極力人混みを避け ・すれ違う人や周囲にいる人と目を合わせないように、遠くの目標物か、他人の膝の高さあたりを見て歩くようにしている。
『私は今この用を遂行しようとしてますんでほっといてください』という看板を顔の前にビタッと掲げて、感情を隠して進む。
「〇〇で見かけたけど、颯爽と歩いて行ったね」などと言われることもしばしば。
「見られてましたか!気付かなかったなあ~笑」なんて、とっくに気づいて迂回してたくせに、ヘラッととぼけたりしてみる。迂回もバレてるかもね。
それでもたまにバチッと目が合ってしまったとき、蛇ににらまれた何とかのように、硬直して、一斉に脳内を駆け巡るのは、「これは逃れられない。どっちが先に声を挙げる?何て話しかけられる?何て話しかける?向こうは誰と一緒にいる?私は今日どんな格好をしてたっけ?この人に関係してることで今日理由つけてお断りしたこと何かあったっけ?アリバイ大丈夫?」etc…。
そんなんだから、挙動不審にもなって、たぶん、それが相手にも伝わっていて会話がたどたどしくなってしまうこともある。こんな時にうまくかわせるコミュ力があればいいのにといつも思う。
別に、悪いことをしてる現場を見られたとかでもないんだよ。会ってしまって気まずいシチュエーションでもなんでもないんだよ。
でもなぜか怖いんですよ。バッタリ誰かに出くわすのが。なので出くわさないで済む行動(場所・時間)を心掛けている。そんなこんなで今日もそうやって過ごした。
知らない土地で知らない人と出会うのはそんなに苦じゃない。だいたいがその場限りの出会いで終わるから。
登山中に「おはようございます」とすれ違い様に挨拶するくらいの距離感がすごくありがたい。何なら、「今日はどこまで行くのですか?」という程度の多少の世間話なら全然。山の中では、少しの人数なら人に会っておける方がいろいろ安心しますしね。
(…でも「どちらから来ましたか?」と聞かれるのはあまり好きじゃない。急に自分の身の上という現実に引き戻される感覚があり、しかも万一にも同郷だったりすると会話が長くなり、引き際が分からなくてとことん付き合ってしまう。それも疲れる・・・)
でも時々いらっしゃるんですよね。その場だけの出会いで終わらせてくれればいいのに、行動を共にしようとしてきたり、連絡先聞いてきたりしてぐいぐい来る方、・・・苦手だ。そこまでされたら いやそれ以上はという明確なオーラ出しますけれど。
でも 対・知らない人とはそういう態度をとっても後を引かないからね。多少は”イヤな感じの人”を演じても全然いいでしょ。
表裏なく、分け隔てなく人と接することができる人をほんとうに尊敬します。誰にでも気持ちよく対応できる方。私の周囲にも多いです。
どういう心持ち?心がけ?意識?で日々過ごしているんでしょうか。もしかしたらそれが素の姿だからそうできるのであって、意識もしていないのかもしれませんね。もう仏でしょ。
私にもちょっっとだけあった気がする そんな時代が。気づかいしすぎて気疲れするけど、対人はそこそこ支障なくこなせていた頃が。
もう忘れちゃったな~ どんな思いで過ごしていたのか。
歳をとるにつれて 性格が醜くなっていく気がしている。
これっていずれ老害につながるのかな。気を付けよう。