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アースカラーをお土産にして(10月の旅のこと②)

ヒスイを探しに来てみたかった。
美しく磨かれた宝石よりも、自然の中から生み出されたままの原石に惹かれる。土臭かったり、自然の中に溶け込んでいる状態のものを探して拾う感動が大好きだ。

そもそもヒスイとは。
一般的にくすんだエメラルドグリーンを思い浮かべるが、これが色は様々あることや他の石との見分け方など、探し回る前にひとまず予習しておこうと思い、フォッサマグナミュージアムに立ち寄った。
三連休を同じく楽しむファミリー層に紛れながら、ガラスケースの中にずらーーーーっと並んだヒスイの原石の列をのぞき込む。おなじみの緑系から白いものが多くを占め、中には黒系や青みのあるものや薄紫系もあった。含有する成分によって色が異なるそうで、基本的には何も含まない白いヒスイが多いとあった。

・・・これら、さっきヒスイ峡に落ちてたような? 他に展示されている似た石を見ては、…あれがヒスイなのにこっちは違うの? あっちはヒスイじゃなくてこれはヒスイなの?? みたいなものがたくさん。特に他の鉱物と融合して不純物が混ざっていたり、風化も浸食もされずに運ばれてきたものは、ただの石にしか見えない。
――ただの石、も失礼だろう。同じ自然界で長い年月を経て生まれてきたのに、人間が勝手に美しいものだけに価値を付けた。とりあえずビール!!のビールに申し訳ないのと同じ感じだ。(^^ん?)

まずはヒスイで心をがっつり掴まれた後に、続く空間には、それらが産出する要因となった フォッサマグナに関する展示が高い天井のもと繰り広げられていた。大きなスクリーンに映される 日本列島が地殻変動する ダイナミックな映像に意識を引っ張られる中、ゆっくりと展示物を見て回り、詳しくはないけれど地学に興味をもっていたので、終始ワクワクしながらしっかり堪能させてもらった。けれども館外を出て陽の光の下に戻ると ふと我に返って、”ヒスイを見つけるための学習”をしに来たのに いまいちすっきりしない・・・ちょっと先行き迷走しそうだぞこれ、という感覚をおぼえながら、そして日も傾き始めたのにご当地グルメにありつけず空腹を訴える胃をさすりながら、次の目的地を目指した。

フォッサマグナパークという、断層が露出している保存地区がある。ここも来てみたかったところで、以前ブラタモリでも紹介されていた。(私の訪れたい場所をブラタモリは大体取り上げてくれるので嬉しかった。終わってしまって非常に残念。。。)ここではまさに断層帯の境界を目前にできる。

中指の先が、糸魚川―静岡構造線の境(はぎとり標本)

この地球の鳴動が、地震を生み、峻険な山脈と深い谷を形成し、豊富な水源と温泉を湧出させて、 そしてヒスイや黒曜石などの、やがて人々が価値を見出すようになった鉱物を産出してきた。
ミュージアムで見た映像では、何百万年 いや 何億年間の日本列島の生誕の経緯を、ウルトラ早送りで、おかずパンを半分に割るかのようにプレート地盤が割れて、その深い溝の中で起こった火山活動による火山灰や溶岩で割れ目が埋め尽くされて、やがて今の地形を形成していく様をあっという間の出来事のように表現されていた。
しかし実際に 今まさに目の当たりにするこのグロテスクな断層帯は、そこに無言で重々しくそびえていて、あんなCGのような激動の時代が本当にあったのだろうかと なんだか実感は湧かなかったが、同時に その無言さが途方もない悠久の時間を紡いできたことをひしひしと伝えてきた。


さて 本題のヒスイ探し。
ヒスイ峡での採集は禁止されているので、川沿いにさらに北上し、海岸まで出てきた。濃い真青の日本海が、平たく両手を広げて待っていた。

糸魚川市を中心に、この一帯の海岸ではヒスイが拾えることで有名である。一人で来れたことで、あまり時間に際限をもたずに気の済むまで探してみようと思ってきた。時間を好きなように左右できる、これが一人旅の醍醐味。
この日は寄り道に時間をかけすぎたので、最初のビーチに着いた時には日没まであと数時間という頃になっていた。翌日もどこのビーチに行っても、しゃがんで歩いてを繰り返す先客がちらほらいた。この日やっと本題にたどり着いた私も、コンビニ袋を手に、ミュージアムで学んだ(?)ことを思い出しながら捜索開始。
そもそもこの海岸一帯は石のバリエーションがすごい。色がありすぎて、目的のヒスイだけを拾わず、つい見た目がきれいな模様や珍しそうな?ものにも目移りしてしまう。この地層の豊かさも、フォッサマグナのおかげなのだ。
そして海が本当にきれいなこと。全くと言っていいほどゴミが落ちていなかった。地元の方の努力の賜物でしょうか。そのおかげか、少し苦手を感じる生臭い潮のにおいも、ここでは全く気にならなかった。
その日 日没までは集中してテトラポットの間を縫うように歩き回って、一番小さめのコンビニ袋ほどは集めた。翌日は朝から場所を変え、他に3箇所の海岸に下りてみた。しかしどうしても「絶対にコレがヒスイだ!」と自信がもてるものは無かった。ミュージアムを出たときのぼんやりとした不安は的中した。

