『ありがた迷惑』てどう伝える?
ありがたくないのに、『ありがとう』と言うべきか否か。
相手が察してくれるまで、『ありがとう』と言って受け取るべきか。
実際にはお礼を言うようにしている。
心の中で「いらない…」「え、それはちょっと勘弁・・・」とシールドを張りかけても、相手なりの『好意・厚意』『機転』『効率性を求めた行動』なのだから、一旦は受け取らないとかなと思い精一杯へつらって、後でさてどうしようかと両手の中のものを見つめる。
それと、その相手の良かれと思う言動に対して『ありがとう』で返さないということ自体が、私の価値観の押し付けになるのかなと思ってしまうから。――まあ、そもそも私が【余計なお世話】と受け取ってしまう事を相手がしてくる時点でも価値観の押し付けなんだろうけどね。物事の優先順位とか。そこに悪意やふた心は一切含まれていないとしても。
難しいね、「私と価値観が違いますよ」ってことを表現するのって。
他人と価値観を合わせようと思うから弊害が生じてくるのであって。
だから結局、ありがた迷惑を伝える必要は無いんだという結論に至る。
それでも時々、不快で迷惑だから、そこまで我慢してうわべの『ありがとう』って必要なんだろうかとこうして今のように考えてしまうのだ。
ストレートに伝えたほうがお互いに気持ちがいい場合もあります。シテ側にとっては新たな発見に、まさに青天の霹靂となるかもしれない。それによって、何か危険や不都合を回避できるかもしれない。
なかにはストレートに言える人もいます。「あ、好きじゃないからいらない」「ああ、後でやろうと思ってたのに」と、なんの嫌味もなく反射的に跳ね返せる人。――なんとうらやましいこと!(^^
それを受ける(心の中の小さな)私は どストレートにみぞおちにブローを受けているのですよね(^^ うん、まあ自分だったらそういう気持ちになってしまうので相手の親切を傷つけちゃいけないと思うから、うわべでも『ありがとう』ときれいに折りたたんで返すんですけど。
いちいちくよくよするそういうところが自分の嫌いな部分なもので。
それにこうして悩んでいる時点で、他人の親切を迷惑がっているイヤな性分なのです。
――ああ、もうすこし、他人の思いやりに素直に返せる透明感ある人格がほしい。
(ただ、「してやってるぜ」と見せつけるように、いかにも『ありがたがれたい』意思ムンムンで押し付けてくる人は、ごめんなさいホント勘弁してほしいぜあんた。気づけよ!(^^#)てなる。そういうとき私もちょっとカチンと来たならば(場と関係性にもよるけど)オブラート二重くらいで包んだ嫌味で返すけどね)
そうモヤモヤとしながら、今日も職場の朝が始まった。
https://note.com/lucid_colt1308/n/n7b6d5cd2d81f
(この事だけに限ってじゃないんだけど、)
古い掃除機を使い、締め切った部屋の中が掃除機特有のあの埃臭い匂いで充満し、私を始めくしゃみ連発する人もいる。古いため電力を食い何度も部屋のブレーカーが落ちる。複合機とかPCとか、精密機器が今に壊れるんじゃなかろうか。
この『シテ』は誰よりもそういう設備の不十分さとか他人の文句を言うくせに、きっと彼の中でその行動は『みんなにとってもありがたく素晴らしい行動』なんでしょうね。鼻歌を歌いながらガラガラと吸ってますから気分が良いようです。
なにも掃除機使わないと掃除ができないわけでもない。掃除機使えないと面倒なのであれば、私が雑巾をワイパーにくくりつけて床拭きしますからどうか座っててください。
これ見よがしにわざわざ足音をバシバシ立てて掃除機もって歩いて、隣室で朝礼やっている最中にガーガーと騒音立てて使うのやめてほしい…。
…と思うのは私だけかもしれないから、うわべだけの『ありがとう』を明日も発動する。