日本海沿いに走る国道にある道の駅に立ち寄ると、ヒスイを収集して加工販売している露店が何軒か出ていた。もうあきらめて帰ろうか、もう少し粘ろうか…釈然としないので、もう一度見本を見てみようかなと陳列されたテーブルをのぞき込んでいた。やはり商品価値がつくとどんなに砂利のように小さな石でもよい値段がついている。これは…絶対に買わないぞ。拾って帰るんだぞ。と心に決めながら眺めていた。
そこへ 明朗で優しげな海女さんのような(勝手に)雰囲気のお母さんが声をかけてきた。隣でお孫さんらしい女の子が、商品を並べるのを手伝っている。
家族でヒスイを収集して加工販売しているようで、話しているうちにそのお母さんが、私の拾ったヒスイを鑑定してくれることになった。確信はひとつもないけれど、せっかく拾ったからミュージアムにもう一回行って学芸員さんに鑑定してもらおうかと思ってたところだったので、ちょうどありがたいと思い、中くらいサイズまで膨らんだコンビニ袋を手渡した。
お母さんは眼鏡を取り出し、袋の中の私が拾ってきた小石たちを手元に広げると、その中から2,3個ほど拾い上げて、私に特徴などを解説してくれた。…けれど、本命のヒスイは1つも無かった。たぶんお母さんは ぱっと見て「すべて違う」とすぐわかり、それでも気を遣って2、3個の石の話をしてくれたのだ。珍しい鉱脈だよ、とか。色は似ているんだけどね、などと。
――ああ。そうだよなあ。古い時代から「玉」として重宝されていたのだから、当然簡単に拾えるような代物ではなかった。素人目では、一昼夜探したところで特徴を捉えられるほど甘い話ではなかったのだ。
もし万が一にでも拾えたら、それを握って宝くじを買いに行ってみようかなー なんて 欲を持つからこんなことになるのだろう。覚悟はしていたけれど、明確に現実となったときの意気消沈といったら。
ひとしきり鑑定が終わると、お母さんは普段見本にしているというヒスイの小石を取り出して、ペンライトを当てて見せてくれた。似ている石英との違いも、光を当てると差が分かると。(その時はなるほどと思いました。(^^もう)
なので、せっかく遠いところから来たんだから、これをもってもう一回探しに行っておいで? と言われ、私の負けず嫌いがゆすられた。手渡されたその見本のヒスイを買って、短い時間だったが希望をかけた小石たちを受け取って、お店を後にした。
――ん? 買ってしまったなあ私。3,000円だった。3cmほどの小石に3,000円。ヒスイだろうけど? 鑑定してもらったから とか、ちょっとだけ情が動いてしまった。 あれ?あの買わない決意はどこへ?(^^・・・

気を取り直し、最初に寄った海岸に戻ってみた。白っぽくて、比較的 角が残っていて、手触りは他のものに比べて断然にツヤツヤしていて、光を入れると薄緑色にぼや~っと透けて見えるもの・・・(で間違いないかな?)
疲れるまで1時間ほど粘り、最終ラインナップを揃えて車に戻った。
持ち帰ってきたものがヒスイなのか、定かではない。鑑定してもらうのはまた次回訪れた時にしよう。また楽しみを温めておける。

すっかり居心地がよくなってしまった糸魚川の海と街に寂しさを引きずりながら、また長く続く山並みに向かって帰路について、どこかお風呂でも入って帰ろうと道すがら探していた。けれども三連休も最終日、どこも観光帰りの車で日帰り温泉が激混みだったので、半ばあきらめモードで峠を越えていた。そこに、

思いがけず良いお風呂に出会えました。
一見、町の共同浴場を観光的にも開放しているような感じの趣き。決しておしゃれ感はない(率直すぎ^^…)。駐車場が比較的空いていたので飛び込んでみたのだけれど、これが大正解でした。シャワーから出てくるお湯がトゥルトゥルしていて(←本当にこの表現が最適なのです!)、早々に肌触りの違いを感じた。浴槽の中のお湯も透明でトゥルトゥルでまろやか。温泉成分でヌルヌルしているお湯は他にもよくあるけれど、ここのお湯は後に残る感じよりも、しっかり肌の中にしみこんでいる感じがした。
脱衣所は決して広くはないし、女性にとっては結構大事なドライヤーも2つしかなかったけれど、洗い場のシャワーは10か所ほど備わっていた。清掃も行き届いていて、古い館内だが清潔感はある。そして私が今回訪れる時間がたまたま空いていたのだろう、きっとあと1~2時間もすれば登山客などがどっと押し寄せるのかもしれない。カラスの行水な自分が言っても説得力ないけれど… なんか、それくらい繁盛してしかるべきお風呂でした。
派手ではないがリーズナブルでうれしい、気持ちの良いお風呂に入れました。こちらは次回もぜひ立ち寄りたい。
ありがとうフォッサマグナ様。ここでも恩恵にあやかりました。

インターの乗り口で渋滞にはまり、眠気と闘いながら高速を進み、やがて周囲を走る車のナンバーがなじみのある地名になってくると、急に現実感に襲われて憂鬱が身を乗り出してきた。明日からまた日常を過ごすことになる。
でもこの連休中の栄養は、しばらく私を潤してくれそうだ。ご当地グルメも食べなかったし、写真もたくさん撮ってきたわけではない。が、ヒスイであることを期待する小石たちと、購入したヒスイ(^^苦笑)がここには確かにある。見て触れて感じてきた風や水や地のものが、確かに鮮やかに私の心を彩ってくれた。
やっぱり大事だな、こういう息抜き。つい及び腰になりがちだけれど、一人旅なら時間が許せば強行でも行ってしまえばよいのだ。

そして帰ってきて現実に打ちひしがれたら、また次の旅を夢みて、頑張ればいいのだ。

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